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わが国における地域の芸術環境整備はどのように行われてきたか【未発表】

わが国における地域の芸術環境整備はどのように行われてきたか

―その制度と実際、実演芸術と公立劇場との関係を中心に―

京都橘大学 小暮宣雄

2015.8

はじめに ―「ふるさと一億円事業」から―

1 論稿の趣旨

この論稿では、戦後の日本において、「地域芸術環境整備はどのように行われてきたか」という問いに対して、半分は、自らが地域芸術環境づくりに関与してきた参与的記録として、半分は地域芸術環境研究のための事例や制度の資料として記述し考察することにしたい。主には、四半世紀ぐらいのあいだに筆者自らが公務員時代に関わって実行した事業、組織についてと、退職後、大学教員になってから、芸術政策に関する法律制定などに際して考えたことなどについて、実演芸術と公立劇場との関係を中心に述べていく。

ここで、芸術「環境整備」、あるいは、芸術「環境づくり」というのは、芸術の創出と享受は個々の人びとが主役であるからである。地方公共団体や公共的団体、アートNPOなどの地域主体が行うのは、その芸術へ向う人びとの行動をサポートする環境づくりや情報提供、機会づくりであり、そのことを明示するため、地域芸術環境整備などというのである。

なお、わが国の「芸術環境」には、各地の芸術を享受し創造する場としての芸術場(アーツプレイス、アーツベニュー)と芸術団(アーツカンパニー、ただし個々の芸術者を含む)、そして、芸術環境に関するサービスオーガニゼーション(筆者は「芸術援」と名づけている)を含む。ただ、日本では芸術団の制度支援やその実態研究の総合的にはあまり進んでいない状態であり、芸術環境整備も、比較的整備と支援制度が進んだ芸術場が中心であった。

したがって、地域の芸術場とは、一定の地域(各地方公共団体の広がりを指すことが多い)の美術館やアトリエ、画廊と劇場、音楽堂、多目的・多機能文化ホール、稽古場を指す。「地域」とすることで、国立の美術館や劇場、能楽堂など全国をカバーする芸術場に対比することになる。



2 自治省における「ふるさと一億円事業」に携わって

 さて、自治省採用で主に地域振興と財政畑を歩んでいた筆者は、趣味として詩歌づくりや音楽鑑賞などを熱心に行ってはいたし、国土庁計画調整局時代に第3次全国総合開発計画の見直しのなかで「地域の産業おこし」論を展開するときに(霞町の古い西洋洋館にあった浜野安宏さんの商品研究所などによくヒアリングにいった)、地域のアイデンティティづくりの一環として芸術やエンタテインメントの意義は意識していた。とはいえ、仕事として芸術環境整備や文化政策に関係するようになったのは、昭和から平成に変わる時期(1989-1990)に、福岡県地方課長の職についたときからである。

 当時の仕事の一つとして、竹下登内閣が推進した「ふるさと創生」の市町村への指導という職務があった。これは、市町村に対して「ふるさと創生」関連の諸事業、特に地方交付税措置による「自ら考え自ら行う地域づくり事業」(いわゆる「ふるさと創生一億円事業」)のアドバイスを行いつつ、県庁にも配布された1億円を活用するというものであった。

 この県事業の一つとして、文化によるまちづくりを進めるための研修啓発的なシンポジウムを、小劇場演劇なども公演されていたおしゃれなイムズホールにて開催することにした(1989年のこと、秋ぐらいだったか)。シンポジウムのための準備期間には、地方課職員とともに、地域におけるユニークな文化施設や芸術文化イベントをいくつか視察した。

たとえば、シンポジウムで基調講演をしてもらう石山修武さんが設計した伊豆の長八美術館を視察したり、やはり石山修武さんなどが係わった宮城県唐桑半島における黒テント公演(蒲鉾工場跡での野外劇)や海を使った暗黒舞踏、エンヤトットの岡林信康さんのライブなどの視察を行ったりした。特に実演芸術を地域の自然や文化的遺産とともに味わう体験はとても印象深いものであった。

 福岡県から自治省に戻り、情報管理官室で地域情報化政策に係わったあと、その「自ら考え自ら行う地域づくり事業」の担当部署である大臣官房企画室課長補佐となった。この事業や関連するハード事業の内容審査を行うことになり、いわゆる文化施設がただの箱モノであって、内容がない、陳腐という批判を受けることになった。

 そのため、財団法人自治総合センターの宝くじ広報普及予算を活用して、「地域のステージづくり事業」という数市町村が共同して同じソフトプログラムを有する実演芸術の公演を実施する場合の補助制度を創設することにした。



1章 財団法人地域創造の創設

1 国土庁実施の「ステージラボ」からの出発

 その後、筆者は、企画室から通産省中小企業庁小売商業課に出向(商店街振興担当)、さらに、国土庁地方振興局に移動する。当時、海部内閣時代に作られた調査研究費が国土庁にあって、局長からそれを地域の文化振興に役立つ調査にするようにという指示があったために、まずは、ソフト助成とともに一番必要と思われた公立文化ホールの職員研修を行うためのアンケートや現地調査、そして、実験的な研修企画を行うこととした。

調査研究の委託先は、㈱社会工学研究所、その担当は西巻正史さんと石綿祐子さんなどで(当初は、ニッセイ基礎研究所に移った吉本光宏さん)、選んだコーディネーター(たぶんそう呼んでいたはず)は、カザルスホール関連で児玉真さん(アウフタクト)と夢の遊眠社の制作ということで知っていた高萩宏さん(かれは、セゾン財団の留学制度でアーツマネジメントを学んだということで当時有名だった)、そして、入門編は西巻さんだったと思う。

 それが、第一回の「ステージラボ」(19942月)で、その研修成果(基礎ゼミ)は、カザルスホールにおけるクラシック公演として一般の方々にも公開することとした(2/16)。その場で、たとえば、ワタリウム美術館の前の館長さんが話しかけてくれたり、いまも各地で活躍しているピアニストの向井山朋子さんがシュトックハウゼンの13番だったか、お尻で演奏するときに少し議論があったりと、いろいろ思い出深い。

