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アウトサイダーライブ論に関して興味深い質問をいただいた

11/26(火)
行政学、地方財政論。
大学院授業。
これからの授業準備ほか。
部長会のあと、2つの会議。
そのあと、新2回生ゼミの仕事。


アウトサイダーライブ論に関して興味深い質問をいただいたので、返答した。その返答要旨をメモ:
①めくるめく紙芝居の手法について(障碍者とアーティストの関係)

前には(林加奈さんが中心だった頃)、障碍者が話す言葉を採取して、そこからストーリーを紡ぐということも、部分的にしました。ストーリーづくりに、障碍者が参加することもあるし、しない人ももちろんいます。
ダンスのワークショップでは、ダンスのシークエンスを構成するパーツをそれぞれ出して、つなぐところを、アーティストがすることが多いですね。
構成にまで、障碍者だけで行うのは、いまのところ、メックではできない状況ですが、アウトサイダーライブのなかでも、即興音楽は可能です。メックも即興音楽を林加奈さんがいたころはよくやっていて、一回、したことがあります。

②先端芸術などへの社会的公的投資について

営利市場で成立できないものを、ソーシャルビジネスで可能ではないかということは私もいつも思っているのですが、こちらのフィールドの成熟を待っているところです。
クラウドファンディングについても同様です。

③先端芸術と大衆芸術に関して

大衆芸術へ先端芸術が接合することもあることを否定することもないのですが、やはり、先端芸術は専門芸術として伝統芸術に残ることを大目標としつつ、限界芸術を刺激することや、社会を揺るがすことをやっていくのが本筋だと思います。

④障害者アートとの関係について

非専門家が行う芸術行為として定義できるアウトサイダーアーツがあって(限界芸術はその享受者も非専門家なのですが、アウトサイダーアーツはそうでもないことが多い)、そのなかの一つ、実演芸術部分をアウトサイダーライブとしています。ボーダーを超えたり無くしたりする運動はとてもいいことだと思いますが、もともとボーダーが無いとすると、無意味になってしまうので、ボーダレスアーツというのはなく、アーツのボーダレス化という社会的営為があるということだろうと思います。
障碍者がすべてアウトサイダーアーツをしているということについては、身体障碍者はもちろん違うでしょうし、精神障碍者でも、もともと美術の素養があった人たちも結構いて、なかなか一筋縄ではいかないなと思っています。
アウトサイダーアーツという定義をまずして(僕はアール・ブリュットも基本は同じという立場です)、そこに、郵便屋さんがずっと作り続けていたものとか、精神障碍者の妄想の絵画などがそれに該当するということだろうと思います。
一番さけたいのは、アートはなんでもだれでもできると一言ですましてしまうことで、それは、民法は「信義則」と「権利の濫用」と「公序良俗」ですべて済ませてしまうのと同じことになってしまうからですし、市場の評価以外にものは、趣味でやっているから、社会公共的投資が不用という流れになってしまうのを避けたいからでもあります。もちろん、エイブル・アートも福祉運動としてはいいのでしょうが。
by kogure613 | 2013-11-26 23:40 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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