「ロッキード事件第3部 日米の巨大な闇 」NHKスペシャル
2016年 07月 25日
<今からちょうど40年前の1976年7月。首相経験者が逮捕されるという前代未聞の展開となった「ロッキード事件」。事件にはいまなお、多くの謎が残されている。
米・ロッキード社製の旅客機トライスターの売り込みをめぐり、日本の政財界に巨額の賄賂がばらまかれたとされるロッキード事件。ロ社の代理店・丸紅を通じ田中角栄前首相に5億円が渡ったとされ、田中前首相は逮捕。裁判の一審二審で有罪判決を受けた。しかし、捜査にあたった東京地検特捜部が「重視」していた、“戦後最大のフィクサー”児玉誉士夫のルートは解明されなかった。児玉が知っているとみられた21億円もの巨額のカネの行方は闇に葬られたのである。>
http://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/1009/980879/ より一部引用
<元々国産で開発計画が進んでいた対潜哨戒機。ロッキード事件の発覚直後、1度だけ田中角栄と対潜哨戒機の関係が取り沙汰されたことがある。事件発覚の5日後、防衛庁の事務方のトップが対潜哨戒機の国産化計画を田中らが中止したと発言した。しかし発言はすぐに取り消され、それ以上報道されることがなかった。・・・・・
1972年7月、田中角栄が総理大臣に就任。田中政権の誕生をチャンスと捉えていたアメリカ。駐日大使から機密報告書が本国に届けられていた。当時、大蔵省の主計局長だった相沢英之は、大蔵省はコストの面から国産化に反対していたという。リチャード・アレン元国家安全保障担当補佐官は、キッシンジャー大統領補佐官の元でニクソンに軍事面での助言や政策立案を行っていた。ニクソン大統領はロッキード社の本社のあったカリフォルニア州を地盤としていた。田中とニクソンの初めての会談が行われるハワイが、軍用機のトップセールスの舞台に選ばれた。P3Cだけでなく、早期警戒機E2Cの売り込みも狙っていた。約1か月後、対潜哨戒機と早期警戒機の国産化が白紙に戻されることが決まった。
アメリカ政府がP3Cとともに売り込もうとしていたE2C。東京地検特捜部はE2Cをめぐる疑惑を追求していた。E2Cを製造していたグラマン社。その代理店だった日商岩井の島田三敬常務は取り調べを受けていた。1979年のダグラス・グラマン事件。島田は政治家への裏工作について明かしていた。早期警戒機の国産化計画を白紙化させ、E2Cを売り込むため政府高官に金を渡したという。その金は会社の帳簿には載らない、個人口座から捻出。裏金として処理した。「明日さらに詳細を話す」と言って取り調べを終えた夜、島田は自殺した。
・・・しかし軍用機P3Cをめぐる闇は残された。アメリカでも、疑惑隠蔽のため水面下での工作が行われていたことが明らかになった。ジェームス・ホッジソン駐日米大使は、駐日大使になる直前までロッキード社の副社長を務めていた・・・・
ロッキード事件発覚の翌年、アメリカから日本へのP3Cの導入が正式に決まった。日本はP3Cを購入し続け、これまでに100機が導入された。総額は1兆円を超える。日本はアメリカに次ぐ世界第2位のP3C保有国となっている。ロッキード事件に米政府の軍事戦略が関係していたことを明かした元国家安全保障担当補佐官のリチャード・アレンは、田中角栄の印象について「タフな男だ」と話した。当時、軍用機導入を迫ったアメリカの狙いは、日本の金でアメリカの軍事力を増大し、日本の軍事的役割の強化にも繋がるためだった。>