細馬宏通『絵はがきの時代』青土社、2006。
2006年 09月 03日
東山演劇ビギナーズユニットの公演、S高原(平田オリザの作品)だし、何だか、青年の死を扱ったサナトリウムぽい世界がいまどきの若者はどう演じるのだろうと、気になっていたのに、また、睡眠不足でしんどくどよどよ。
去年の今頃も同じような心身の不安定さをこの日録(日乗)に記しているので、夏の終わり、授業ははじまらず、まあ、休みが長いのでどうもルーティーンがないことによる症状だろう。
朝のうち、ぼんやりしていたら、なんとか、レジュメを作る作業をしたり、本を読んだり、普通にすごせるようになる。
細馬さんの本を昨日に読み終えていて、芳江に朗読して聴かせる。惚れるという。わたしも惚れる。少し悔しいぐらいだ。細馬宏通『絵はがきの時代』青土社、2006。
矢印と文字が誘っているのは、現実の不忍池だけではない。既製の風景に手書きで書き加えられた矢印と文字は、風景とは別の層、すなわち、まさに書き手がペンを入れようとしている部屋の空気をまとっている。何の変哲もない風景画と、それを机の上に置き、それを眺め、文章を思案している差出人との間に、その書き込みは位置している。そしてこの書き込みを梃子にして、書き手のいる部屋の空気が、絵はがきの中から読み手の側に割って入ってくる。p48少し古いモノクロの絵葉書(大阪絵葉書協会発行、八枚組)がたまたまわたしの机にある。この前のビッグ盆で100円で売っていた『観光の大阪 VIEWS OF OSAKA』。1950年代ぐらいのものだろうか。第3相互銀行という看板が「御堂筋」の写真に写っているので、まず戦後だろう。1937年に出来た大阪市立電気科学館が観光スポットになっているのは、プラネタリウムがまだ珍しかったからだろう。電氣科學館と漢字が古い。いつごろからいまの漢字になったのだろう。
絵はがきを受け取るわたしは、ただ風光明媚な風景を見るのではない。それは、あなたのいた風景であり、わたしがいればよかった風景である。わたしは、絵はがきを受け取ることで、わたしのいない場所を告げ知らされる。わたしは、大正八年八月八日八時に間に合わない。わたしの不在はとえりかえしがつかない。だからこそ、絵はがきは、あなたからの贈り物となる。そしてわたしはわたしの不在にあこがれて止まない。p118