父親の葬送:11/13通夜、11/14葬儀
2004年 11月 15日
14日は、親父たちがゲートボールをし、お袋たちが民謡を習っていた野田コミュニティセンターにて。
みんなで「赤とんぼ」を唱い(はなやさきが率先して歌ってくれました)、
そのあとのお別れ(花をお棺に入れていく儀式のときです)では親父も唱っている「赤とんぼ」「ふるさと」のコーラステープを流しました。
つまり、ささやかながら、音楽葬の要素も取り入れて、近所づきあい重視型のお葬式をしたことになります。
いま家の庭には親父がかわいがっていた柑橘類の実がたわわになり、塀からこぼれて路地にでていて、まだまだ親父がいなくなったという実感はわきませんが。
霊柩車もいまでは少数派になろうとしている宮型です。この形は大阪の葬儀社が開発したものですので、(なくなるときぐらい贅沢に、というような)庶民の夢を乗せてきた、いささかキッチュな地域文化なのだろうと思います(北ではライトバンが主流だったとか、霊柩車の使用も、宮型の飾りも地域差があるのです)。
なお、11/14は、京都橘女子大学にてイラストコンテストの審査会とトークショーがあり、100%ORANGEさんや田辺剛さんに来てもらっていたのでした。3人にはずいぶんとご迷惑をかけました。田辺さんのサイトが見つかったので、トラックバックしますね。
>そのあとのお別れでは親父も
>唱っている「赤とんぼ」「ふる
>さと」のコーラステープを流し
>ました。
な~んだテープですか。うちは親族一同で合唱しましたよ。唱歌『ふるさと』。わたしが喪主を務めたお葬式でのことです。
そのあとに、お花を入れて送るときに流したテープは、生前の親父たちが老人コーラスで歌っていたもの(カーネギーホールでのものだったか、ウィーンでの演奏だったかは分からないのですが)。こぐれ