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園子温『ヒミズ』、二階堂ふみが出ていた平清盛、芸術営としての装幀考

12/30(日)
昨夜、園子温監督映画『ヒミズ』(130分、2011年制作、2012年1月公開)を観て、引き続き、朝メイキングを観た。
15歳の中学生の男女を主人公にしている映画というのは、ほんとに最近見ていないなと思った。そして、あまりにもしっかりしているのに驚く。しっかり、というか、落ち着いているというか、あまりにも家族がめちゃくちゃなので、相対的に大人が壊れていて幼稚だから、何もしない中学生がしっかりしているように見えるだけなのかも知れない。

大人をいかに反面教師としてクールに眺め自分たちで未来を作ることを指向できるのか。絶望99%が希望の1%よりも重いとは限らないなと観ながら思った。

原作がある作品というのは、園子温作品には珍しいということ。『希望のくに』のまえに、被災地を舞台にしたフィクション映画を撮っていたということなので、もう一度、DVDでいいので、『希望のくに』を観て、双方を通して考え感じたいなと思う。

俳優と格闘する園子温監督を観て、10代の主人公ふたりの姿がまた観たくなって、また、二人の映像を観た。渡辺哲という俳優の顔はよく知っていたが、はじめてちゃんと名前を覚えた。年齢が想像していたよりもずいぶん若くてびっくりした(60歳を少し越えたぐらい)。

自首してと茶沢(二階堂ふみ)が、住田(染谷将太)に言うシーンが何度も繰り返されている映像などを観たからであるが、紀子の食卓、愛のむきだし、恋の罪と長い映画なのに、メイクングなどの特典も丁寧に観てしまうところが、ドラマであるとともに、激情するドキュメンタリー的な創発性まで観てみたいと思わせる映画だからだろうと思う。
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録画していた平清盛の最終を観る。いい歴史大河ドラマだった。久しぶりに全部観たなと思う。平家の徳子役が、二階堂ふみだった。

以下、いまちょっと書き出しているものだ。

【芸術営としての装幀考-文学の装本・ブックデザイン-】 書きかけ
はじめに
文学におけるアーツマネジメントとはどのようなものだろうか。文学という芸術領域においては、アーツマネージャーはどういう役割を持つのだろうか。

本稿では、以下、アーツマネジメントを「芸術営」と呼び、アーツマネージャーを「芸営者」、アーツマネジメント研究を「芸営学」と呼びつつ、芸術営としての装幀、文学の芸術営的視点における装本と造本、芸営者としてのブックデザイナーについて考察することを目的とする。

芸術営とは、ひとことで言えば、社会と芸術との出会いのアレンジメントであり、芸営者は、芸術の創作や鑑賞を促進し、芸術と社会との媒介に携わる職業家である。日本において四半世紀は過ぎた芸術営をいま概観するとき、文学を中心とする言葉の芸術、言語芸術については、これまであまり話題にならなかったことに気づく。

芸術営について、主にいままで、美術をはじめとする視覚芸術の芸術営や音楽・演劇ダンスなどの実演芸術の芸術営が考察されてきたのは、芸術の容れ物が鑑賞者と芸術作品を包含する程度には広い空間が必要であり、個人の芸術鑑賞が個人の中にとどまらずに、集合的な形であったからであろう(パーソナルメディア視聴の台頭はあるにしても)。たとえそれが映画のように営利的市場でほぼ完結する市場芸術においても、本来的には実演芸術や視覚芸術が都市的、社会的存在であり、その多くは公共的な政策としての芸術営の必要が強かったのである。

歴史的に見れば、18世紀のヨーロッパで文芸批評がコーヒーハウスやサロンという公共圏において生まれたという歴史的考察があり、連句のような日本における座の文学という伝統もあった。現在においても、文学の博物館としての文学館運営についての研究は行われていたし、詩人自らによるポエムリーディングや俳優による小説の朗読公演が実演芸術の隣接領域としての意識されることはあった。

偶然、副査を担当した学生の卒業研究で「装丁」が電子出版にどのように影響されるのかというテーマに遭遇し、芸営学の領域になるのではないかと思いつき、家にあった菊地信義の『装幀談義』(1986)をそういう視点で読みなおした。以下、菊地信義の装幀論を中心にしつつ、装幀の歴史などにも触れながら、文学出版における編集者とともに、文学書の装幀家を文学の芸術営における重要なプレイヤーと仮定して、装幀というデサイン行為が、社会に文学という芸術を伝えるため、どのように貢献してきたのかについて、考えてみたいと思う。

