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大学とは、隠されている本当のことを一緒に考え調べるところだ

7/2(水)
学期の終わり近くは、いつ・・・・

いつも、学期のはじめは希望に満ちている。
今年はこういう授業にしよう、こんなことを学生に伝え、こういう体験をさせれば、どうか。
そうすれば、いままで学生たちが好きだと思っていたもの以外の広大なアーツの領野を垣間見ることが出来るのではないか。知るということの楽しさを。
目先の役に立つこととか、就職に有利な資格云々という、本来の大学活動にとっては、枝葉末節のことを忘れるぐらいの、うっとりとした、めくるめく世界へといざなえるのではないか、とそう思っていつもはじめるのだ。

で、いまごろ。学期の終わり近くは、いつも雨・・・・
はじめの希望的な意気込みはすでに無残にもなくなりはて、じめじめとした季節とともに、ああ、ことしもまた、というため息と失望と自分に対するいじけた気持ち、負け犬の遠吠えのようなブルージーな気持ちになったりしてきた。

まあ、今年もそんな部分もある。でも、ちょっと違うように思ったりもする。いまだに、より瑣末なほうへ、世界も身近なところも行こうとしているのは変わりないし、さらにまたひどくなりそうだ。正直、笑い事ではなく、大阪府がここまでひどくなるなんて予想もつかなかったし、もっともっと悪いことだってこれからもおきるのかも知れない。

でも、身近なことでいえば、今年度、文化政策学部文化政策学科が建築インテリアの先生を数名追加しただけで突然現代ビジネス学部都市環境デザイン学科に変わってしまうというびっくりなことがおきて。
でも、私はなぜか私としてこうしていまも文化政策学科のときと同じに存在し同じこと(営利企業ビジネスでは出来ない非営利アーツマネジメントの大切さ、あるいは、地域は都市だけでなりたってはいないこと・・・)を考え伝えている。そう、学部名学科名がどう変わろうと、なんとかそこにおらしていただいているのです(たとえば、文化発信戦略学科とかになるよりはましだよねと思ったりもして・・)。

ささいなことのようだが、これって自分的にはけっこうすごい。そういうことに耐えられるなら、まあ、これから起きるだろうより悪いことも耐えられるのではないか、それよりも、死ぬ前に自分がすべきことを考えていくことがより大切だと思えるようになってきた。

ちょっと最近の書き込みが不安的な自分の気持ちのままのものがあって、心配をかけてしまっているようだ。ごめんなさい。大丈夫です。

そうそう、いまこれを書こうと思ったのは、以上のようなことではなかった。

書きたかったことは、
大学とは、隠されている本当のことを一緒に考え調べるところだということだった。たとえば、この前の下鴨車窓「農夫」(作・演出:田辺剛)を見た学生なら分かるだろうが、お芝居は「ミュージカル」な(心地よい音楽・ダンスなどによる娯楽的)要素がなくても、ちゃんと、お芝居なのだ。音楽が世界からなくなったとしても、演劇として成立できる。それが劇作家と演出家が常に追求していることなのだ。

○ もちろん、音楽より演劇のほうが上だとかステキだとかいっているのではない。音楽についても、演劇と同じように、隠されているもの、有名ではないが、有名なものと同様、あるいはそれ以上にステキなものがあって、それは「ほっておくと、なくなってしまう」危険がいっぱいあるようなものがあるということ。

本質的なこと、ほうとうの世界とは何か。
マーケティングとか、集客できるか、お金儲けができるか、有名になれるか(ブランド化できるか)も世間ではとても大切だといわれているそうだが、そういうこととは別なことだって世界にはあるということ。

映画も同じだ。無声映画を観ると本当に映画の初源が手に取るように分かる。動く写真としての映画。映画は、活動写真といわれてきたように、写真が動かなくなれば映画ではなくなるが、音声がなくとも、もちろん、色彩がなくとも、十分に映画なのだ。映画とは何かを知るのは、無声映画を見るとことからはじめる。そういうことが出来るところが、大学なのではないか、ということ。

「われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう」(宮沢賢治農民芸術概論綱要」)

以上のことを書いて大学へ。
アーツマネジメント総論。ようやく限界芸術論だ。52名の受講。
イチハラヒロコさんと伊達伸明さんを例示しつつ先端芸術と限界芸術の共振について話す。昔は、いつも宮沢賢治の農民芸術概論綱要を朗読したものだ。いまは、学生にはどうも漢字等がむずかしく伝わらないのでやめてしまっている。でも、再開してもいいような気にもなっている、なんとか。

昼休み、伊丹アイフォニックホールで市民オペラを担当するようになったという卒業生がやってきた。卒業後紆余曲折があったのかどうかとか全然知らないが(OゼミかとO先生に聞いたら違っていて、Iゼミかも知れないと思ったりした)、関係のところで働いたりするんだなあ。彼女は編入してきた学生で、アイホールの紹介をしたら友人とさっそくそのお芝居を見に来て(あれは燐光群だったな)、びっくりしたものだった。こんな学生が5名ほどもいれば、ゼミを開くことが出来るのだが、さてどうかなあ・・・

夜、三条京阪の近くで、演劇の制作関係の方々のなかに入れてもらい、雑談。
いやあ、年寄りの世迷言ばかり話したのかも知れない(記憶混濁・・・)。
by kogure613 | 2008-07-02 23:02 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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