 ステージラボは、以下でその設立経緯で述べるわけだが、設立された地域創造に引き継がれ、コンテンポラリーダンスを紹介しようとして、市村作知雄さんを起用して、ダンスのワークショップやアウトリーチ的体験(バレエと舞踏を実際に体験するとその両極端の世界観が実に鮮やかに感じられる)をしたり、ワールドミュージックの関係を紹介したりもした。ワールドミュージックということでは、富山県福野町立のヘリオスが企画するスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドは画期的なフェスティバルであったことも忘れられない。

 国土庁から、筆者のために設置されたポストである財団法人自治総合センター文化部長となって、新しい地方公共団体の文化政策を支援する財団づくりに本格的に着手する。現在、富山県知事をしている石井隆一さんが地方債課長(宝くじの担当でもある)だったことが大きく、石井課長が、静岡県総務部長のときに鈴木忠志さんに出会って惚れたのがこの財団の性質や名称を左右することになる。鈴木忠志たちSCOTTが、富山県庁も巻き込みながら、利賀村を拠点として世界的な演劇祭にしていることを例にして、文化政策として地域が主導するための財団ということで、地域と芸術創造というテーマとなり、名前の案をいくつか出した中で、地域創造ということになったわけである。

 筆者としても、文部省文化庁の設置規定によれば、日本の芸術文化の振興と地方への文化普及は明文化されているし、そういう施策がなされているが、地域(地方公共団体)が主体となって芸術の創造を行うという部分は、地方自治の本旨として白紙であり、そのために自治省なりが関与しつつ、地方6団体が中心となって、地域の芸術創造にための支援組織(サービスオーガニゼーションでもある)を作ることは問題ないということで調整してもらうことにした。



2 財団法人地域創造の設立と活動 ―「ワークショップ」や「アウトリーチ」―

 無事、財団法人地域創造が19949月30日に設置され、当初案では企画部という名称だったが、これを芸術環境部ということにしてもらって、人材研修部門と調査研究部門(レターと雑誌、調査研究書)を担い、他方、総務部には庶務のほか助成部門を置くということになった。人材研修部門は、国土庁で志向した「ステージラボ」の本格化がメインであり、その後、ミュージアムなどの美術関係のものや、フォローアップ研修などが付け加わっていく。

 地域創造の助成フレームにおいては、地域が主役となって行う芸術環境を構築するというプロデュース型の創造事業に3カ年継続助成とし、従来行政の宿命とされた単年度予算からの脱却を測った。また、先行的に自治総合センターで行っていた地域ステージづくり事業を継承するネットワーク事業助成も引き続き行うことになった。しかしながら、それらでは多くの自治体に助成金がまわらないという意見が出て(できれば、創造型とネットワーク型に絞って誘導したいと個人的には思っていたが)、単独事業についてもただの買い取り事業ではない場合は助成することになった。ただ、これは後に平田オリザさんらにも調査で指摘されたように、住民参加演劇とかオペラとかが多く、いささか問題もある助成フレームであった。

 なお、組織名に使った「芸術環境」という言葉は、衛紀生さんが、シアターΧの関係施設などで「舞台芸術環境フォーラム」という集まりをしていて、筆者もときどき参加していたことがあり、この「芸術環境」という言葉が文化行政として重要だと思っていたからであった。

 地域創造では、色々な専門家や芸術家とお話をし、勉強させていただいた。小劇場演劇の対話性、関係性の新しさやコンテンポラリーダンスの国際的な価値を教えてもらったり、舞踏のユニークさや能狂言、文楽の深い味わい、もともと好きだったフリージャズからより自由な音楽ライブの魅力を知ったりなどなど、書き切れない。

 山梨県で毎年開催されていたアートキャンプ白州(19931999、当時の事務局長は小幡和枝さん。その前は「白州・夏・フェスティバル」19881992は、利賀村と同じく、地域創造設立準備以前からよく知っていたプロジェクトで、まさに野外芸術祭(越後妻有大地の芸術祭の里や瀬戸内国際芸術祭など)の先駆け(舞踏は田中泯さんや堀川久子さんらが担っていた)であるとともに、「子供疎開」というユニークな制度があって(1日、1000円で野外芸術祭の間、子供たちがアーティストやボランティアらと一緒に暮らす)、次女がお世話になったり、そこにいた大学生を財団にスカウトしたりもした。

 また、公立文化ホール・劇場が創る芸術場(アーツプレイス)になるために必要な稽古場、アトリエなどバックヤードの必要性を強調したのも地域創造時代である。ここで最も大事だったのは、芸術監督と経営監督の役割の明確化、技術監督(照明や音響、舞台美術などの総括:公演の場合は舞台監督が担うもの)のクローズアップ、オペラ劇場では総督というようなそれらを統合するトップの存在など、芸術場の専門スタッフのあり方を研究したことだった。

 そして、美術館など視覚芸術の方が先行していたワークショップの実演芸術への展開、多様な企画は、ステージラボで実際に開発しスタッフ研修として体験してもらい、それを地域に持って帰ってもらうことによって根付いていった。

 また、福祉領域で盛んに言われてきた、施設ではなく地域におけるサービス(ノーマライゼーションの一環)形態である、「アウトリーチ」活動も、赤坂の地域創造のオフィスで、当時の水戸芸術館の学芸員さん(森司さんなど)や企業メセナの職員さん(熊倉純子さん)や大阪の文化農場などを主催していた橋本敏子さんなどと一緒によく議論し、内容を少しずつ明確化していった。

いずれにせよ、芸術場であるホール、劇場などでもその施設内にとどまらず、出前やお出かけ公演やワークショップ、クリニックなどが可能であり、このアウトリーチという活動は、地域創造などにおいて、学校や病院、福祉施設などで実践されるようになっている。そのあと、いま現在重要な議論の対象となる「社会包摂(社会的包摂、ソーシャル・インクルージョン)」という概念に接合するものとして、また新たな展開を生むものであると思われる。



