三宅喜重『レインツリーの国』 死んだ親父の月命日&お盆祈り

2017/8/12(土)

野田の実家から帰ってのんびり。

買っておいたDVDをすこしヤキモキしながら観た。

障害のある女性という設定。よくあるのかも知れないが、揺れ動く心の中を垣間見る感じ。モデル出身だけあってかなり綺麗。

それにしても、彼女に襲いかかる俳優さんは、よく見かける(黒沢清映画では欠かせないぐらいの脇役ぶり)けれど、名前が分からないナ。

三宅喜重『レインツリーの国』原作:有川浩(2015年、107分、ショーゲート)

<「図書館戦争」シリーズなどの人気作家・有川浩によるヒット小説を実写化したラブストーリー。あるブログの管理人をする女性とメールをやりとりするようになった男性が、会うことをかたくなに拒む彼女の思わぬ秘密を知る。監督は『阪急電車 片道15分の奇跡』『県庁おもてなし課』と有川の小説映画化作を手掛けている三宅喜重。主演はテレビドラマ「信長のシェフ」シリーズなどの玉森裕太が務め、テレビドラマ「山田くんと7人の魔女」などの西内まりやがヒロインを演じる。恋のもどかしさと素晴らしさを深く見つめた物語にときめく。>

向坂伸行 - 玉森裕太

人見利香 - 西内まりや

ミサコ - 森カンナ

井出広太 - 阿部丈二

向坂宏一 - 山崎樹範

人見健次郎 - 矢島健一

人見由香里 - 麻生祐未

向坂豊 - 大杉漣

向坂文子 - 高畑淳子

澤井徹 - 片岡愛之助

死んだ親父の月命日。20041112日だったから、もう13年目。

お盆と重なるためにいつもは午前中にくるお坊さんがなかなか来ないので、弘法寺に電話。

2回目でもう夜になるかもと言われて帰り支度をしていたら、チャイム。

東淀川区を回っていて偶然来ましたと言っていたが、お寺から連絡があったのかも知れない。

良かった、妹とその娘2名とお袋と妻の6名で焼香もしてかなり本格的なお盆の供養になる。

横須賀市から助っ人で来ているのだと言う。関東では7月がお盆なので、8月は暇だとバレていると。なかなかに背があっていい声のお坊さんだった。妻が、関東弁が聞けて喜んでいる。

以下、親父の葬儀までの様子を思い出そうと、鈴木さんにアップしてもらい続けている「こぐれ日録」を読んだのでアップ。

2004年こぐれ日録より】 http://www.arts-calendar.co.jp/KOGURE/Diary.html

11/12(金)
どうしても、住友病院に来て欲しいといわれて、霊安室に案内される(植物人間状態になったのかと思っていた)。遺体の病院における解剖(研究目的)についての同意書にはんこを押すためだった。救急車で仮死状態のまま運び込まれ、父、小暮一郎はすでに、522分、永眠していた。肺がんの手術のあと、5年、直接の死因は肺アスペルギルス症ということ。
1時限目も3時限目も中間テストなので、あわてて、京都橘女子大学に向かう。淀屋橋にわたしが着いたとき、野田から通っている3回生がわたしの顔を見てびっくりしたと教室でいう。ほんとにとんぼ返りの連続である。また大阪の実家、野田へ。親戚たちが仮通夜のような形で集まってくれる。夜、親父の遺体の横で寝る。ずいぶん汗が出て幾度か目覚める。お袋が心配だ。

