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醍醐街道→蓮如通り(一瞬)→蓮如さんへの道

2007/10/30(火)
ああ、山科らしいなと思った。
何が山科らしいかというのは、あいまいなのだが、利害関係がややこしくて大変であるとともに、それだからこそ、今日的「まちづくり」の現場だということかも。

というのは、この9月に三条通りから渋谷街道あたりまでの南北の通り、醍醐街道を「蓮如通り」と名づけてイメージアップをするということになり、フリーマーケットや山科の昔の写真展などが記念企画として行われると聞いたので、てっきり、そういう名前でこれからいくのだと思っていた。それに、いつもお世話になっている山科青少年活動センターとかめくるめく紙芝居を来年3月にもやらせてもらう東御坊さんもあって、なじみ深くなるなと思っていたのだった。

で、今日、東部文化会館でNPO法人山科醍醐こどもの広場さんの新しいオフィスを示す地図にも「蓮如通り」とあったので、そんな話題を朱さんに向けた。

すると意外や意外。朱さんたちは、新しい通り名を広めようとしている人に言われて醍醐街道としていたのをわざわざ「蓮如通り」に変えてリーフレットを作ったのに、実は、この名前は使えなくなったというのである。
火種は、近くの日蓮宗のお寺さんから。なんと、このお寺さんが通りに並ぶ飲食店の地主さんだったのだ。お寺は強し(反対しないと日蓮宗・法華宗関係者から怒られるという配慮もあったかも?)。なんだか、むか山科本願寺を焼き討ちした宗派でもあるし、あれこれ因縁深げで(これは深読みかも?)、少し無責任な言い方かも知れないが、かなり面白いエピソードだなあと思った。でも、えらいのは、「蓮如通り」がダメだったら「蓮如さんへの道」ではどうか、という妥協案が出されて、それが通ったというところ。「蓮如さんへの道」・・・山科らしくていいかも。

来年6月あたりに、第4回の子どもの文化フォーラムが行われる予定になって、その打ち合わせ。午前中。

私は、もう児童教育学科に任せてもいいとはじめ思っていたが、そうそう、かえっこ、やろうと自分で言っていたことを途中思い出し、かえっこなど、ワークショップのワークショップ的なことをするのだったら、ぜひ、文化政策のうちのゼミ生たちにタッチさせたいし、いまの3回生で誰か、卒業研究として取り組まないかなあと思ったりもした。

今日は、昨日、少し寝不足であったこともあって、低調な自分だったのだが、ちょっとお寺めぐりと思って、帰り、六地蔵から逆に二駅行き、黄檗駅で下車して、萬福寺に行ってきた。
7月に行けば大きな蓮の花が見られるし、北京でお寺を見たことがあるが、その感じに少し似ているところもあり、天井から文字が垂れている、字だらけのお寺というのも珍しくて新鮮だった。



京都新聞の引用 Kyoto Shimbun 2007年9月24日(月)
 山科を活性化しようと、「蓮如さんへの道DE歩行者天国」が24日、京都市山科区の醍醐街道で行われた。今年から始まった手作り市や写真や地図で山科の歴史を振り返る展示に多くの人が訪れた。

 蓮如上人の墓所や東西本願寺別院がある醍醐街道沿いの山科商店会が、お客さんと気楽に話して交流し、山科の魅力を伝えようと開いた。

 手作り市には、商店会の買い物客らが趣味の雑貨を出品するなど、旧三条通から渋谷街道まで約600メートルに渡って50店が出店。写真展には、山科をかたりつぐ会が区内で集めた昔の山科の写真や昭和10年ごろの広告などを並べた。1個12銭の歯磨き粉の広告などが時代を感じさせ、約30年前から山科に住む藤林智女さん(56)は「写真展では、住む以前の様子も分かって興味深かった」と話していた。
 山科商店会の石田伊三雄会長(63)は「評判も上々。将来的には毎月1回、東西本願寺別院で『蓮如市』を開ければ」と夢をふくらませていた。

by kogure613 | 2007-10-30 18:00 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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