2章 大阪市文化行政の先駆性 

1 大阪市芸術文化アクションプラン

 19962月、予定通り(多分)、滋賀県内にある、やはり自治省の実質的外郭団体の全国市町村国際文化研修所(JIAM)に移動した筆者(参与兼教授という気楽な肩書)は、職務外において、関西の芸術状況の日記配布や配信を行いつつ(「こぐれ日録」「こぐれ日記」)、大阪市の文化行政の懇話会座長などをして、のんびり、関西の芸術状況を楽しみつつ、市役所の職員さんらと提案書を作り、新しい企画(アーツの「まちつかい」:文化リノベーション)を試み続けていった。

 毎年、改定し続けた「大阪市芸術文化アクションプラン事業―新しい芸術文化の創造と多彩な文化事業の推進に関する指針―」(1998から)は、大阪市役所が所有している施設で遊休になったものを中心にその「まちつかい」方法を考えるとともに、芸術文化振興を大阪市役所という公的組織が行うための公共性とは何かを考えるものであった。

 孫引きになるが、2001年度に発行された大阪市のアクションプランでは、芸術の公共性について、以下のように考えていた(当時の乾さんたちと筆者や中西美穂さんらの合議だったと思われる:篠原雅武『都市文化研究報告その2— 内部において(向けて)開かれるということー』

 http://www.log-osaka.jp/people/fieldtrips/hokoku/vol6/hkk_vol6_1.html より)。

<「公共性」とは、「大勢の人が見る・使う」「大勢の人が気軽に参加する」ことではない。人数は公共性の根拠とはなりえない。…(中略)…公共性とは、ある取り組みや催し、活動が本人やそのグループの楽しみをこえて、いかに多くの人の精神活動に影響を与えるかにある。より高い精神活動への影響は、アーティスト、観客の双方にある新しい発想の契機を与える」>ものであると。

 基本的に大阪市役所の企画は、新しい文化施設を作らないで、既存施設の再利用という発想が貫徹していて実に魅力的な取り組みだった(大阪市立芸術創造館だけは、旭区の文化ホール、図書館などとの合築施設で、稽古場・練習所でありつつ公演も出来る新しい施設だった)。もちろん、予算的な制約がそうさせている面もあるだろうが、いままで大阪府、大阪市には、他都市にあるような公立の既存芸術施設がないことを逆手に取って、21世紀型のアーツまちつかいが出来るチャンスという思惑もあった。

その一つ、築港レンガ倉庫で展開した大阪アーツポリアというのは、美術家でギャラリーそわか(京都の東寺のそば)などでも活躍していた中西美穂さんがいたからできた企画だった。ギャラリーそわかでは、音楽家野村誠さんもワークショップをしていたし、詩人の上田假奈代さんも活躍していた。上田さんもココルームとして参加した新世界アーツパーク事業は、大阪市交通局がつくって結果的に失敗したフェスティバルゲートの空き店舗を、合法的にジャックするような形で展開したものである。

 難波のトリイホールで舞踏を含むコンテンポラリーダンスの普及と発展に携わっていた大谷燠さんたちが、トリイホールからこのフェスティバルゲートに移って、店舗を大阪市との公設置民営の劇場「Art Theater dB」に改築して拠点とした。そのほか、ジーベックホールで企画していた内橋和久さんらによる実験的音楽フェスのビヨンドイノセンスがNPO法人化して、オルタナティヴ・スペース、BRIDGEをフェスティバルゲートの元居酒屋に設置したり、現代美術関係の人たちがNPO法人記録と表現とメディアのための組織(NPO法人remo)を結成し、現代アート、とりわけ映像アートの新しい姿を見せたりしていた。NPO法人remoは、近くの小学校で藤浩志さんのかえっこをするなどアウトリーチにも積極的に取り組み、いまに続く「ブレーカープロジェクト」(2003年より)とも繋がっていく。



2 「精華小劇場コトハジメ」

2000年の春、閉校された大阪市立精華小学校・精華幼稚園の使われていなかった部分をいろいろ活用して実施された事業「精華小劇場コトハジメ」は、筆者が実行委員長になったこともあって、とりわけ思い出深いものであった。

演劇やダンス、現代美術、実験ミュージックのほかにも、建物の内外に照明を施すワークショップ(岩村原太さん)や、自分の好きな本を読むところから、それを思い思いの場所でリーディング公演するというもの(桃田のんさん)などがあった。樋口よう子さん(モダンde平野)には、卒業生とともに、フロッタージュなどの楽しいワークショップも行ってもらった(いま振り返ると「コミュニティアーツ」的展開がもっと可能だったとは言えるが、当時は、テレビ撮影もあって、親しみやすい企画も大切だと感じたものであった)。

その後、2004年より体育館だけを利用して、イベント使用ではない形で、建物がある限り続ける価値があった精華小劇場が、当時、大阪において小劇場が閉鎖されるなか、重要な小劇場演劇の場として大阪市と演劇人の手で運営されてきた。残念ながら売却が決まり、2011331日に閉館となった。

[参考]

鳥取大学地域学部附属芸術文化センター『オルタナティブ・スペースの創出へ向けて 鳥取県における芸術文化通じた空間資源の利活用に関する調査研究』20063

http://www.tottori-artcenter.com/alternative/2006_6/rei4.html より引用

5-2.廃校活用 精華小劇場 運営団体 精華小劇場活用実行委員会

建築概要 1920年代築 440平方メートル 鉄筋コンクリート造地下1階地上1階

<活用へ至る経緯>

 旧精華小学校は、大阪市の中心部である「ミナミ」に位置し、都市化による児童数の減少で1995年に閉校。1998年より、地域住民が「精華校園跡地活性化協議会」を立ち上げ、視察や勉強会を経て「集客力のある文化施設」として活用を望む意見がまとまり、実験イベント等を経て、体育館を劇場として活用することとなった。関西には500を超える劇団があるが、それまで小劇場の活動を支えて来た民間の劇場閉鎖が相次ぐなか、演劇関係者も体育館を劇場として活用するため、地元や自治体と積極的に検討プロセスに関わって来た。なお校舎は、市の教育委員会外郭団体が生涯学習施設として活用している。

