IE9ピン留め

亀井南冥。発光と(あるいは、発見と)発信と発狂の哀しい人生。


7/1(日)
電車で読んだ本。
三浦佑之『金印偽造事件~「漢委奴國王」のまぼろし』幻冬舎新書、2006年。
古代史とか文化財の関係者にとったら、古事記文学の専門の人が推量したものだし、別の専門的感想になるのだろうけれど、私は、1784年に発見されたという「金印」を利用して、自分が設立した藩校「甘棠(かんとう)館」(福岡藩西学問所)を、「修猷館」(福岡藩東学問所)に並ぶ学校として「発信」するために画策した亀井南冥という人の一生に興味を抱く。

金印は1784年、突然志賀島にて発光した(偶然に「発見」されたことになっているが、この本ではそこを疑うところから始まる)。そして、いち早く、これが、後漢書にある「印綬」であると「正確に」鑑定しその発光を内外に「発信」する南冥。他方、「修猷館」の人たちは??? 呼応するかのように、京の有名人たち(上田秋成、本居宣長、・・・)もすばやく即座に注目して(著者はそこに南冥の手回しを見るのだが)、文章を「発信」。江戸でもそのうちに評判になる。評判となり、やがて、名声が広まり、福岡藩の威信ともなれり。

じつに、市井の儒者から出世をした南冥は、福岡の文化の魅力を発掘し評価し、外へと発信した先駆者とみなすことが出来る(私もその近く、いまの修猷館高校のそばに住んでいたのでなじみがあるし親近感も沸く、当時の修猷館の朱子学者たちよりも)、もしそれが偽造でなければであるが(発信の目的は結局、外部への発信が外部による権威付けとして内部の自らの地位向上に役立つというためであることがこの例でもよく示されている)。江戸時代というのは、地域おこし、地域文化「発信」の源でもある。

もし、三浦氏が言うように、万が一「金印」が偽造であるとすると、南冥は、単に自分の権威付けと自校の人気向上のため(+当時は何より子どもなどお家の繁栄のため)の発信が目的で、その内容は創造でも偽造でも架空でもなんでもよくなってしまったのではないか。

発信という思惑の怪しさ。そして、50歳で突然、南冥は首になる。その謎。そのあと、「甘棠館」は2度火災に会う。南冥はどうも発狂気味(徘徊老人)になったと言われ、最後も「原因不明の出火」により一生を終える(「この焼死については、自ら家に火を着けたとも。そうでないともいわれて」いるp162)。
いずれにせよ、亀井南冥、72歳で没。発光と(あるいは、発見と)発信と発狂の哀しい人生であったそうだ。合掌。
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by kogure613 | 2007-07-01 08:03 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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