『(The art of)AMALIA RODRIGES』でメリスマを実感したりして
2010年 05月 10日
すこし、寒い感じの月曜日、小雨になる。
昨夜、すこし飲みすぎだったかもなあ。
帰る途中で、2つもいつものようにではあるが、チュウハイとか買って飲んじゃったしな。
昨日、新開地のビアホールで、長女のはなと話しをしていて、とても面白くて、娘と父との関係ではもうなくなっていることに気づく(へんな意味ではなくって、友達っていうか、同士っていうか、さ)。
最近、何をみても、ちょっと涙もろくなっている自分ではあるが(はなはおいておいても)、もうそろそろ、劇場法がどうちゃらとか、地域文化集権とか大騒ぎしたり、アーツマネジメントの確立だとか、アーツの鑑賞力をどうちゃらこうちゃらとかいう役目は卒業かなあ、すでに、とてもすばらしく育っているその方面の若い方々が、ずいぶんスマートかつ素敵にされているなあ、とKAVCで改めて思ったのであった。
まあ、そう隠居気味のことを思うと老け方が早くなりそうなので、ぼつぼつ自分に新しい課題を与えるべきなのかも知れないが。
3回生のゼミ、2名ともしっかりとした発表で、とても気持ちがよかった。時間をもてあますかもなあと思ったけれど、ぜんぜん不足気味で、とりわけ卒業制作をしようとする学生の企画は壮大でびっくり。大学全体を動かそうとするものだわなあ。
4回生のゼミ。上田千尋さんに仕上げをしていただいたが、いいチラシを彼女たちは作ったものだと、つくづく感心した。いままでのとはずいぶん違う手作りグルーヴ感があると思う。当日パンフについてもちょっと微調整とかあってたみたいだが。
卒業研究とは、疑問や違和感だということをいい続けてきたせいもあって、いま自分がやるといっていたテーマにどきどきする疑問がなくなってしまったので、テーマを変えたいという。いいなあ、でも、大丈夫かなあ・・食べ物とアーツの関係論を一人がつぶやくといろんな話題が生まれて、別の学生もそれがしたいなあとか思うというのである。面白い。でも、時間がねえ。
帰って、アマリア・ロドリゲスの輸入版(2枚組み、(The art of)AMALIA RODRIGES)をじっくり聴く。
ギターが2本(一方はすこし違うものだっけ?)。一曲だけ太鼓みたいなものもあるが、シンプルにずっと彼女の声。同じようなのにけっこうあきない。メリスマの例示になるかなあと聞き出したのだが、そういう授業準備のことを完全に忘れてしまう。意外に軽快な曲も多くて、それはメリスマがほとんどなくシラブルなのは納得。