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[アトリエ劇研が地域社会に在るということ]『アートスペース無門館+アトリエ劇研30年誌』

『天に宝を積むーアートスペース無門館+アトリエ劇研30年誌』寄稿

つい最近、冊子が届いた。原稿を書いたのは、去年の1月の終わり。記録のために、ここに載せておきたい。

[アトリエ劇研が地域社会に在るということ]
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地域文化政策の担い手として
 20年以上前になるのだが、地域創造とその後名付けられることになる地域芸術振興のための財団づくりのために、文化農場代表だった橋下敏子さんらに当時のアートスペース無門館を案内してもらったのが、アトリエ劇研との出会いである。東京以外の各地域は、芸術をただ享受鑑賞するだけではなく創造拠点でもなりうるという仮説を実証し事業の意義を確かめるために、全国の先進事例を調べたのだった。
 プロデューサーの遠藤寿美子さんに初めてお会いしたのもその時だった。東京のメセナ担当者などの具体的な名前とその評価を話されていて、芸術場を動かす優れた芸営者は人的ネットワークが命だと教えられた。まだ、スタッフルームはお家のなかのような感じで、家内工業とか徒弟制というような連想を当時持った。ここで京都の演劇界における照明家や音響家、舞台美術家や制作者が育ったということは関西にもどって来たときに実感した。
 少しして、財団法人地域創造などで芸術見本市ということをすることになり、遠藤さんは「芸術祭典・京」のディレクターとして池袋にやってきて、京都市の実演芸術振興事業を黙々と展示し、他地域の人たちと交流されていた。閉校した小学校の校庭や屋舎を使った演劇祭は、芸術による「まちつかい」としての先駆的事例であるとともに、京都や大阪の演劇界をその後ずっと担っていく劇団が紹介されていたわけで、若手が社会に向けて発表する機会づくりでもあった。
 地域社会に果たすアトリエ劇研の役割を考えるとき、京都市の「芸術祭典・京」を担う劇団を小さな民間劇場が中心となって育てたということ、そして、その劇場の芸営者が自治体と演劇を結び京都市の文化政策を担ったということが原点としてあると思う。この良好な関係づくりは、その後設立されたNPO法人劇研によってより組織的、持続的に行うことが可能になっている(なお、劇研のような「芸術場」である劇場と社会を結ぶ組織を「芸術援」と呼ぶ)。
 したがって、アトリエ劇研は、劇場という芸術場であると同時に、そこにレジデントする芸術団があり、さらに地域社会と劇場や劇団・ダンスカンパニーを結ぶ芸術援組織を持っているということになる。
 すなわち、アーツマネジメント(=芸術営)における三つの分野をコンパクトに凝縮しているのが、ここアトリエ劇研であり、そのために、京都市などの地域文化政策を担うことが可能な非営利民間組織として、地域社会に寄与しているのである。

閉ざすことと開くことのバランス
 劇場やライブハウスなどの実演系の芸術場の機能の一つとして、外部に光や音を漏らさないという大事な機能がある。もちろん、クラシックコンサートホールのように芸術場の外側から入る音の遮蔽も大事であり、静寂や闇をつくることで、実演芸術を快適に鑑賞することができる。とりわけ、アトリエ劇研の近辺は静かな住宅街であり、年配の住人も多いことから、外に出た時に大声で話さないようにしてほしいという注意が夜の回ではアナウンスされる。観終わったあと、役者さんに声をかけたり興奮してそのお芝居の感想を友人と話したくなったりするわけだが、ここは、近辺との共存を大事にする配慮が優先する。
 また、外界から閉ざされることで、その舞台に集中し、時には地域社会の課題に気付き、新たな視点を得ることもある。閉ざすことで、目や耳、心を創造されたステージに開放し、想像力によって地域に目を向ける事ができる。
 芸術場でどのようなことが行われているのかを、さりげなく伝えることも芸術の運営術としては重要である。子供向けの企画、「劇研なつまつり」は、暗闇からもう一つの世界を創り出す劇場体験を小さい時から得る貴重な体験づくりであるとともに、通常は閉ざしている劇場を開き、親御さんなども一緒に楽しむことで、ここの存在意義や内容を知ってもらう「アウトリーチ」の機能を果たしている。
 劇場とはどんなものかを照明家が伝えることもできるし、美術遊びを通じて舞台装置や美術にも関心を持つことができる。鑑賞するだけでは退屈することもあるので、時には一緒に踊ったり声を上げたりできるのが、この企画の楽しいところだ。
 2010年に、「劇研なつまつり」の企画である「かむじゆうのぼうけん」を、山科区にある京都市東部文化会館で行っている「こどもの文化フォーラム」でも公演してもらったが、子供たちだけではなく大学生たちにも好評だった。いま10代、20代の若者に演劇公演をすぐに届けるのは難しいので、まずは体験型のこのような企画を少し年長向けに作るのも一つの方策かもしれない。
 その他、確か月曜日の午前中だったか、京都でとれた野菜などを販売し、その延長として、からだのストレッチとかダンスのワークショップをしていたことがあった。大原で有機野菜農業をしている「オーハラーボ」の人たちがトラックで野菜を持ってきたというものだったそうで、これも、劇場の前の部分を地域の人たち同士の交流の場にするために、とても大事な企画だったと思われる。
 残念ながら一度も行くことはできなかったが、身体のことを気遣う(べき)実演芸術の人たちと有機野菜など食事に気を使う人たちとの接点ができれば、そこから、演劇やダンスについては関心がない人たちへのお誘いも可能だろうし、演劇人がもっと地元の野菜や食文化に興味を持つことで、地域社会との繋がりが広まることになる。

