建築Symposion@京都芸術センターの中庭 「熱狂!河内音頭 ヤンレー節 鳴門家寿美若の夏」

2017/9/3(日)

午前中校務。かなりくたびれる。

でも、京都芸術センターの中庭で、子供たちが建築物で遊んでいるすがたを見て少し癒やされる。

ドローンを飛ばしていた人もいた。

建築Symposion-日独仏の若手建築家による-http://www.kac.or.jp/events/21717/

かげろう集落〜日独仏6組の若手建築家による、9日間だけの仮設空間

【展示作品】

ドットアーキテクツ:「町家の滑り屋根」「散水塔」

加藤比呂史:「人々をこの場所を織りこむ、落書き」

島田陽:「屋根すべり廊下で昼寝」

スヴェン・プファイファー:「危ない遊び場」

ルードヴィヒ・ハイムバッハ:「形のない悦楽のフロート」

セバスチャン・マルティネス・バラ/バンジャマン・ラフォール:「フォリー、ウェルカミング・ルーフ」

この運動場を使った「かげろう集落」は今日までだったが、東アジア文化都市2017京都、アジア回廊現代美術展は10/15まで。二条城は有料だが京都芸術センターは無料。映像が多い。

帰って、録画していた藤井聡太さんの将棋を見る。

そのあと、妻が楽しみにしている「ごめん、愛してる」の前に録画していた、講談と落語をチェック。

一龍斎貞水「宗悦殺し 真景累ヶ淵」、三遊亭遊三「船徳」。

河内音頭よりもまだ江州音頭の方が触れる機会があるのは、滋賀とのご縁があったからだろう。

八尾市や千早赤坂村。意外と大阪府の東、河内国について知らない。

この2006年の河内音頭のドキュメントは、興味深いものだった。

河内音頭の一つ、ヤンレー節を担う鳴門家寿美若さんが、大阪市の現業職員(公園の主任)で、音頭取りをした翌日も、二日酔いやといいながら公園の木の伐採をしたりしている。お弟子さんが韓国人の女性だから「岸壁の母」を授けたり、太鼓を見に行ったり、暮らしと地続きの強みであるアマチュア性の意味を伝えていた。新聞読みとか説経節(俊徳丸)とか、河内音頭が、浪曲はもとより、中世の浄瑠璃がたり、そして説経節までも守備範囲なんだとすこしその世界の面白さを垣間見た気分がした。

NHKプレミアムカフェ 熱狂!河内音頭 ヤンレー節 鳴門家寿美若の夏 2017726日(水)午前900(120) https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3599/2325140/index.html

<ハイビジョン特集 熱狂!河内音頭 ヤンレー節 鳴門家寿美若の夏 (初回放送:2006年)ヤンレー節で知られる鳴門家寿美若一門に密着、庶民の芸能として日本の夏を盛り上げてきた河内音頭の魅力に迫る。

【ゲスト】朝倉喬司,【出演】鳴門家寿美若,村井市郎,鉄砲光丸,岩井梅吉,鳴門家寿恵美,【語り】中西和久,【スタジオゲスト】藤本愛,加藤優子,【スタジオキャスター】渡邊あゆみ

Yoshiepen’sJournal > 2017-07-27  http://d.hatena.ne.jp/yoshiepen/20170727/p1

<このNHKの放送では、河内音頭中のヤンレー節伝承者、鳴門家寿美若さんを取り上げ、河内音頭の夏の陣を追う。河内音頭とひとくくりにするけど、実は色々な郷土民謡が流れ込んで、一つの大きな流れになっていることを知った。
 大衆演劇で『河内十人斬り』を見るまでは、ほとんど知らなかった河内音頭。その時々の事件を歌に歌い上げるという芸能の形は人形浄瑠璃にも見られる。実際の事件、それものどかな田園地帯では衝撃的な事件だった「十人斬り事件」。それをすぐさま音頭にして歌ったのが「河内十人斬り」。「事件」が持つ即興性は、河内音頭の長い伝承の蓄積、プロトタイプの中に組み込まれ、なじまされつつも、別の色合いをプラスして歌われる。それがまた伝承の大きな流れの中に解消されて行く。
 この番組は鳴門家寿美若という河内音頭の伝承者、実演者を通して、日本の芸能の中にしぶとく、強く、脈々と残ってきた伝統芸能のあり方に迫っている。河内音頭夏の陣を仕切る彼の実生活にまで入り込んでの取材。鳴門家寿美若という一人の伝承者が彼個人だけではなく、その環境、地域の歴史的なもの、いわば地霊のようなものを背負って、出てきたことが見る側に伝わってきた。その地霊は、私たちがそれぞれに抱え込んでいる地霊と共振して、心がざわざわする。私も例外ではなく、波打つ心を抑えられなかった。>