 なお、以下では表記を「装幀」と統一するが、「装釘」が古い表記で、20世紀に入って「装幀」と呼ばれることが多くなり、戦後は当用漢字制度のなかで、「装丁」となった。『新明解国語辞典 第五版』(三省堂、1997年、p805)によると、「装丁」のもとの用字は「装訂」で、書誌学者によると「装釘」も「装幀」も誤用とする、とある。この辞典の装丁の意味は、“1)書物をとじて表紙をつけること。装本。2)造本上の意匠・デザインや技術」である。

(1)装幀論
1-1 表記について
辞典にもあるように、装幀(装丁、装釘、装訂)は書物のデザイン、装本である。装うの「装」には、身支度や旅支度、つつむ、たばねる、取り付ける(装置)などの意味や、「しくむ、整える。うわべをかざる。似る」などの漢字の意味がある(『漢字林 改訂版』(大修館書店、1987年、p892)。「装」の意味をみると、読書を誘い、文学の鑑賞を仕組むために、整えるということが納得的になる。

 「装」に対して、「幀(丁、釘、訂)」は、様々な漢字が使われるように若干揺れているのかも知れない。「幀」は『漢字林 改訂版』(p319)によれば、絵絹を木わくに張ることや、かけものを仕立てること、あるいは、書画のかけものを数える語で、一幅を一幀(とう)というそうなので、「丁、釘、訂」が頑丈に固定するイメージがあり、それを避けるという慣用が戦前にあったということだろう。

ブックデザインと表記する場合は、明確に本文などの全体的コーディネートが含まれることが装幀という表記よりも全面に出る。出版界の慣習としてあった本文文字組みは編集者の領域という従来の役割分担を崩すことを意図して、装釘からブックデザインへ、というような言われ方もしたという。結局、ブックデザインを日本語にすると「装本」なのかもしれない。

演劇の「制作」は資金・スケジュール管理、広告などを行う役目の芸営者である。したがって、編集者は文学の「制作」的芸営者で、この編集者と舞台芸術の美術・照明・音響などの技術監督的役割の装幀家とが一緒になって、文学の芸術営としての「造本」が可能になると考えてみたい。
チラシやHPの宣伝美術に対応するのは、文学書の宣伝媒体全般であるが、とりわけ興味深いものとして「帯」があり、これは、チラシの役割にずいぶん似ていると思われる。

1-2 装幀についての言葉
装幀とはどのようなものか、装幀家や装幀関係者の言葉から拾っていく。

1962年生まれの鈴木成一(2010)の「はじめに」(p1-3)より。
「個性をちゃんと読み込んで、かたちにする。飾りで読者の気を惹くのではなく、その本にとっての一番シンプルで必要なものを明確に演出する。そのときに、いかに自分が新鮮に思えるか、わくわくできるか、ですね。」
同じ本の「おわりに」(p236-237)より。
「装丁というのは、作家として自己表現するのではなくて、本の個性をいかに表現してあげるか、ということなんですね」。「編集者と一緒に作っていくものなので、彼ら彼女らの直接の反応が重要なんですね。読者の反応って見えにくいですから、まず目の前の編集者を喜ばせる。そうすれば、その先にいる読者にもつながっていく。」

1939年生まれの長友啓典(2010)の言葉より(p14-15)。短い装幀についてのエッセイがまとまられている新書からである。
「雑誌はページをひとつずつ積み重ねていって、その結果、全体を作り上げる。一方、書籍の装丁は「本」というパッケージ商品を作ること」。「書き手の作り上げた世界を汲み取って、表紙から中身まで全体のイメージを描き、紙から書体、それぞれひとつひとつを選んで決めていく。」

昔は特に画家や版画家が挿画だけではなく装幀をもしていたという例が多かった。1936年生まれの司修(2011)において、「装幀は、ぼくが絵を書き続けるためのアルバイトとしてはじめた」ものだったという。この書物には、司が装幀した15冊の本について、文学者との出会いが書かれている。そして、出版社の熱意ある編集者とのタッグマッチがあり、本そのものの魔法にかかってしまう過程が綴られている。

1-3 レビューと批評
装幀家自身の言葉とともに、外からの評価やレビューがどのようにあるのかにも触れたい。
まず、講談社出版文化賞・ブックデザイン賞が、装幀の重要な顕彰制度である。この講談社出版文化賞は、1970年から毎年授与されていて、さしえ賞、写真賞、ブックデザイン賞、絵本賞からなりたっている。受賞年順で本稿に関わる装幀家などを中心にピックアップすると、亀倉雄策(1970),杉浦康平(1971),田中一光(1973),原弘(1975),司修(1976),横尾忠則(1978),平野甲賀(1984),戸田ツトム(1985),菊地信義(1988),鈴木成一(1994),祖父江慎(1997),長友啓典・十河岳男(2006)、大久保明子(2007)という面々であり、錚々たる装幀家が受賞していることがわかる。