シニア世代への広がりとまちの物語紡ぎ
 全国的に、シニア世代の演劇活動が盛んである。コミュニティダンス企画をしている京都芸術センターなどでも、年配の女性や男性の姿を観ることができる。テレビでも紹介されていた『さいたまゴールド・シアター』は埼玉県立の「彩の国さいたま芸術劇場」によるものだし、15年ほどの歴史を有するシニアミュージカル劇団・NPO法人発起塾の活動は全国に6つの拠点を持つまでに至っている。
 アトリエ劇研でも、2007年から、「アトリエ劇研シニア劇団」が生まれ、現在では京都市で「星組」と「銀宴」の2組がそれぞれ月曜日と水曜日に、大阪府高槻市で「そよ風ペダル」と「恍惚一座(うっとりいちざ)」の2組が火曜日の午前と午後に練習を行っているという。一度だがその公演を見て深い感銘を受けた。客席には友人や家族、孫や子の姿も見られ、その観客層の幅は理想的であった。他の公演でも、シニア劇団出身の役者が若い役者と混じってするお芝居を観たこともあった。地域社会との繋がりの強いアマチュアの劇団があることの意義を感じることのできる瞬間であった。
 50歳代といえば、まだまだ現役ではあるが、そろそろ第二の人生を考える年頃でもある。俳優になりたかった人もいるだろうし、実際に若い時役者をしたことがある人も参加している。けれども、いままで演劇とは無縁だった人でも、何かいままでとは変わったことをしたい、もう一人の自分に出会いたいということで参加する人も結構いるのではないかと想像する。退職すると自分を必要としてくれる人が見当たらないというケースもあるだろう。ダンスもそうだが、演劇の場合は、記憶力や体力の限界に挑戦しつつ、チームを組み、公演へとこぎつける明確な目標作りによって、分別くさくなってしまった自分の殻を破り、いままでの固定的な自己規定を変えるチャンスにもなる。
 演劇をする醍醐味は、自分自身とは違う人物を自分の身体で演じるということ、そして、劇作家の物語に身を委ね、劇中の役者同士の関係を紡ぎだすための稽古時間を集団で過ごすことにある。演出されるという経験も新鮮である。管理職のポジションにいたサラリーマンにとって、自分よりも若い人から演出をつけてもらったり、振付けのダメ出しを受けたりすることは、最初抵抗があるにしても徐々に快感になるのではないだろうか。自分だけではなかなか変われない、実社会でその役柄を替えたり増やしたりすることもすぐにはできない。そのため、劇中人物という役柄を獲得するのがとても有効になるように思われる。
 今後、アトリエ劇研がさらに地域社会と関わることが続くと、演劇づくりによって、忘れ去られていた、あるいは隠された「まちの物語」を紡ぐというコミュニティドラマづくりという役割が生じるかも知れない。シニア劇団の高槻現代劇場への展開にみられるように、京都と他地域とをつなぐことを劇場が果たすことも可能である。
 いずれにせよ、これからのアトリエ劇研がどのように地域社会へと向い、京都を寛容で豊かな演劇のまちにしていくことができるのか、ますます楽しみにして左京区下鴨塚本町の暗闇に足を運びたいと思っている。

小暮宣雄 京都橘大学現代ビジネス学部都市環境デザイン学科教授
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by kogure613 | 2015-09-11 16:37 | 文化政策 | Trackback | Comments(0)

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