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アーツコンペin中青の準備 紙芝居昭和史

断酒暦33日。
でも、いつも夕食後、風呂湯上りで計る体重が72.0kg(体脂肪率19.0%)で、これには、がっかり(70kgを目標にしていたのが、また退歩)。
大阪市立中央青年センターに来ていたアーツワークスの鈴木さんにも言われたが、かわりに甘いものを食べてしまうので、せっかくアルコールを抜いても、体重が変わらないのだ。「50歳からの男バレエ入門」というぼんやりした個人的な計画があるのだが、この体型では、始めるのすら、危うい感じがする。

第6回目のアートマネジメントセミナー。政策班が提案するアーツ・コンペ予定者についてのプレゼンがあり、言語化チームや技術チームなどによる質疑応答が続くという実技に向かうセッション。参加者は先が見えなくて不安げではあるが、こちらは、なかなかに面白い。

昨日読んだ本。加太こうじ『紙芝居昭和史』岩波現代文庫。2004.8.1971年に立風書房より刊行されたもの。紙芝居画家(兼作家であり、戦前戦後を紙芝居とともに歩んだ中心的人物)である加太が鶴見俊輔のアドバイスで自伝みたいなところから文章を書き出したという。固有名詞が満載で、すでに滅びてしまった街頭紙芝居の貴重な歴史資料であろう。ただ、実物が見たくなるし、語りも一度は再現してみたいなあという気持ちが高ぶる本。

戦前、政府の検閲が始まったために、台本をいままでは作らずに口移しで紙芝居説明者に教えていたが、裏などに書くようになったことなど、文化政策(取り締まり)が、芸能の様子を変更させる事例として面白いもの。紙芝居製作所が集まって大日本画劇株式会社が出来たので、いっぺんやってみたかった争議を行う(形はストライキではないことにして官憲から逃れる)くだりなど、ちょっと加太の手柄話のようでもあるが、戦後は親分として問題があったと殊勝に書いていたりするのも何とも味がある。

紙芝居屋(紙芝居説明業者)の変質についての以下の記述も、紙芝居の目的などを考える際には、よく参照されるものである。P111~2
紙芝居を説明して子どもを楽しませるというだけではなく、昭和11年頃からはオマケとして売る食品の選択や売り方について紙芝居屋の多くが注意するようになった。それは街の芸人から、子どもの遊び相手としての行商人に紙芝居屋の質が変化したことを意味する。昭和8,9年の固型飴、それにつづく水飴の時期の後で、昭和10,11年には紙芝居屋の符丁でいう新ネタがふれた。水飴は、はじめは割箸を二つ折りにしてものに巻きとって売るだけだったが、10年ごろから、割箸を2本にして、こねかわさせて一番白くなった者には商品をやるという商法がもちいられるようになった。・・・・

Tracked from アーツな京都橘大学へ at 2005-02-07 10:26
タイトル : 加太こうじさんは紙芝居研究には欠かせない証言者の一人のよ..
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by kogure613 | 2005-02-06 22:24 | こぐれ日録 | Trackback(1) | Comments(0)

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