sportsから「スポーツ」になったのか。なあんだ、artsで「アーツ」にするときそう説明しれば上司はすぐ納得したかもなあ・・
2018年 08月 16日
2018/8/16(木)
文化芸術基本法に出ている文化芸術の分野を書くというテストをした人がいて、そこに食事とかスポーツとか書く学生がいたという話をきいて、前から気になっていた話をする。
ウィキペディアにあるじゃない、sportsが米語でsportがイギリス語。日本は戦後のアメリカの影響で「スポーツ」というようになったと。
そういう説もありうるなあ。でも戦前の日本で「スポーツ」という言葉は使われなかったのかどうか。
まあ、半分スッキリ。これは「アーツ」という言葉を地域創造を作る準備のときに「アート」に変わって使うことで実演芸術への意識を高めようと意図的に私がしたことがあり(1993年から5年あたり)、その時に、どうして「スポート」ではなく「スポーツ」というようになったのか(その時は複数は意識せす)と思ったとき以来のちょっとしたひっかかりだった。
同じくウイキペディアの「日本のスポーツ」の解説では、複数形でスポーツとカタカナ語になり、これは大正時代あたりから使われていたという。原典があればまたみたいもの。
京橋から大阪駅に行く要領で乗ったら、まずかった。そうそう野田駅に止まらず西九条駅へ。
慌てて、近道をしたつもりがすこし場所がわからなくなる。
実家に寄ったが、まだ接骨院から帰っていなかった。
お通じにいいとテレビで行っていたので、辻とみでキウイフルーツを買おうと思ったら売り切れ。
これで大阪桐蔭が高岡商業に負けたら最悪の一日になるところだったが、なんとか勝つ(しかし見送り三振が多くて心配な試合、左投手の横川も直球のコントロールが悪すぎ)。
つぶやき
上方落語と講談の見分け方が外見ではかなり似ているので、演目や語り調子で見分ける必要がある。講談と浪曲を間違えるのは、外見では違いはわかりやすい。
何せ、浪曲(浪花節)では、曲師(三味線)が横にいるので。
ウイキペディア「見台」より
<落語でも見台が用いられることがあるが、これは上方落語に限る。上方落語では膝隠しとよばれる小さな衝立の裏に机状のものを置く場合がある。これを見台とよぶが、本を乗せるのではなく張扇や拍子木で叩いて、音をだすために用いる。講談ではこの役割をする台を「釈台」というが、かつては見台ともよんでいたようである。江戸落語では通常見台を用いないが、これは辻噺・大道芸としてうまれた上方落語に対し、江戸落語が座敷噺・屋内芸能として発展したきたという歴史の相違によるものと説明されることが多い落語でも見台が用いられることがあるが、これは上方落語に限る。上方落語では膝隠しとよばれる小さな衝立の裏に机状のものを置く場合がある。これを見台とよぶが、本を乗せるのではなく張扇や拍子木で叩いて、音をだすために用いる[1]。講談ではこの役割をする台を「釈台」というが、かつては見台ともよんでいたようである。江戸落語では通常見台を用いないが[2]、これは辻噺・大道芸としてうまれた上方落語に対し、江戸落語が座敷噺・屋内芸能として発展したきたという歴史の相違によるものと説明されることが多い>