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水の会最終公演「サン」ウイングフィールド&糸賀一雄記念賞第十回音楽祭のリハ

2011/11/26(土)
イベントデザイン論受講者でとっても活動的なおーちゃんが、午前中だけでも、糸賀一雄記念賞第十回音楽祭のリハーサルを鑑賞したいということもあり、すこし遅れたが、11時過ぎに、栗東芸術文化会館さきらへ到着する。うーん、土曜日なのに幾分広場にも子供たちが少ない、そんな気がするな・・

リハを見るのは何でもそうだが、かなり勉強になる。こうして、立ち位置が決まり、出入りのこと、照明、音響のチェック、楽器の位置の確定・・・とりわけ、本番は絶対に聞けないナビゲーターの思いや本番へ向けての気持ちの引き上げ方が分かってかなり美味しいものである。もちろん、通し(ゲネプロ)である明日の午前中にどう変わっているか、そして、本番と、今年は3度(見られていないワークショップグループもいるので2度のところもある)、その変化に立ち会えるのである。

ただただ鑑賞しているこちとらは、周りの方々(西川さんや山之内さん、そして、お名前失念したが舞台監督さん・・・)はほんとに大変なので、まるですることはないので、当日のナレーションをされる方に少し読み方などで判らないことがあったらどうぞとかそれぐらいで、あとはひたすら、学生たちがこの様子、とくに、午後、しげやんのグループなどのために明かり調整(赤いフィルターが追加など)があり、バトンが降りてきたり、タワーみたいなものに女性照明家が登ってそれをまた女性の照明デザイナーが指示しているという、ステージワークに興味がある学生には垂涎ものの調整もあった。

北村成美さん率いる湖南ワークショップグループは今年モチーフを宮澤賢治ということもあり、どひゃっと「注文の多い料理店」と来た。そして、寒いので(たぶんw)なべ・・・大きい。あんまり書くと本番の驚きがなくなってしまうから書けないが、まあ、すごいのだ、その具体的なイメージメイキング、創発的な脱臼さが。

連句の面白さ、いやもう川柳が連歌しているって感じだなあ。参加者が好きなこと、日常とかがこうもシュールに変容するなと思うのだが、これの極めつけが、今回、特別にできた創発ワークショップステージであり、スペシャルなのだが、最後まで見ていなかったし、やはり、一回見て何かを言うというよりも、そういうことの場づくり自体がステキだなあ、でもやっぱり、もう少し時間がいるなあという感じでもあった。

アサダワタルさんのナビゲートプラスドラマーとしての確かな技。フレデリック・スーリスさんの音響の種とかカスミみたいなものをひろいあつめるような、控えめな感じの空間変容的空気づくり、代島治彦さんの日常を切り取った暖かい映像が流れるという場に、なんと、前半は、16歳17歳の信楽学園の若者だけが無防備に絡むので、これは、いやあ、よく無謀にもやったものだと思うが、きっと当日になれば、その参加していることが苦にならないようになって、多分、かなりのメンバーがやってよかったなと思うことだと思う。そういう波がパフォーミングアーツの現場のマジックだったりするから・・・

そうそう、合同でフィナーレのシーンの場当たりがあったが、これは秘密。いやあ、ぼくも飛んだ(笑)。

あわてて、難波へ。ウイングフィールド。超満員。こういうとき、いつもスズナリで大人計画を見て、こむら返りをこらえて3時間、明仁天皇とか、創価学会とかが満載された作品を観た身体の思い出が蘇る・・

これもまた同じように熱くすごい作品だった。水の会最終公演「サン」。2時間。二人芝居3本立て。
それぞれ35分ぐらいかな、間にきっちり7分の休憩。その間に、舞監の塚本修さんや原さんたちが場転をする。これを見るというのもまた味わいがあって、それも含めて演劇ライブの醍醐味だなとまた思ったりする。

すべての演出は、中村賢二さん(作品はこの水の会最終公演のために書き下ろされたもので、空の驛舎の中村さんは「quiet sun」、虚空旅団の高橋恵さんは「きらきら桟橋」、そして極東退屈道場の林慎一郎さんは「サンスー」)。

最終というのは、原真さんが広島に行くということで、この劇団は解散するという。
3名のそれぞれがとてもチャーミングで個性的でしかも様々な公演にゲストで呼ばれ、あるいは、プロデュース公演の核として大活躍されてきて、関西の演劇界から、少なくとも、あと二人の得田晃子さんや井尻智絵さんは引き続き活躍されるのだと思うし、原さんも、中国地方などで、時間ができたらお芝居の活動はきっと再開されるだろうなあとは思いつつ、とりあえずの中入り休憩ということで、こんなに素敵な二人芝居が3本も見られたということをまずは寿ぎたいなと思う次第。

「サンスー」はほんとの最後だなという作品であり演出だった。短いのにまたいろんな断片がいっぱいコラージュされていて、はじめ、博物館かな?と思っていたら、精神分析の場であったり、もういろいろ。でも、ぼくはファミコン世代ではないので、そこだけは笑うことがちょっと出来なかったが、最後をコミカルに終わらせるってとてもいいなと思った。

湖や火事との対比としての消化など、「水」のモチーフがふんだんに出るのでだから、水の会のためにあて書きされたのだとは思った「きらきら桟橋」。
登場する女性二人(得田晃子、井尻智絵)の哀しい感じって、三人姉妹のお姉さんがちょっと遠くにいる(暖炉があるらしい)こともあるし、チェーホフ的でもあって、でも、歌がまた哀しいのに面白い。いやあ、歌があるお芝居ってもっともっと拡大して、例えば、歌あるお芝居フェスティバル、でも、いわゆる「ミュージカル」じゃなく、っていうのがあっていいなあと思いながら見つめていた。小さな時の記憶の問題という重い話の狭間で・・

最初の「quiet sun」が、水の会のために書かれたというのは、パンフなどを見てそうだったのかと思った次第で、小学校教師の原真さんの裏表が極端な変化、小6の男子をたぶん一人持つお母さんのもう終わった感のあるなかでの激しさを、丁寧な会話劇で紡ぐ。

もちろん自分はこういう作品が個人的な好みだから仕方がないが、もうこういう形で二人がお芝居することが当分ないということが信じられないし、役者という媒体がどれほど貴重な存在かと思いつつ、あすなろ学級の子供を全身でお世話しようとしていじめたりいじめられたりしたというシチュエーションにもまたココログサリだった。

よりそうことの大切さと難しさ。卑怯な自己正当化。本気で叱ることのむずかしさ。これはほんとに自分自身のことを言われているようでもあり、何も変わらなかったではないか、ということではないのだということもまたよく解ったと思う。学校演劇、学級が演劇に取り組むことについての言及もまた大切なことだったし・・

by kogure613 | 2011-11-26 23:39 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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