森美香代ダンス公演『ASITA』 菅野仁『ジンメル・つながりの哲学』

4/13(日)
もう葉桜だなあ。昨日とうってかわって、暖かい。それなのに今日はセーターにコートで出てきてしまった。花粉が暴れているようだ。少し心配。そうそう、ヤザキさんはマスクをしていた。

森美香代さんから丁寧な手紙をもらっていたので、今日こそと思い、はじめは、京都国立博物館で「暁斎」を見て(妖怪や鬼女の絵が気になるので)、と思っていたが、まず、AI・HALLに行った(結局、またこれだけで帰る)。

13:08~14:28。森美香代ダンス公演『ASITA』。HIDDEN PLACEという3つの情景からなる森さんを含む3名の前半のあと15分の休憩。そして、森さんのソロ、ASITA(あしたの花)があった。当日パンフもチラシ、そしてチケットデザインと同じように美しく、ステージの期待をより高めている。

確かな感性と流れてゆく身体、そして、舞台構成のメリハリがあって、大満足でAI・HALLを出る。照明もよかったな。後半のはじめ、森さんが下手の前の方にたたずんている明かり、実物よりも間近で、オブジェかと錯覚するぐらいに、くっきりと闇から浮かんでいた。

小さな子ども連れのご夫婦とかが多く、ダンスをやっていて、そのうち結婚して子どもが生まれて、子どもにダンスをさせよう、そして自分もまたダンスを始めようかなあとか、そういう感じでダンスがつながるといいなあ・・・と、会場の和気藹々、そして、お久しぶりというような暖かい空気のなかにいると、ダンスと演劇公演との違いを感じたりするし、身体が原点なので、生命力が会場の人も強いような、そんないい加減な比較をしている。

それは、森さんの流動する動き、途中で、シャッター音とか機械のなかで、働く身体へと変わり、横に寝ながらも走り歩く、なかなかに機知に富んだ、面白くも都会人的時間に追われるダンスシーンを経て(起承転結の「転」、あるいは序破急の「破」)、歌が入る「結」へとつむがれてゆく。その舞台を観たから、その舞台を一緒に見た人たちのことまで、ダンスが思わせてくれたのだろう。

ちょうど、昨日から夢中で読んでいた本、菅野仁ジンメル・つながりの哲学』(NHKBOOKS、2003年)を読み終わっていて、菅野さん(『友だち幻想』を読み終えた学生がこの本に進むとどんなにいいだろう!)って、ホントに誠実で、社会学と哲学の両方に関わるジンメルというどちらかというとあんまり著名でない(一応社会学もやっていましたので、名前は知っていましたが、ジンマーっていう先生もいらした)思想家のエッセンスを、自分の学生時代そして教師として学生たちと一緒にいる姿を通じて、語りかけている。(カラオケで尾崎豊を熱唱する著者が、でも、学生の話に耳傾けている所など、自分的に近い場所にいるためか、そのシーンが目に浮かんできます。)

「根性なしの社会学」とか、「主体の文化」とか、「関係の豊かさ」とか、キーになる言葉をもらって、これからジンメルの本も注文しているので、じっくり、芸術と社会というときの「社会」のことを、またもう一度勉強しなおそうと思う。夫婦の関係のことなど色々私的にも参考になるが、一つだけ、その例示:嫉妬と羨望の違い。

P182(第六章「闘争」がダイナミックな人間関係を作る)にあるように、嫉妬の感情というのは、相手そのものに対する敵対性であり、近親憎悪と同じく、距離が取れない感情なので、じつにやっかいな人間関係なのだということが、改めてジンメルの説明でよく分かる。
嫉妬とは、ひと言でいえば、「なんで自分ではなく、あいつが(それを)もっているんだ」という感情である。羨望の場合は、所有物が問題なのだが、嫉妬の感情では所有者が問題になる。

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by kogure613 | 2008-04-13 19:16 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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