<事業内容>

 関西を拠点に活動する劇団の公演発表の場を提供するとともに、市民に演劇活動を還元し、また、大阪の文化活動に対しての誇りを培い、関西発のレベルの高い舞台芸術の発表の場、並びに舞台芸術にかかわり次の時代を担う若い人材及び観客の育成の場を目指した事業を行う。貸し館は行わず、精華演劇祭をメインとする自主企画事業が中心である。精華演劇祭は、統一テーマを決め、それにもとづき上演劇団を選考する。参加劇団は、稽古を含め最大2週間まで劇場を無料で使用できる。

<運営主体>

 土地と建物は、教育委員会所管。10年間をめどとした暫定利用で劇場として活用している。大阪市ゆとりとみどり振興局、大阪市中央区、活性化協議会、精華演劇祭実行委移管、大阪都市協会の五団体が実行委員を出し、行政、地元、演劇関係者の共同で運営している。耐震補強と劇場に必要な設備整備工事を約1億8000万円かけて実施。運営費は市から捻出されている。なお、校舎は社会教育施設として利用されている。

<特  色>

○検討プロセスに地元、演劇関係者が参画した

○貸し館を行わない主催事業のみの事業内容である (参考 財団法人地域創造『地域創造』2005年 vol.18 )

 筆者に関しては、1996年からは気楽な身分ではあったが、一応、公務員であり、湖西線の唐崎駅から仕事が終わって慌てて大阪などへ駆けつけることが多かった。たまたま、京都橘女子大学で文化政策学部を創設するというなかで、筆者はそこでアーツマネジメントを担当するということになった。そのため、2000年度で自治省(実は、20011月から総務省)を退職(23年間の公務員生活が無事終了)し、2001年度からは、40歳半ばにして女子大の教員(助教授)という仕事をすることになった。

なお、教員任用においては、ふるさと創生関連の単行本(丹羽弘之さんとの共著『地域がつくる文化新時代』1992)と、地域創造の創設に関わったときに書いた単行本(『地域文化・情報化戦略』1995)などがあったので、どうにかなったわけであるが、論文など、自治省だからこそ書くことができた『地方自治』や『地域交流研究』『地方実務セミナー』などへの投稿ぐらいで、新聞投稿や講演など色々なものを集めて調書を作ってもらい、何とか転職できたわけである。いまから思えば、どこかの大学院などに入っておくというのが一番手っ取り早いし、あとあと、院生指導に役立ったのだろうが、当時は、なにせ、地域芸術環境づくりをアウトサイダーとなっても担おうという思いと、記録者として、できるだけ、関西の芸術状況について、鑑賞体験を基礎に綴ることを使命にしていたので、ほとんど関心外であった。



3章 「文化芸術振興基本法」と「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」を巡って

1 「文化芸術振興基本法」と自民党「文化芸術懇話会」

 突然、今年(2015年)の話に飛ぶが、自民党に「文化芸術懇話会」という若手の自主勉強会があり、そこに呼ばれた作家で前のNHK経営委員でもあった百田尚樹さんと参加議員のなかで、ずいぶんと報道の自由を抑圧するような会話がなされたことが報道された。朝日新聞(守真弓201576日、http://www.asahi.com/articles/ASH754DQRH75UCVL003.html)によると、この懇話会は、<文化人や芸術家を自陣営に引き込み「政策を芸術の域に引き上げる」ための勉強会>であり、<設立趣意書によると、「心を打つ『政策芸術』を立案し実行する知恵と力を習得する」ことが会の目的>だという。政策の芸術化と芸術の政策化を一度に行おうという趣旨のようで、これが国策となっていけば、どうなるのだろうとその報道を知って驚愕した。

 とはいえ、まずは、文化や芸術という名称を持った勉強会が、実はマスコミの報道をチェックし自由な表現を排除する自民党若手とそれに呼応する文化人の取り込みを目的とするものだったと知り、深い悲しさとふつふつと湧き上がる怒りを覚えた(なお、自民党では、前にも同じような思想背景を持つ議員の勉強会「伝統と創造の会」が2006年に発足し、会長稲田朋美さんらが映画「靖国」への助成に異議をはさみ、試写会を要求し実施させたこともあった)。が、同時に、この「文化芸術」という用語には、15年前の「文化芸術振興基本法案」が提出された当時からどこか危うい用語だという予感のようなものがあった。

 文化庁では、前から「国民娯楽」として、囲碁、将棋などを振興していたが、これは、「娯楽」のうち、「国民」的なものという限定がついていた。そして、国民的ではない娯楽とは違い、健全なもの、推奨できるものというニュアンスがそこにはあったからである。

 したがって、「文化芸術」という用語が同じように、「文化的」な芸術とそうでない芸術というふうに選別される可能性があると直感したからであり、前からの用語「芸術文化」か、「文化」でなぜないのかが気になっていたのである。

 そこに、今年の「文化芸術懇談会」事件であり、「政策芸術」というこれもまた大胆な用語が飛び出したから、危惧が深まるのである。まさしく、ここには、ナチスの「退廃芸術」とナチス公認の「健全な芸術」を彷彿とされる思考様式が明白に見て取ることができる。

そもそも、2001年に制定された「文化芸術振興基本法」も、文化的芸術とそうでない芸術、文化芸術のなかでも、国民に推奨されるべき「政策芸術」へと繋がっていくのではないか、法的安定性などないいま、解釈で「文化芸術」も新しく読み直される危険すら感じられる。



2 「文化芸術振興基本法」(2001127日)の制定について

 さて、話を15年以上前にもどす。地方自治体先行の文化行政領域においても、21世紀に近づき、ようやくわが国に芸術(あるいは文化全般)に関する基本的な法律が議員立法により生まれるという動きになっていた。文部科学省文化庁へ結果的には権限を与えることには懸念を覚えつつも、予算だけで芸術振興を継続的にするのは、経済・財政状況に左右されて難しいため、当時の各政党の法案をチェックしていた。憲法上の表現の自由を源泉とする文化自由権が法文上明確になるだけでも進歩だと思っていたし、アーツマネージャーに関する記述もあるという話もあって、それなりに期待もしていた。