11/13(土)
いったん、八幡に戻る。頭を芳江に散発してもらって、明日の喪主挨拶の文章(下に転載する)をつくる。親父の手帳が楽譜でいっぱい。そのなかから「赤とんぼ」を選んでそれもコピーすることにする。歌詞を妹素子に書かせておき、A3の資料をつくる。野田のコンビニにて、300部コピー。
はじめ、真言宗のお寺でお葬式をするとお袋は言っていたが、夏、妹が帰ってきたときに、野田コミュニティセンターでしたほうが、お年寄りが来やすいし、そういう質素なほうがいいと言っていたらしくて、急遽、ゲートボール場でもあるコミセンに会場が変更される。
19時から通夜。170名ほどが来られる。わたしの同級生が来たりして、懐かしい顔もちらほら。ほとんどが近くの年配の人たち、明日もそうだが、今三町会の人たちがお世話をしてくれていて、昔のお葬式に近い形となった。ありがたい。うちの大学の教職員も来られてびっくりする。
…………….
喪主あいさつ
「空気が欲しい」。
20041112()未明、父・小暮一郎は、息が苦しくて、空気が欲しいと母・美津子に頼みました。
そして、5時永眠。安らかな最期でした。享年85歳、5年前の肺がんの手術後もリハビリに努め、今年の正月に「親父、今年の目標は」と聞くと、手帳にすぐさま「歩行」と書くぐらいしっかりした理科系の人でした。
みなさま、本日は、父・小暮一郎のお別れ会にお越しいただき本当にありがとうございました。父がここコミュニティセンターで行いたいと遺言したのは、一人でも多く、ご近所の皆様とお別れしたいからでした。そして、この場所が退職後、ご近所のかたがたと毎朝ラジオ体操、老人体操をさせていただいた思い出の公園のそばだったからだと想像します。
思いおこせば、穏やかでやさしい父でした。一人っ子でしたので、子どもの誕生を何より喜び、念願だった愛犬コロにも出会いました。
小学校3年のとき、私が「お父さん、資本主義と社会主義とどっちがいいの?」とお風呂屋さんの帰りに聞いたことがあります。「社会主義が理想だけれど、なかなか人間の計画通りに社会や経済は動かないからなあ・・」と、子どもに言う話しぶりではなく、真剣に自問し、つぶやく姿が、いまでも忘れられません。
家族だけではなく、周りの人に対してサービス精神旺盛で、おどけてみせるよき隣人でもありました。
他方、几帳面な性格と、権威に屈しない姿勢をも持ち合わせており、住友電工の現役時代、社長はじめどんなお偉いさんが職場に訪問しようとも、仕事が忙しいときはひとり机に向かって作業をし続けるという反骨精神を発揮したサラリーマンだったとも聞いています。
小暮一郎は、島根県に生まれ、幼くして父を亡くし、すぐに母方の小暮姓となり、大阪で育ちます。一郎の母春江は料亭に勤め、家は一郎の祖母と3人暮らしでした。戦時中は電信技術を生かした電信兵として東南アジアを転々とし、伝染病でダウン。捕虜となったあと、住友電工に復職し、仕事とともに、楽隊に入りクラリネットを吹きラジオにも出たことを懐かしがっていました。戦前には合唱もしていたそうです。
退職後、体操を続けつつ、マラソンに出場したり、旅行をしたり、その人生の後半を悔いなく過ごしていたようです。とりわけ、小さい時から大好きだった音楽は、老人コーラス隊の活動として花開きました。カーネギーホールで歌ったときは本当に輝いていただろうと思います。ウィーンでのコーラスの響きはどんなものだったのでしょうか。父の孫が4人いますが、みんな音楽好きなのも、親父の遺伝であることは間違いありません。
ここに、父の手帳が残されています。その中から、カーネギーホールでもウィーンでも歌ったであろう「赤とんぼ」の楽譜をコピーしました。父の旅立ちのために、みなさまも歌っていただけば幸いです。
たぶん、父も向こうのもうひとつの世界で、テノールパートで歌っていくだろうと思いますので、忘れぬように、音楽を手向けたいと思います。どうもありがとうございました。
20041114
 小暮宣雄
……………
11/14()
天気は何とか持つ。小暮一郎の葬儀、告別式。200名ほど。野田コミュニティセンターのバラが季節はずれながら、咲いている。12時から親族の写真撮影、12時半、葬儀。読経のあと、焼香。学長はじめ大学の人たちも来てくれる。香典をお袋が固辞したので、これはいい面と大変な面があると実感。町内会の人たちがお金を扱わないですむというメリットは確かにあるが。
予定通り、昨日書いた喪主挨拶を読んだ後、はなの前唄から「赤とんぼ」をみんなで歌ってもらう。そのあと、献花。そのさい、親父も入っている老人コーラスのテープで、赤とんぼとふるさとを流す。まずまずの演出だったよう。葬式は限界芸術の場でもあるという鶴見俊輔の言葉を実践できて、よかった。父もそういう場を喜ぶような気さくな人だったと思うので、これぐらいの演出は許してくれると思う。
大阪市立北火葬場において、1410分に点火。かっきり2時間で白骨となる。そのあいだ、親戚たちで昼食。顔が分からない人たちもいたので簡単な紹介を家族ごとにしてもらう。最後にお袋が挨拶。
・・・・・

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by kogure613 | 2017-08-12 22:27 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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