今野晴貴『ブラックバイト――学生が危ない 』 アサダワタル「音楽を『使いこなす』」
2016年 07月 30日
<休みのない過密シフトで心身を壊すほど働き、売上ノルマのため「自爆営業」も強いられる。人手が足りなくて辞めることもできず、時には損害賠償の脅しまで。そんな、学生たちを食い潰す「ブラックバイト」が社会問題化している。多くの相談・解決にあたった著者が、恐るべき実態と原因を明らかにし、具体的な対策をも提示する。>
<1章 学生が危ない―ブラックバイトの実態(辞められずに「死にたいと思った」―外食チェーン店の事例
バイトで就職活動ができない―コンビニチェーン店の事例 ほか)
2章 ブラックバイトの特徴(学生の「戦力化」―生活全体がアルバイトに支配される
安くて、従順な学生 ほか)
3章 雇う側の論理、働く側の意識(業界の事情
ブラック企業とブラックバイト ほか)
4章 どうすればいいの?―対策マニュアル(異変に気づく家族と教師
ブラックバイトの見分け方 ほか)
5章 労働社会の地殻変動(牢獄と化す下層労働
非正規雇用の性質変化 ほか)>
<本論ではいわゆる「地域コミュニティ」と言った使われ方に限定するのではなく、広く「ある特定の常識、価値観、専門性を共有した人々が集まり、それらに対して何かしらの帰属意識を持ちながら、一定の関係性と連帯を構築する集団」 と定義して論を進めることとする。>
<本研究では、既存のポピュラー音楽を用いた対話生成と創作からなるコミュニティプロジェクトの考察を行なう。その上で、音楽を作る・奏でるだけはなく「使いこなす」という新たな創造性を提示し、その概念を支える理論的視座を提供することを目的とする。>
<本論を展開することで、ポピュラー音楽の「使いこなし」が、当該コミュニティの既存の常識や価値観に風穴を開け、個々人が背負っている属性――大人/ 子ども、 教員/ 児童、親/ 子ども、教員/ 保護者、学校/ 地域……――から僅かながら解き放たれ、個々人が個々人として築きあげてきた感性や能力に光が当てられる可能性が示されるであろう。この一連のプロセスから、アートによるケア、そしてケアされる個々人が当該コミュニティの持つ新たなポテンシャルを自ら見出してゆく、ひとつの実践モデルを提示することに寄与したい。>
<本論では、二つの事例ともに、地域コミュニティや学校コミュニティという比較的参加メンバーが特定できる実践の分析・解釈を行なってきた。しかしながら、筆者が考える音楽の「使いこなし」はもっと広い射程を目指している。例えば見知らぬ者同士、不特定多数のメンバーが参加する実践までをも論考の机上に乗せることができれば、本論で取り上げた実践のコミュニケーションの分析・解釈とはまた違った様相が見られるであろう。既存のポピュラー音楽を「使いこなす」という実践は、マスメディアから一方的に与えられた音楽イメージにまったく新しい息吹を与え、その音楽を独自に蘇らせることでもある。これからも実践と研究を往還しながら、「使いこなす」バリエーションを、より広く深く提示していこうと考える次第だ。>