 実際は、自民党案になって一番驚いたのは「文化芸術」といういままであまり用いることのなかった四文字熟語が主役に登場したことだった。当時、聴いた説明は、「文化」だと余りに広く、「芸術文化」であると、文科省の所掌分野の国民娯楽や、国語と日本語(外国人には「日本語」と呼び、日本人には「国語」と呼び分けている)、著作権、美術館以外の博物館や図書館が入らないためということであった。そもそも、芸術(芸術文化と概念的にはほとんど同じ)以外のそういう文科省所掌のものを入れる必要がなかったとは思ったが、議員立法と言っても、与党である自民党が省庁と繋がり利用しているのは明白なので、そういうものか(つまりは文科省の予算・権限強化とその利権関係の取引)と感じたものだった。ただし、京都府庁では、ずいぶん前から「文化芸術」という言葉を使っていたことも確かで、京都府立文化芸術会館が設置されたのは、1970年だった。

 これについては、社会文化学会声明(20011124日 http://www.tufs.ac.jp/ts/society/soziokultur/page051.html)でも、<文化芸術」という奇妙な用語の採用>と言われているが、この声明では、次の指摘が今また重要であることを確認することになる。いずれにせよ「政策芸術」なる用語が堂々と表を行き交う時代になることだけは避けねばならない。つまりこのように言われている。<(5)文化政策の歴史を振り返って、最も懸念されるのは国家統制・国民動員に利用される危険性である。それに対する歯止めとしての国家の介入・統制・指導・命令の禁止条項は、「消極的思考」として退けられてしまった。>

 

【参考】社会文化学会声明 20011124http://www.tufs.ac.jp/ts/society/soziokultur/page051.html より引用

<文化権の実現をめざす広範な論議を>

1122日の衆議院本会議において「文化芸術振興基本法」案が付帯決議とともに圧倒的多数で可決され、今会期中成立の可能性が極めて高くなった。文化基本法の制定は世界的な趨勢であり、日本においてもその必要性が各方面から指摘されてきた。今回の立法化はそのような動向に対応したものといえる。

 とはいえ、今回の法案の内容とその決定過程に関しては、以下のような問題点を指摘せざるを得ない。

(1)「文化芸術」という奇妙な用語の採用に示されるように、この法律がそもそも芸術振興法なのか、文化基本法なのか、その基本的性格が曖昧である。この法律は本来「芸術文化振興法」として構想されたものであり、その内容の大半は広い意味での「芸術」に関わるものである。にもかかわらずそれに文化基本法的性格をも与えようとしている。その結果、芸術文化振興法の域を超えているが、文化基本法としては不充分なものとなっている。

(2)例えば、文化基本法の核心というべき「文化権」に関しては、「文化芸術を創造し、享受することが人々の生まれながらの権利であることにかんがみ」という記述こそあるが、文化権に関する独自の条項はつくられていない。人権としての文化権は、①自由権としての文化創造権、②社会権としての文化へのアクセス権・享受権、③集団的権利としての文化自決権や文化的アイデンティティ権などから構成される。それらを簡潔に提示した独自の文化権条項を法の基本理念として組み込むべきである。

(3)文化権に関する十分な検討を踏まえていないため、法律中で列挙された振興対象領域も不完全なものとなっている。

(4)公的振興における「国」の役割ばかりが具体的に記され、地方公共団体には国の施策を補完する位置しかあたえられていない。これはユネスコなどが提起する文化政策の分権化の原則にも反するし、政府自体が提唱する地方分権化にも逆行している。文化の主体は市民であり、したがってその公的振興において中心的役割を果たすのが、市民生活に身近な地方自治体、とりわけ市町村であるのは基本原則である。例えば文化振興に関連の深い社会教育法では、市町村が具体的施策を担い、都道府県さらに国がそれを補完するという構成になっている。それと対比して、今回の法律はきわめて中央集権的だと言わざるを得ない。

(5)文化政策の歴史を振り返って、最も懸念されるのは国家統制・国民動員に利用される危険性である。それに対する歯止めとしての国家の介入・統制・指導・命令の禁止条項は、「消極的思考」として退けられてしまった。

(6)文化の基本法という画期的な意義を持つ法律であるにも関わらず、大部分の市民が関知しないまま、法案化がはかられ、採択されようとしている。これは、すべての人間に文化創造・享受を保障しようという法律の趣旨に全く反するものである。

以上の理由に基づき私たちは、現在提案されている法の性急な採択に危惧の念を表するとともに、文化権の実現を保障する基本法のあり方に関して、この国に住むすべての人々による十分な論議を行うことを要求するものである。

20011124日 社会文化学会第4回総会


 そうはいっても、文化芸術振興基本法には、条文ごとにその実現に主に国が努力すべき事項が盛り込まれているのも事実であった。国民の鑑賞機会の充実、高齢者、障害者、青少年、学校教育の芸術活動の充実とともに、芸術家や芸術企画者などの養成・確保も明文化された(第16条)。ここに、アーツマネジメントについて初めて法律に明記されたと言える。

 社会文化学会の指摘のように、地域文化主権という考え方には程遠いこと、総合的な文化権を保証することにはなっていないが、第2条の基本理念には「自主性」や「創造性」を十分に尊重されなければならないこと、地域の人々が主体的に行われるように国が配慮すべきことは書かれている。

 また、第25条には、劇場、音楽堂等の充実も明記されており、その後「劇場法(仮称)」が必要であるという機運が持ち上がったわけであるが、筆者とすれば、ここにもうすでに明文化されているのであるので、それ以上のことを書くことができるのかどうか、かなり疑問に思えたものであった。確かに劇場法(仮称)になって、はじめて「実演芸術」という用語が生まれたのは、芸術営(アーツマネジメント)研究家として進歩であるとは思うが、文化芸術振興基本法でも、第8条で、音楽、演劇、舞踊が挙げられ、第10条で、伝統芸能として、雅楽、能楽、文楽、歌舞伎が、第11条で、講談、落語、浪曲、漫談、漫才、歌唱その他の芸能が挙げられていて、10年後にまた、劇場法(当時の呼び方)が必要なのかどうかは、筆者としては疑問であった。

