アマヤドリ本公演『月の剥がれる』DVD
2017年 06月 14日
2017/6/14(水)
2限目授業、そのあと、演劇部が来て1回生がずいぶん入ったとのこと。
和太鼓部はようやく1名。和太鼓部ができた経緯を知りたいということで、私が京都橘高校で「文化政策」を教えていたこととの繋がり、京都橘高校の和太鼓部の3名が中心になって、同好会が2006.6にできたことなどを学生支援課に聞いたりして伝えた。
そのあと学部教授会。
帰って、この前、『非常の階段』をアイホールで見た劇団、アマヤドリのDVDを鑑賞した。再演だと言う。DVDが2枚あって、合わせると167分。2幕。ずいぶんと長編である。
サンゲ(散華、日本軍が外国で1人殺したら1人散華の人が自死するという抗議によって平和運動を行うという集団)という集団を中心に描くところなどは、ちょっと烏丸ストロークロックぽい感じもあったが、もっと踊り、動く。照明が三浦あさ子さん。美しい暗闇、そこに一筋に灯る悲しさ、虚しさ。
アマヤドリ本公演『月の剥がれる』作・演出 広田淳一
2016年9月23日(金)~10月3日(月)@吉祥寺シアター
―「人が人を殺したら、私も私を殺す」という脅迫を行おうと思っています。―
http://amayadori.co.jp/archives/8106
≪ごあいさつ≫「荒唐無稽の絵空事」と「今そこにある危機」の狭間で
『月の剥がれる』を再演する。今年はアマヤドリがひょっとこ乱舞時代から数えて結成十五年という節目に当たるということで再演を立て続けに上演するのだが、これが、その二作目。といっても、なんだかこの作品は「再演」という感じがしない。初演を終えてから今日まで、ずっとずっとこの作品を完成させるためにいろんな作品を書いてきたような気がする。逆に言えば、初演が終わった、という感覚を未だに持てずにいる。だからこれは「再演」というよりは「初演」なのだと思っている。
『月の剥がれる』は近未来の日本と、現在の世界と、そうして、少し前の時代の日本とを並列するような形で同時に描いた作品だ。イノチガケで戦争を止めようとする人たちの、ちっともイノチガケではない、から騒ぎのような日常とを描いた作品だ。現代の日本に生きる僕にとってはもちろん一所懸命になって生きているつもりではいても、イノチガケということとはどこか遠い気がしていて、イノチガケなんていう感覚はわからない。そんなことを思いながら、自分なりにイノチガケになって書いたつもりの作品だ。
この作品のことを自分で好きだとか嫌いだとかいう思いはない。だけど、決定的に自分にとって、また、アマヤドリという劇団にとって重要な作品だということは間違いない。この作品が改名後初の本公演で、ふたつ目の「旗揚げ」公演だったからというだけではなく、やはりこの作品の持っているスケール、狂気、テンションはやっぱり自分たちにとって今に至るまで越えられない特別な位置を占めているからだ。
この作品を、ぜひ多くの人に観てもらいたいと思う。まあ、お芝居を作る時にはいつだってそう思っているのは当然だが、そういう当然の思いとしてではなく、やはりこれはぜひとも目撃していただく価値のある、そして多くの問題を提起せずにはおかない強度を持った作品だと信じるからだ。
今回の上演が「初演」なのだからあの時のキャストをそっくり再び集めようかとも思ったのだが、いや、実際にそんなつもりで動いてみたりもしたのだが、なかなかやはりそういうことはできないようで、いつの間にやら劇団員の顔ぶれも変わり、出演者それぞれにはそれぞれの時間が確実に流れていた。だからまた、別の地点から僕たちは「初演」を始めようと思う。あの時、目指した場所へ、今の自分たちであればもっと肉薄することができるはずだと信じて。
アマヤドリ 作・演出・主宰 広田淳一
《あらすじ》
「怒り」を放棄して暮らす国のとある学校。そこではサンゲ(散華)という、自らの死をもって殺人に抗議する過激な平和団体について学んでいた……。
ネット上で一人の青年が発表した思想から始まったサンゲの平和運動は、すぐに証券マン崩れの策士・羽田の目に留まり、彼を中心とした小さな平和団体が組織される。お飾りの初代代表に担がれた現代芸術家崩れの男・朝桐太地は、弟妹の反対を押し切ってノリで運動に身を投じてしまうが、そんな折、この国の軍隊が始まって以来の海外での死傷者が出る事態が起き、早速サンゲは、「命をもって抗議する者」を抽選によって選出する……。
サンゲという過激な平和運動を通して描かれるイノチガケの激動の世界と、「怒り」を放棄した人間たちがのほほんと暮らすのどかな世界を行き来しながら綴る異色の現代劇。学校、家庭、戦争、平和、宗教、憲法など社会的なモチーフを小さな人間たちのささやかな暮らしから描き出す一大絵巻。世界各地で続発する暴力と殺人、そして焼身による抗議活動に対するアマヤドリからの苦し紛れの必死の応答は、叶わぬ願いへの祈りの祝祭劇である。
《キャスト》
笠井里美、渡邉圭介、小角まや、榊菜津美、糸山和則、沼田星麻、宮崎雄真、中野智恵梨、石本政晶、石井葉月、石井双葉、一川幸恵、倉田大輔(以上、アマヤドリ)
谷畑聡(劇団AUN)、西川康太郎(ゲキバカ/おしゃれ紳士)、細谷貴宏(ばけもの)、秋本雄基(アナログスイッチ)、遠藤杜洋、西村蒼、木村聡太、ザンヨウコ、田中美甫(CHAiroiPLIN)、毛利悟巳、飯野愛希子、大塚由祈子、池田優香、鳴海由莉(ブルドッキングヘッドロック)
《スタッフ》
作・演出 広田淳一
舞台監督 浦弘毅(株式会社ステージワークURAK)/白石祐一郎
舞台美術 中村友美
音響 田中亮大(Paddy Field)
照明 三浦あさ子
衣裳 矢野裕子/八木その
ヘアメイク 海老根阿弥
文芸助手 稲富裕介
宣伝美術 山代政一
制作 斉藤愛子
演出助手 木村恵美子/犬養真奈/吉本真里奈
振付協力 スズキ拓朗(CHAiroiPLIN)
撮影 赤坂久美/bozzo
楽曲提供 岡田太郎(悪い芝居)
企画製作 アマヤドリ
主催 合同会社プランプル
協力 (公財)武蔵野文化事業団
助成 芸術文化振興基金
協力 イマジネイション/A-Team/エンクラストパブリシティズ/株式会社エヌウィード/株式会社CLEO/株式会社CRG/株式会社仕事/有限会社ジェイ・クリップ/リベルタ/ワンダー・プロダクション 芸術文化振興基金_03
《アマヤドリとは?》
2001年に「ひょっとこ乱舞」として結成。2012年に「アマヤドリ」へと改称。広田淳一によるオリジナル戯曲を中心に、現代口語から散文詩まで扱う「変幻自在の劇言語」と、クラッピングや群舞など音楽・ダンス的な要素も節操なく取り入れた「自由自在の身体性」を両輪として活動。リズムとスピード、論理と情熱、悪意とアイロニー、とか、そういったものを縦横に駆使して、「秩序立てられたカオス」としての舞台表現を追求している。