周防正行『それでもボクはやってない』
2008年 12月 28日
ちかくの眼鏡屋さんで眼鏡を注文した。
サウナに持ち込んだのがやっぱりダメだったみたい。
1/10には新しい眼鏡になる。それまでは、すこし、右目ぼんやりしながら冬を眺めるわけだ。
古いものしかないのだが、ベートーヴェンの交響曲第8番を聞いてみる(フルトヴェングラーのライブ1954年)。続いて、マリア・グリンベルクのベートーヴェンピアノソナタ全曲集より、ハンマークラヴィーア(ピアノソナタ29番)。これは3月の予習(早すぎ)。
夜、周防正行監督(脚本も)『それでもボクはやってない』(143分、でも長く感じさせない手際よい演出、編集)。2006年に製作され、2007年1月に公開。音楽は従兄弟の周防義和(1954年生まれなので、1956年生まれの監督より少し年長)。
裁判ものは大好きなので、それを割り引いても良心的でいい娯楽作品だし、法学(刑事学入門とかいうのがあれば最適)の授業にはうってつけだ。確かに弁護席と検事席の位置は逆のことが多いようにも思ったが、それはたいしたこともなく、拘置所もそういう感じだろうし、警察の取調べもまあ少し酷くしているが、こういうことがないとはいえないだろう。
裁判官の対極性(はじめの裁判官は疑わしきは被告人の利益に!の無罪を自信なく出すような人で、そのあと交代した判事はお役人的仕事師で検察官サイドに寄り添うのが露骨)は映画によるメリハリでいささか戯画的。
それは検事側も同じで(ロートルの人と有能な若手の対比)、弁護士も同様だがよりきめ細かく描かれている(役所さんは周防映画ではいい人すぎるぐらいいい人だね)。当番でいやいや呼ばれた当番弁護士の描写はなかなかリアル。おかあさんや友達が主人公の無罪を疑う瞬間とかがあるとより映画に陰影がグラディエーション化するのだろうが、これがエンタメ映画のギリギリなのかも知れない。
この映画で主人公を好演している加瀬亮は、黒沢清映画『叫』で冥土の渡しのような役をやっていた。目撃者のOLを演じていた唯野未歩子はやはり彼の映画、『大いなる幻影』の主人公の一人だ。黒沢映画のお蔭で俳優も少し知るようになったな。
演劇出身では、大谷亮介(余貴美子と劇団東京壱組をしていてよく見かけていた)が冒頭痴漢役で出てきてびっくりしたな。小日向文世は、いやな裁判官役をさらりと演じる。いつみても、うまいバイブレーヤーだ。
痴漢の罪を構成する条例(刑法の強制わいせつ罪には達しないもの)は全国にみんなあるのだろうか?調べてみたら、全都道府県に迷惑防止条例としてあるのだそうだ。
テレビで市川崑『犬神家の一族』(2006年のリメイク版)をやっていて、後半を見てみた。
お茶の間テレビ。この監督で見る価値のある映画はあるのかどうか、調べてみなくちゃ・・・