ちなみにここでいう「歌唱」とは具体的に何かということはいつか文化庁などに聞きたいものだと思っている。第11条は「芸能の振興」とあって、伝統芸能や地域固有の「民俗的な芸能」(たとえば各地の神楽があるだろう)を除くさまざまな芸能を取り扱っている。後に成立する劇場音楽堂等法では「演芸」として示されるものとほぼ範囲は同じで、少し幅が広いかも知れない。つまり、女道楽とか太神楽曲芸(かつて盛んだった娘義太夫も入りそうだ)などは演芸には入るが。詩吟や吟唱などは演芸かどうか。そして、詩吟や吟唱、女道楽などがこの第11条の「歌唱」の具体例かと筆者は推測しているところである。



3 「文化芸術の振興に関する基本的な指針」の設定

文化芸術振興基本法第7条により、政府は閣議決定で、「文化芸術の振興に関する基本的な指針」の設定を義務付けられ、いままでに、4次の基本方針を決定、公開した。以下、文化庁のホームページ(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/hoshin/kihon_hoshin_2ji/index.html )から、その特色を抜き出す。

1)「文化芸術の振興に関する基本的な方針(20021210日閣議決定)」で目を引くのは、「文化芸術創造プラン(新世紀アーツプラン)」の推進などである。また「今後の文化芸術活動の発展等に伴い必要とされる新たな分野の芸術家等の養成及び研修体制の整備や,優れた才能を発掘し,能力を引き出すため早期の教育システムについて検討を進める」ことや、「学芸員,舞台技術者・技能者,文化財修理技術者等の専門性の向上を図るための資格の在り方について検討を進める」という人材への言及は期待を多くの人が持った。

特に、文化庁の施策のなかで評価の高かった「芸術家等の海外留学や国内研修の充実,各分野の文化芸術団体等が行う研修への支援,次代を担う新進芸術家が活動成果を発表する機会の充実,世界的な芸術家による指導の機会の充実などを図る」という記述は、実際にアーツマネージャーの海外研修支援として実っていく。

2)「文化芸術の振興に関する基本的な方針(第2次)(200729日閣議決定)」では、当時よく使われた「文化力」という用語が目を引く。

たとえば、「京都府文化力による京都活性化推進条例」は20051018日に施行されていて、ここでは、芸術文化そのものの継承発展は前提とし、それらの地域活性化への貢献を主な主題としている。すなわち、文化は「人と人とが共生し、うるおいのある地域社会を築いていく糧となるものであ」り、「新たな文化との出会いは、私たちの創造力を高め、感性を刺激し、生活を豊かにする社会的及び経済的な活力の源泉となる」という形で、地域のために文化力があるという論理構成が好まれた。

また、第2次指針では、公立文化施設に対する指定管理者制度の導入について、「民間の新たな発想や方法(ノウハウ)による効果的かつ効率的な運営が期待される一方で,これまで地域で培われてきた文化芸術活動の安定的かつ継続的な展開が困難になるとの懸念も現場から指摘されている」と両論併記を行っている。

 そのほか、「大規模な市町村合併により,地域に根ざした文化芸術の継承が危ぶまれていること、国際的には,グローバリゼーションの進展に伴い,国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)では,2005年(平成17年)10月に「文化的表現の多様性の保護及び促進に関する条約」が採択された。

 また,インターネットをはじめとする情報通信技術の発展と普及については、負の部分として「人間関係の希薄化,実体験の不足といった負の側面も指摘」している。

3)「文化芸術の振興に関する基本的な方針(第3次)(201128日閣議決定)」では、「子どもや若者を対象とした文化芸術振興策の充実」などが取り上げられた。

また、諸施策の連携、ネットワークが強調され、「重点戦略をより効果的に推進するためには,例えば,地域の核となる文化芸術拠点への支援(重点戦略1)と文化芸術活動や施設の運営を支える専門的人材の育成・活用に関する支援(重点戦略2),文化財の公開・活用(重点戦略4)と地域振興,観光・産業振興等への活用(重点戦略5)など,重点戦略相互の関連性に留意する必要がある」とされた。

「もとより文化芸術が広く社会への波及力を有することを考慮すれば」ということではあるが、「教育,福祉,地域振興や観光・産業振興,文化外交など他分野との連関を踏まえた領域横断的な施策の実施が求められる」として、より、芸術の他分野施策との結合、あるいは使用貢献への言及が多くなってきた。

4)文化芸術の振興に関する基本的な方針-文化芸術資源で未来をつくる-(第4次)(2015522日閣議決定)では、「東日本大震災からの復興:文化芸術の魅力で,国内や世界のモデルとなる『新しい東北』の創造」という芸術からの東北復興論のほか、「地方創生:文化芸術,町並み等を地域資源として戦略的に活用し,地方創生の起爆剤に!」という政治的プログラムが目を引く。

同様に、「2020年東京大会:全国津々浦々で,あらゆる主体が『文化プログラム』を展開,多くの人々が参画」して「2016年リオ大会後,オリンピック・ムーブメントを国際的に高める取組を実施し,機運の醸成」というような、工程表的アクションプラン的に近い記述や、国民の何%が文化芸術に親しむというような、エビデンスを明らかにすることができるような数値目標が目新しい。

また調査され続けている「日本版アーツカウンシル」や、新しいものとしては、「文化施設等をユニークベニュー(*1)として公開・活用し,MICE (*2)の誘致や開催」という企画がある。これは、今後どのような施策上の展開があるのか興味深い。

(*1) ユニークベニュー:歴史的建造物,文化施設や公的空間等で,会議・レセプションを開催することで特別感や地域特性を演出できる会場。

(*2)MICEMeeting(企業等のミーティング)Incentive(企業等の報奨・研修旅行),Convention(国際会議),Exbition/Event(展示会・イベント)の総称。



4 「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」(2012627日)の制定

文化芸術振興基本法案が議論されている時にも、筆者は、安易な明文化が行われることで、文化政策や芸術営の国策化が行われ、芸術の概念や分類が固定化されて、自由な表現を本旨とする芸術活動が、国威発揚や愛国心、愛郷心(地域の絆強化)になることを危惧していた。