【参考】

メモ<http://park16.wakwak.com/~yao/ondo-rekisi.html

河内の音頭
 現代の河内音頭というと菊水丸や鉄砲節などでお馴染みのリズムある浪曲音頭が全盛であるが、その流派は地元では百派千人あるともいわれ夏ともなると大阪府下はもとより東京の錦糸町あたりでも盛大な河内音頭による盆踊りが開催されている。
河内音頭のヒストリー
<現代の河内音頭は江州音頭(ごうしゅうおんど)の変化したものであるというのが定説である。
 その江州音頭というのは、天正十四年七月十七日、滋賀県犬上郡豊郷村の千樹寺が再建され、その落慶法要が営なまれた際。住職の根誉上人が余興として参拝の人たちに、経文を面白く節付けして歌い、それに手踊りまでして見せたのが、人気を呼ぴ、これを習って人々が踊るようになり、年中行事となったということである。
 これは経文に節付けをした念仏踊りであった。これが江戸時代に入って、初期には宗教から離れ、俗化して、歌祭文として門付けの芸人達が歌うようになった。
 江州音頭は、門付け芸人の歌祭文より生まれたが、明治初年頃に滋賀県八日市の市場町に住んでいた通称「歌寅」と言われた西沢寅吉という歌好きの人が、市場町に古くから伝わっていた踊りやクドキ文句に歌祭文をミックスして、独得のクドキ、つまり音頭化して今日の江州音頭が産まれた。
・・・
 同時期、河内の音頭も北河内に「歌亀」が義太夫節の文句に節付けして歌い始めた「交野節」がうまれ、その後、南河内には明治26年に富田林町の人力車夫「岩井梅吉」が従来の音頭に派手な江州音頭の節を加味して大太鼓を用いて早口、流し、改良、平節などという12種類の唄い方を使い当時の事件「河内十人切り」をよみこんだ。
 これが流行を呼んで河内音頭といえばこれを代表するもののように信じられるようになった。
 浪曲のほうに目を向けると、明治39年には、九州から彗星の加く桃中軒雲石衛門が現われて、義士伝を美声と特殊の節回しで語って大衆を魅了し、同四十一年に大阪から吉田奈良丸、東都から京山小圓が上京して、関西節の艶麗さを加えて、非常な好評を博した。
 明治から大正に入り河内音頭の世界でも、この関西節の京山幸枝の節を多分に採り入れ、昭和初期には大阪、平野の初音家太三郎さんの「平野節」がうまれたが、一般にはこれも河内音頭とよばれ現代の河内音頭の母胎がほぼ出来上がると言える。
 戦後、河内音頭の知名度が一躍全国レベルにまで高まって行ったは、その初音家の稽古場に出入りしていた鉄砲光三郎が「鉄砲節」という名でレコードをだし、つまり現在の河内音頭(新河内音頭 鉄砲節)が生まれたのである。
 この鉄砲光三郎による鉄砲節「民謡河内音頭」が昭和30年代に流行歌としてヒットを飛ばし河内音頭イコール鉄砲節と日本中に認知させてしまった。
 その後も三味線と太鼓の伴奏に時代とともにエレキギターなどが加わり、パーカッションやシンセサイザーなども取り入れ、現代のワールドミュージックと呼ばれる音楽に変化しているのは衆知の事実であり、八尾出身の河内家菊水丸が現代の河内音頭「カーキン音頭」をTVCMで全国に認知させたのも記憶に新しい。
 今後も、時代の変化とともに「河内の音頭」は変身を続け、伝統や古典を無視した進化する日本の民俗芸能の一端を担いつづけることであることを願っている。>
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by kogure613 | 2017-09-03 22:35 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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