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ピーター・ウィアー『フィアレス』 『幕が上がる、その前に』 中川右介『松田聖子と中森明菜―増補版』

2015/9/21(月)
実家に電話すると、声が枯れているんじゃないと言われて、自分が風邪気味なことに気づく。
ずっと自宅、でも読書など、それなりに・・・

水曜日1限目、急遽するようになった舞台プロデュース論。演劇の楽しみを伝えるプロローグに、高校演劇を使おうと思っていて、購入していた、メイキングを見る。平田オリザさんのワークショップや演技指導をももクロさんたちが受けるシーンが特に役立ちそうだ。

『幕が上がる、その前に。彼女たちのひと夏の挑戦』 [DVD]2015年公開、94分。
演出:佐々木敦規
製作:フジテレビジョン 東映 ROBOT 電通 講談社 パルコ
<2014 年初夏。映画「幕が上がる」の撮影に備え、ほぼ演技未経験の彼女たち(百田夏菜子、玉井詩織、高城れに、有安杏果、佐々木彩夏)は、超多忙な生活を送る中、映画の原作者でもあり演出家の平田オリザ氏のワークショップを受け、“演じる”ということを徹底的に体に叩き込まれる。セリフ、動き、感情をコントロールしながらも、当然のごとく自然体でなければならない。慣れないことばかりの連続は、自分との戦い。不安を抱えながらも、その日、撮影初日がやってくる。普段は何万人もの観客を前にパフォーマンスをする彼女たちでも、いつもとは違う緊張感のもと一台のカメラの前に立つ。悪戦苦闘しながらも演じることの奥深さを身をもって感じていく日々。
笑顔の裏にある涙、悔しさ、葛藤……。彼女たちが駆け抜けたひと夏の、もう一つの姿を追ったリアルな物語……。>

夜は、この前、テレビ録画でピーター・ウィアー監督の『いまを生きる』を観て(その前に『トゥルーマン・ショー』を観てかなり変わった監督だとは思っていた)、いいなあと思って買っておいた映画を観る。そのほか、昔『グリーン・カード』を観ていたことに気づく。粗筋をDVDで観て、怖いかな?と思ったが、シビアななかにも、変な三角関係があったり、弁護士がこうもあけすけにやってくるアメリカ社会の面白さもよく出ていて、とても楽しめた。

ダンスを子供たちに教え、家ではなんかフィギュアを作っているインテリ層役のイザベラ・ロッセリーニと、小さな子供を失ったダウンタウンで教会だけが心の支えの母親役のロージー・ペレスがとても対照的で、キャスティングもとても好感を持った。

ピーター・ウィアー『フィアレス』(1993年、122分)。
ジェフ・ブリッジス<『クレイジー・ハート』(2009年)による5回目のノミネートで第82回アカデミー賞・主演男優賞を受賞>
イザベラ・ロッセリーニ<父親は映画監督のロベルト・ロッセリーニ、母親はスウェーデン出身の女優イングリッド・バーグマン>
ロージー・ペレス<両親はプエルトリコの家系。1991年にジム・ジャームッシュ監督、ウィノナ・ライダー主演の『ナイト・オン・ザ・プラネットへ出演>
<建築家のマックスは大勢の犠牲者を出した飛行機事故に遭遇しながらも、奇跡的に生還した。マックスは、その日から異常にポジティブな人物に生まれ変わった。彼は妙に生き生きとした表情で、死に直面した瞬間に見た不思議な光を追い求めて、往来の激しい車道を突っ切ったり、高いビルに登ったりと、奇行を繰り返す。妻のローラはそんな彼を不安な思いで見守る。
一方、同じ事故で赤ん坊を失ったカーラはショックから立ち直れずにいた。航空会社から派遣されたセラピストのビルによりマックスと接触する事に。最初は頑なだったカーラも、いつしかマックスだけには心を開くようになり、やがて2人に変化が…。>


中川右介『松田聖子と中森明菜―増補版』(朝日文庫、2014年)を読んだ。
TBSの〈ザ・ベストテン〉(1978.1から:司会は黒柳徹子と久米宏)中心にオリコン順位も含みながら、1年1年を丁寧に記述。とても濃密な10年ぐらい(1978~1988)をアイドル歌謡とともに進むことができた本。

文章も僕は好きだ。たとえば、p116,第二章「遅れてきたアイドル―一九八〇年」のラスト
<こうして、1980年代は始まった。
 時代は、表面だけの美しさを追い求めようとする一八歳の女性にリードされることになる。
 十四歳にして、沈んだ眼をしていた女性は、二十一歳で戦場からリタイアした。
 過酷な戦場を目指している十五歳の少女は、とりあえず、やる気のない受験勉強をしていた。いや、おそらくは何の勉強もしていなかった。>

確かに、中森明菜の分量が松田聖子よりは少ない。でも、個人的に中森明菜の歌の方が好きなのにほとんど彼女の音楽論を読んだことがなかったので、とても興味深かった。

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=16537 より
<アイドルを自覚して演じた松田聖子と、唯一無二のアーティスト・中森明菜。二人は相反する思想と戦略で、80年代消費社会を代表するアイドルとなった。商業主義をシビアに貫くレコード会社や芸能プロの思惑が蠢く芸能界で、彼女たちはいかにして生き延びたのか? 彼女たちの個性に触発されて当時最前線にあった作詞家・作曲家たちが生み出した作品たちを論じ、歌番組全盛時代を駆け抜けた二人の歌姫のドラマを描く。2007年に出版された幻冬舎新書「松田聖子と中森明菜」に、1985年以降を大幅加筆した増補版。>

p353
<松田聖子が無自覚に、松本隆が確信犯的に破壊した、日本の旧来の男女関係、個人と社会との関係は、修復されることはなかった。歌は、ますます意味がなくなっていき、歌詞は言葉遊びですらなく、ただメロディとリズムに乗せられるだけになっていった。…
<松田聖子の歌の主人公は独りで生きていくしかない。…その絶望的なまでの孤独を隠蔽するために、「春色の汽車」や「渚のバルコニー」や「風のインク」、あるいは「ガラスの林檎」とか「ピンクのモーツァルト」といった記号が歌詞にちりばめられた。

p353-354
<中森明菜はその歌の中で「私を認めて」と訴え続けた。「私は私よ」という切実な訴えが、中森明菜の歌の世界だった。…
<中森明菜には、…不幸なイメージがあった。…十七歳の頃から、彼女はすでに「諦念」を感じさせた。不満があってもそれを表明せず、押し殺しているようだった。人々はそこに共鳴した。バブル経済に向かう華やかな時代だったが、人々は自分の将来と世界の未来に希望を抱かなくなりつつもあった。松田聖子の無意味なまでの華やかさに酔う一方で、人々は中森明菜の必要以上の諦めの感情に自分を重ねた。>


by kogure613 | 2015-09-21 23:22 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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