しかしながら、法律が成立し、丁寧に基本指針が議論されて閣議決定されるようになって、明文化された芸術政策があることは、これを一つの標準として、地域ごとに独自性を出すことも可能ではないかという考えも可能だと思うようになった。

ただ、「文化芸術の振興に関する基本的な方針(第2次)」でも危惧されたように、この法律とは別に地方自治法上の指定管理者制度が実際に運用されるようになると、公共団体立の文化施設、芸術場を単なる経費節減のために営利企業に委ねるという現実が、文化芸術振興基本法を絵に描いた餅状態に陥らせた。

本来の公立芸術場が行うべきこと、すなわち民間(営利)芸術場では採算上できない、伝統芸術の継承プログラムや次世代の芸術鑑賞機会の創出、未知の芸術領域への挑戦など、企業経営の一般論では追及しない芸術営(アーツマネジメント)独自の領域の切り捨てに繋がっていきたことも事実である。

筆者は、もともと文化芸術振興基本法第25条で劇場・音楽堂等の振興規定があるので、同法の特別法として新たな「劇場法」は法律要件がないので、無意味だと考えていた。ただし、あえて、その必要性があるとすれば、地方自治法上の指定管理者制度の各自治体による運用によって危機に陥りつつあった、営利至上主義の施設運営の歯止めだろうと密かに思っていた。

すなわち、営利芸術場では行えない公共性のあるプログラム、採算ベースには乗らないが、公共政策上意義のある芸術事業に取り組んでいた公立芸術場が、営利企業の指定管理者制度によって変質されることを防止し、取り組めなかった芸術場へ、実演芸術分野だけでも、積極的に取り組む勇気と人材、予算を供給する契機になるならば、立法事実もあるのではないかという期待であった。

 「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律(以下、「劇場音楽堂等法」と呼ぶ)」は、平田オリザさんや芸団協(公益社団法人日本芸能実演家団体協議会)などがその実現に努力し、民主党が20099月に政権を奪取したことがあったこともあって、成立したのだろうとは思う。

 しかしながら、法律が広布されたのが20126月ということで、すでに一番熱心であった鳩山由紀夫内閣から、震災、原発でそれどころではなかった菅直人内閣、そして、消費税増税など自民党政権に戻ったかと錯覚させられた野田佳彦内閣のもとでようやく成立したわけであり、半年もすれば、民主党政権はあっけなく崩壊し、もとの自由民主党政権に戻り、芸術政策よりも、目先の経済対策に人びとの関心が移り、人からコンクリート、ソフトからハードへと逆行するのであった。

 以下、劇場音楽堂等法自体を読みながら、考えていくことにしたい。

 まず、前文では、「我が国の劇場、音楽堂等については、これまで主に、施設の整備が先行して進められてきたが、今後は、そこにおいて行われる実演芸術に関する活動や、劇場、音楽堂等の事業を行うために必要な人材の養成等を強化していく必要がある」とし、当時の民主党のスローガン「コンクリートから人へ」を反映している。そして、実演芸術においては特に「活動拠点が大都市圏に集中しており、地方においては、多彩な実演芸術に触れる機会が相対的に少ない状況が固定化している現状も改善」すべきとしている。

 また、衛紀生さんによれば、前文の「劇場、音楽堂等は、個人の年齢若しくは性別又は個人を取り巻く社会的状況等にかかわりなく、全ての国民が、潤いと誇りを感じることのできる心豊かな生活を実現するための場として機能しなくてはならない。その意味で、劇場、音楽堂等は、常に活力ある社会を構築するための大きな役割を担っている」という下りは「社会包摂」機能への言及になっていると理解できるという。(参照:「劇場音楽堂等の活性化に関する法律」を概観する。/可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛紀生2012.06.24http://www.kpac.or.jp/kantyou/essay_138.html

 さらに、前文はこれに続いて、「現代社会においては、劇場、音楽堂等は、人々の共感と参加を得ることにより「新しい広場」として、地域コミュニティの創造と再生を通じて、地域の発展を支える機能も期待されているという下りは、平田オリザさんの『新しい広場をつくる』(岩波書店、2013年)に通じるものであり、これも、社会包摂との関係を示唆している。

 さて、前文にもあるが、同法第1条でこの劇場音楽堂等法が文化芸術振興基本法の特別法であることが書かれ、第2条第1項で劇場・音楽堂等の定義がある。この定義はハードだけではなく、創意と知見を有する「人的体制」が必要であることが書かれているが、実演芸術の専門スタッフを具体的に構成要件とはしたいない。ただ同条第2項で、初めて実演芸術を定義したことは注目すべきことであった。すなわち、この法律では、<「実演芸術」とは、実演により表現される音楽、舞踊、演劇、伝統芸能、演芸その他の芸術及び芸能をいう>となっている。

 芸術の定義に「芸術及び芸能」というのもすこし変だが、「演芸」を芸術といってしまうのを避けつつ、でも、この法律では「実演芸術」と言うのだという形式的なものとなっている。なお。「演芸」というのは、文化芸術振興基本法第11条の「芸能」にほぼ対応するが、若干範囲は狭いものだろうと推量している。

 「劇場、音楽堂等の事業」は、第3条に、挙げられている。第1号は、実演芸術公演の企画と実施である。広い意味での芸術場の自主事業について。対して第2号には、実演芸術を貸館として提供することを事業として挙げている。これも、自主事業と貸館事業という両方を初めて明文化したものである。

 「前各号に掲げるもののほか、地域社会の絆の維持及び強化を図るとともに、共生社会の実現に資するための事業を行うこと」という、最後の第8号にも注目している。ここに前文に見たような「社会包摂」の目標がその他の事業ということだが、「共生社会の実現」としてリフレインしている。

 条文について読むことは終えて、次に、第16条に規定された、文部科学大臣による「劇場、音楽堂等を設置し、又は運営する者が行う劇場、音楽堂等の事業の活性化のための取組に関する指針」を具体的に読んでみよう。

