「ワークショップはおもしろい」というチラシの言葉引用とコメント
2010年 07月 22日
青山学院大学の佐伯胖(さえき ゆたか)教授の言葉がいいなと思ったので、青山学院大学、大阪大学の共同事業「ワークショップデザイナー育成プログラム」ちらしより、抄録
ワークショップがめざすべきことは、“しがらみ”をとくことである。(中略)
ワークショップでは、人々を・・・「学校化された学び」から解放し、・・・
他者とともにつくりあげる「おもしろいこと」のために、自分自身の内側からわき起こってくる「知りたい」、「学びたい」、「つくりたい」という根源的な能動性を回復し、
「ほんとうの学び」の「おもしろさ」に目覚める。
「ほんとうの学びって、実に、おもしろいものなんですねぇ・・・」
この実感をみんなものにするのが、ワークショップの目的なのである。
[コメント1]
ワークショップがおもしろい、というのは結果としてそうなのだろうが、
じつは、学びこそおもしろい、ということがワークショップで可能になるよ!ということで、
ワークショップを主語にしたり、目的化することは、ワークショップ原理主義になってしまうおそれだってあるかも?
[コメント2]
「学校化」されないワークショップを大学とか小学校という学校でするというあたり、実にスリリングでそのせめぎあいが脱学校化とかいわれたころとはまた違ういまの時代なのだろうなあ・・・学校そのものがつねに脱学校(学校の相対化)をはらむような機構としてのワークショップの意味論かな?
[コメント3]
いずれにせよ、学生にテレビ政治解説みたいに複雑な関係を捨ててわかりやすくとか、無駄にビジュアル的な工夫で興味を刺激したりとかいうような、安易なことでおもしろく学ばすのではなく、学び自身がおもしろくなるようになるような場が、ワークショップということについては、賛同します。
[コメント4]
学びのワークショップはそうだとして、アーツのワークショップはどうか。両者の異同。学びは創造的、アーティスティックということと、アーツの学習、習得の関係が気になるところ。
[コメント5]
少し論点がずれるが、社会教育分野、あるいは、生涯学習論のなかで、ワークショップって議論されているのだろうか。アーツセンターにおけるワークショップの分類は、創造支援型(創作者、実演者のためのもの)、鑑賞支援型(アウトリーチを含む)、芸術道具型(アーツを手法として、コミュニケーションの誘発や自分の再認識やコミュニティづくりなどを行うタイプ。社会批評的なものコミュニティコンシャス的なものを含む)などに分かれるだろうが。
場・精霊・アートとパブリック・アートプロジェクトのその後。
滋賀会館の放課後2010をしたことで、実に興味津々でした。
本日、ワークショップデザイナーカフェ、開催です。
ワークショップでは何が起こっているのか?
ワークショップにも、ジブリやディズニー的な面があると思います。
これをすればワークショップだ!ワークショップは楽しいものだ!みたいな。
氾濫しています。
その中で、自分が考えるワークショップを他者とのやりとりから新しい発見・また再発見したいと思います。
どうも、面白かったですねえ。久しぶりに雷児節が聞けたのが一番楽しかった。岐阜からの院生がいたので、鶴橋で授業の打ち上げのため最後は失礼しました。いやあ、今日は体重を減らすため絶食(笑)
雷児節。
身体と話のリズム・呼吸がラップみたいで面白かったです。
山田さんの土地を分ける線、境界線→常世・あの世は興味津々でした。
話す人の身体・声・スピードの違いで覚醒したり、寝てしまったり…。
ワークショップデザイナーカフェも終了しました。
ではまた。
失礼いたします。