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人体の解剖展示 中也と小林と泰子と富永

断酒暦101日。70.8kg,19.0%(体脂肪率)。
立命館大学アートマネジメント論の2回目。250人ぐらい。
2時限目というのは、どうしても早く終わらなくちゃと思うのと、12時で終わりと間違うので、予定よりかなり進度がゆっくりしてしまう。アーツマネジメントの定義をいくつか話しているうちに終わった感じ。最後はこれからの展開に関わる少し具体的な説明:1)アーツ・ファンドレイジング、2)オーディエンス・ディベロップメント、3)ニュー・ソーシャルネットワーキング。やっぱりアーツマネジメントがそもそも西洋から来たものなので、カタカナにどうしてもなってしまう。ただ、NO-MAの去年の報道を見てもらったのはよかった感じがする。映像の力は確かに侮れない。

いただいていたチケットで、『人体の不思議展』。京都文化博物館。こわいもの見たさの見世物小屋とどう違うのか、一度確かめようと思ってうかがう(鑑賞者の好奇心という面で共通する部分があってもそれはそれだとは思うが)。2名の大学院生ぐらいの人が聞くと丁寧に解説してくれる。4階にいた女性は、脳について(脳は最後のところでその重さを実際に手で確かめるコーナーがある)解説してくれる。頭蓋骨に豆腐のように浮かんでいるのだそうで、脳から作られる液体は頭上ちかくにある静脈などから心臓に送られていく。

3階の男性には、もととなった遺体について聞く。日本以外の中国などアジアの人たちのものだそうだ。国内では到底出来ない、と。江戸時代に、蘭学者たちが徒刑場に行って腑分けしていたことを思い出す。ちゃんと本人(胎児は別として)や遺族の了解はあるのだろう。それに、臓器など内部のものには個性はなく、ただ、人類標本としてのものだと割り切るといいのだろう、が、なかなかに割り切れない気持ちになってしまう。だって、生きているときの環境などが分かる部分もあって、複雑な気持ちになるから。肺が黒ずんでいるのは、タバコのせいもあるが、煤けた労働環境などとも関係があるのではないかと言う。

商魂というのではないかも知れないが、DVDや冊子、絵葉書などグッズも充実。結局、私たちは、自分のこと、自分の身体の中が一番知らないし興味があるのだ。とりわけ、ぼくには脳とその神経が自分の目の前にあることに興奮した。小さいとき、自分の脳を開いて、それを鏡で見る(見られている脳が見るという機能を果すという自己反復的行為)という状態を想像しようとして、くらくらしたことが何度もあったので。

ゆっくりと、ピッコロシアター中ホールへ(各駅停車などで、駅内読書。いま読んでいるのは、吉見俊哉『万博幻想―戦後政治の呪縛』ちくま新書、2005.3)。西宮北口に10月やっとできる兵庫県立芸術文化センターのチラシが挟み込まれていたが、みんな音楽のものばかり。山崎正和顧問もずいぶん待たされたので、結局、佐渡裕芸術監督というわけ。これだったら、びわ湖ホールとあんまり変わらない感じ。無難なのだろうし、演劇環境としてはピッコロがあるからいいともいえるが。

兵庫県立ピッコロ劇団オフシアターvol.12『汚れちまった悲しみに・・・―Nへの手紙』。作:鐘下辰男、演出:眞山直則、19:03~20:45。時間的にちょうどいい。このまえ、石川啄木を題材としたコメディを見たが、これも30歳で死んだ中原中也(孫高宏)と中也の女泰子(平井久美子)を奪った小林秀雄(吉村祐樹)の関係を中心とした文学青年もの。25歳で亡くなった富永太郎(奇異保)が新鮮だった。ダダイズムとダンディズムが混淆して、バンカラが文学。そして、鍋を靴にして歩いたりするのね。

政治的な部分は、練兵隊を見る部分で少しだけあるぐらいだが、嫌な時代になるというつぶやきは、いまのものでもある(個人情報保護法が4月から施行されたのだが、それとの抱き合わせで~個人情報の保護を「奇貨」として~組織忠誠心や職場のインターネットチェックを強化するという管理支配者側のお達しなどもきっと~ここでもあそこでも~各地で色々あるのだろうね)
by kogure613 | 2005-04-21 23:53 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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