 この「劇場,音楽堂等の事業の活性化のための取組に関する指針(平成25年文部科学省告示第60号)」には、まず前文として、法律の前文や条文の引用が挙げられている。ほぼ同じなのだが、よく見ると、衛紀生さんが実質的に「社会包摂」を言っているとしていた部分に、この「また,社会参加の機会を開く社会包摂の機能を有する基盤として」という一節が直に挿入されていた。

 その部分のパラグラフを念のため、挙げておく。

劇場,音楽堂等は,文化芸術を継承し,創造し,及び発信する場であり,また,人々が集い,人々に感動と希望をもたらし,人々の創造性を育み,人々が共に生きる絆を形成するための地域の文化拠点である。また,個人の年齢若しくは性別又は個人を取り巻く社会的状況等にかかわりなく,全ての国民が,潤いと誇りを感じることのできる心豊かな生活を実現するための場として,また,社会参加の機会を開く社会包摂の機能を有する基盤として,常に活力ある社会を構築するための大きな役割を担っている。(下線は筆者)

 劇場、音楽堂等をはじめとして、芸術場、とりわけ、公立やNPO立の芸術場、芸術機関においては、社会参加が困難な人びと、すなわち、社会から排除されている人びとが、当該社会内に存在を認められるような社会包摂機能が期待されているということである。したがって、その社会包摂のためのプログラムが活発化するのに資することができれば、劇場音楽堂等法の立法意義もまたあったということになる。

 次に、この指針で強調されているのは指定管理者制度との関係である。法文には明記されなかったが、指針で、以下に示すように、指定管理者制度が安易に経費節減に利用されることを防止しようという意図が読み取れる。

10  指定管理者制度の運用に関する事項

指定管理者制度は,住民の福祉を増進する目的を持ってその利用に供するための施設である公の施設の管理運営について,民間事業者等が有するノウハウを活用することにより,住民サービスの質の向上を図っていくことで,それぞれの施設の設置目的を効果的に達成するため,設けられたものである。

指定管理者制度により劇場,音楽堂等の管理運営を行う場合には,設置者は,創造性及び企画性が劇場,音楽堂等の事業の質に直結するという施設の特性に基づき,事業内容の充実,専門的人材の養成・確保,事業の継続性等の重要性を踏まえつつ,同制度の趣旨を適切に生かし得る方策を検討するよう努めるものとする。

この場合において,設置者は,その設置する劇場,音楽堂等の実態等を勘案しつつ,次の事項に留意する必要がある。

.劇場,音楽堂等の機能を十分発揮するため,質の高い事業を実施することができる専門的な知識及び技術を有する指定管理者を選定すること。このため,指定管理者を公募により選定する場合には,適切な者を選定できるよう,選考基準や選考方法を十分に工夫すること。

.優れた実演芸術の公演等の制作,有能な専門的人材の養成・確保等には一定期間を要するという劇場,音楽堂等の特性を踏まえ,適切な指定管理期間を定めること。

.指定管理者が実演芸術の公演を企画し,実施する場合には,これを円滑に実施できるようその実施方法等を協定等に適切に位置付けるなど配慮すること。

.指定管理者が劇場,音楽堂等の事業を円滑に行うことができるよう,指定管理者との間で十分な意思疎通を図ること。

 この指定管理者制度との調整では、人材の専門性のこと、中長期的な配慮などが記されている。あとは、各自治体がこの大臣指針を予算当局や議会に丁寧に説明することが肝要であろうし、国においても、実態の調査と評価、公表などをアートNPOや専門機関との連携で行うことがなければ、法律も大臣指針もやはりまた絵に描いた餅状態になることは避けられないだろう。



おわりに


 この論稿の最初の目的は、「劇場音楽堂等法」をどう筆者は評価するのか、ということを明らかにすることであった。そのために、「地域芸術環境整備はどのように行われてきたか」という基本的問いを立て、四半世紀に渡る公務員としての公立文化ホールとの関わりを辿ることによって、筆者が地方自治と文化行政、地域の芸術環境づくりにおける公共的意義などを確認するという手順をとることになった。

 行政法との付き合いも長い筆者だからかも知れないが、一旦、議会で立法化された法律があれば、その解釈は丁寧に行い、意義を確立することが法的安定性の観点から求められる。ここでは、文化芸術振興基本法と劇場音楽堂等法を取り上げたが、どちらもプログラム規定、努力規定が中心の政府に義務付けるという「振興法」である点を指摘しておきたい。つまり、強制執行や罰則規定があるような「規制法」ではないので、国民の法的権利義務との関係では、直接の影響がないことから、裁判例なども起きづらく、関係者だけの関心に留まる危惧がある。

 しかしながら、法律の成立をもとに、指針や予算が生まれその政策評価が積み重なることで、芸術政策を国、地方自治体に広げることがわが国の方針であることは、誰が見ても明らかであるし、誰に対しても主張することができる。それが、立法をもととする行政の継続性に繋がるのである。

また、拙稿で見た限りにおいても、「劇場音楽堂等法」とその指針で明らかにされたように、芸術政策の意義に、福祉や雇用政策で唱えられていた「社会包摂」が追加されたこと、そして、市場原理主義的な指定管理者制度の運用への歯止めの明示があることが分かった。

これからもまた、文化政策に関わる法律の解読や制度の明確化、地域の文化事業、芸術プログラムの企画発掘と評価を丁寧に行うことで、地域芸術環境整備はどのように行うべきかをさらに追求することが可能になるであろう。

 もちろん残された課題は多い。指定管理者制度は、「劇場音楽堂等法」がうたう専門的人材養成とその活用、能力発揮環境づくりには相応しくない制度であり、いかに、その2つの違う制度を接合するのかは大きな課題である。また、同法には、実演芸術の芸術場としての規定はあるが、実演芸術の創造機能を劇場・音楽堂等という芸術場だけに委ねるのは無理があり、芸術団、この場合は、劇団や舞踊団などのマネジメント基盤をいかに強くするかも、芸術場や芸術援とともに、重要で喫緊の課題であることを付け加えて、本稿を終えることにする。


by kogure613 | 2015-09-11 17:22 | 研究テーマ・調査資料 | Trackback | Comments(0)

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