1943年生まれデザインジャーナリストで装幀史研究の臼田捷治(2004)によれば(p7)、「本がデビューを果たして書店の店頭と出会うとき、読者に最初の選択の手がかりを与えてくれるのが、本の内容との触媒となる装幀であ」り、「装幀は、文章を束ねてひとつの構造体としてまとめ上げるとともに、署名と著者名、出版社を明らかにし、それに挿画や写真をからめて内容を視覚化することで、読者に本を手に取る行為へといざなう」ものである。
さらに、装幀(ブックデザイン=造本)は「本のサイズとか厚み、重み、手触り感といったオブジェとしての魅力」「本自体が帯びるメチエールの誘惑。これらの複合する材料感を包摂するかたちで装いを付与する」。
 また別の書物で臼田捷治(2003)は、装幀を次のように愛で、その愉悦について語っている(p8)

函やカバーの用紙の材質がそなえる手触り、見返しのハッとするような色調、ページを繰るときのかすかな紙すれの音、ほのかにかぎとれるインキの匂い。本に固有の感触と物性は語感を刺激してやまない。ときには、『花ぎれ』(背の内側上下に貼る布)のような極小世界の色模様の選択にも、装幀者の息遣いが聞きとれるときの新鮮な驚き。また、タイトルとか扉、目次の活字の精妙な配置、そして本文の美しい活字の流れ。その本文にさらに立ち入れば、活字の書体とサイズ、一行の字数、行間、紙面のなかでの余白の取り方などに配慮が行き届き、奥付にいたるまでのすべての要素が、交響楽の流れる旋律のようにみごとに調和していることを確認したときの喜び……。


「交響楽」としての装幀論、いや、装幀芸術の鑑賞というジャンルだって考えられるし、装幀術を一つの批評領域に入れることは可能であると思う。




【芸術営としての装幀考-文学の装本・ブックデザイン-】

文献

・臼田捷治『現代装幀』美学出版、2003年
・臼田捷治『装幀列伝-本を設計する仕事人たち-』平凡社(平凡社新書)、2004年
・菊地信義『装幀談義』筑摩書房、1986年
・菊地信義『新・装幀談義』白水社、2008年
・菊地信義『樹の花にて―装幀家の余白―』白水社、1993年刊行⇒2000年、白水Uブックで再発行
・菊地信義『みんなの「生きる」をデザインしよう』白水社、2007年
・菊地信義+フィルムアート社編著者『装幀=菊地信義―本の肖像 書物のドラマ』フィルムアート社、1986年
・小泉弘『デザイナーと装丁』印刷学会出版会、2005年(デザイン製本シリーズのデザイン製本①)
・庄司浅水『日本の書物 古代から現代まで』美術出版社、1978年
・鈴木成一『装丁を語る。』イースト・プレス、2010年
・竹信悦夫『ワンコイン悦楽堂-ミネルヴァの梟は百円の本に降り立つ-』情報センター出版局、2005年
・司修『本の魔法』白水社、2011年
・戸田ツトム『森の書物』発行:ゲグラフ、発売:河出書房新社、1989年
・長友啓典『装丁問答』朝日新聞出版(朝日新書)、2010年
・平野甲賀『平野甲賀〔装丁〕術・好きな本のかたち』晶文社、1986年

・菅原正晴編集『ブックデザイン 復刻版』ワークスコーポレーション、2006年(2003年、2004年にBOOK DESIGHN Vol.1・ Vol.2として刊行されたDTPWORLD別冊BOOKを編集増補して合本。オリジナル編集は、津田淳子)・・・「現代装丁史」(工藤強勝と臼田捷治との対談)、「大久保明子のブックデザイン」ほか
・『季刊デザイン d/SIGN nol.1-特集 紙的思考-』発行:筑波出版会、発売:丸善出版事業部、2001年8月・・・菊地信義「装幀・菊地信義…私性と共同幻想のあいだ」、「紙を風景に延長する 戸田ツトムと鈴木一誌との対話」、佐々木正人「自然のデザイン原理◆1 包囲光、複合されたレイアウト」ほか
   
by kogure613 | 2012-12-30 22:42 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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