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スティーヴン・ミズン『歌うネアンデルタール』&溝口健二『雪夫人絵図』

1/28(水)
大学で事務。修士論文チェック。
きょうも暖かい。きょうが最後の授業日。

夜、溝口健二『雪夫人絵図』1950年、86分。
翌年の『武蔵野夫人』とよく似ている趣向なのに、私には、『武蔵野夫人』の方がずいぶん楽しめたというのが正直な感想だ。どうしてだろう。
DVDの状態は、『雪夫人絵図』のほうがいいし、熱海のお屋敷(その後旅館にする)から見える月景色や山の上のホテルとみずうみの景色は相当に美しくぞっとする心情を出してはいるのだが。

一つには、木暮美千代のイメージがすでにあって、どうしてももっと強い人だという印象があり、無理にそうではなく演技している・・と思わせるところがあったのかも知れない。

いや、それよりも、婿養子の直之を演じる柳永二郎(野獣っぽい振る舞いと容姿はそれなりにいやな感じではあるが結局かわいいところあり)に比べて、『武蔵野夫人』の夫を演じていた森雅之の演技力というか、いやな男の描き方がすごかった、ということかも知れない。

スティーヴン・ミズン『歌うネアンデルタール』―音楽と言語から見るヒトの進化、早川書房、2006年。ようやく読み終える。書評→◎  

じつに面白い分野だなあ、認知考古学、進化心理学というところは・・・でも、もちろん、心の考古学というのは、実証的に研究するというのは、ずいぶんむずかしいだろうな。これは笛かただ骨の中を食べるために空けられた穴か、という推論だって、確定するのはずいぶん議論が出るだろうし。

音楽的な発声(ミズンは「Hmmmmm」と呼ぶ)から、言語を分化させたホモ・サピエンス(20万年前~)。
音楽を別にトレーニングしないでおくと絶対音感が相対音感になってしまう私たちの直接のはじまり。そのかわり、言語が開発されたために、超自然存在や象徴物を作り描くことができ、その根底には「認知的流動性」がある。
(言語をどうして私たちだけが開発できたんだっけ?たしか、遺伝子変異説と、広範囲交流説があったな)

認知的流動性・・・「美術や科学や宗教の基礎となる比喩の能力」p332
「個々の知能(社会的知能、博物的知能、技術的知能)の考え方や知識をひとつにまとめ、特化した心では不可能な新しい種類の思考を生みだす能力」p374 たとえば、擬人化されたライオン。「ライオンについての知識(博物的知能)と人の心についての知識(社会的知能)を組み合わせて、人のような思考を持つライオンのような存在」を創出するのが、認知的流動性という、ホモ・サピエンスのみが有するとミズンがいう能力だ。

ホモ・サピエンス以前で、もっとも高度な音楽能力(絶対音感はもとより複雑な全体的フレーズで洗練された感情のコミュニケーションを行う力)をもったのは、いうまでもなくネアンデルタール(ホモ・ネアンデルターレンシス、25万年前~3万年前)だ。
by kogure613 | 2009-01-28 23:51 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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