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冠婚葬祭のアーツマネジメント、葬送の現在について

12/31(木)
ツイッターの時間を思い切りとって、来年からはうまく時間配分しようと思った今年最後の日。
夜は、妻が作った正月料理をお重に入れるいつものお手伝い。頭を綺麗に剃ってもらう。それにしても今夜は寒い。

すこしの時間で、短い志賀直哉の小説を読む。「冬の往来」。この端的な描写はいまさらながらにうなる。中年になった男の中途半端な生き方をそのまま提示している。「山科の記憶」を読むために買ったのだが、一つ、老後の楽しみが増えた気持ち。

紅白歌合戦は一瞬見たが、音がうるさいしつまらないので、消音して画面だけ眺める。あわせて、美空ひばりでちゃんと聴いたことがなかったので取り寄せた『河童ブギウギ ベストセレクション』を流す。なかなか面白い組み合わせ。「河童ブギウギ」はもちろん楽しく(水玉とばしておどれよ・・・カッパブギウギ ギャッー)、「あの丘越えて」(ヤッホー ヤッホー)のメロディーなどが新鮮に聴こえる。

お風呂入って寝る前に、神道入門の本を読みながら(ちょうど、植民地だった台湾などの神社のことや移民と神社・新宗教のところ)、マリヤ・グリンベルクのピアノで、月光と熱情を聞く。一年の最後にしみじみとベートーヴェン。なんと幸せな。


昼は、あと3回の授業(イベントデザイン論)の準備をした。以下、そのレジュメ・メモ。
・・・・
★ 限界芸術論@鶴見俊輔さん
• 生活と芸術との交じり合ったところにあるもの。限界政治、限界学問も同じ。
• いままで、芸術(アーツ)は、ハイアートとポピュラーアートというような二分法であった。
• 純粋芸術は、専門芸術家が創って専門的鑑賞者だけが享受
• 大衆芸術は、経営者(プロデューサ)が専門家を使って、大衆という鑑賞者(消費者)にヒットするように創られた作品(商品)

★ 鶴見俊輔『限界芸術論』(ちくま学芸文庫、1999年)p16
「生活の様式でありながら芸術の様式でもある」様式=フォーマット社会システムの様相
「職業として芸術家になる道をとおらないで生きる大部分の人間にとって、積極的な仕方で参加する芸術のジャンルは、すべて限界芸術にぞくする」
「芸術の意味を、純粋芸術・大衆芸術よりもひろく、人間生活の芸術的側面全体に解放する」

★ 冠婚葬祭やごっこ遊びは限界芸術
• 限界芸術とは・・・非専門家によって創られ、非専門家によって享受される芸術
• つまり、人類の一番初めにあったもの。祭りや葬式。
• 個人としても、一番初めに愉しんだアーツ。遊びといってもほとんど同じ(たとえば、 ごっこ 遊びは演劇だし、落書きはもちろん美術、体をくねくねするとダンス)
• 小さな子は詩人で音楽家で俳優でもある

★ 冠婚葬祭マネジメントとは
• 本来は限界芸術マネジメントということ。
• 限界芸術は非専門的なのが特色。
• ところが、結婚式にも、専門企業や司祭さまが登場する。レストラン(外食)も。
• つまり、資本主義の進展→経済外部化の一つ。個人サービス業の拡大。
• ただし、俳優の多くは素人であり、手作りを助ける専門家がいるだけ、と考えることができる。そして、アーツ的には企業も宗教家も素人

★ 限界芸術結婚式の今日的復活は?
• 大衆芸術結婚式=結婚式場、ホテルに任せる方法。操り人形と観客としての参列者。
• 演出は金銭の多寡によって決定。純粋芸術的→クラシック奏者を雇ったり、高級料亭仕出し
• 社会的な認知に加え、未来が未定型で不安だから、司祭、神主による神秘的儀式結合が必要
• 他方、伝統的結婚式は限界芸術の形だが、
• 地域的、家制度的伝統=しきたりに縛られて個人の自由な表現なし

★ 限界芸術結婚式の今日的復活-2
• 今日的な限界芸術結婚式がいま必要
• 自分たちらしい展開と参列者の祝福が相互・双方向に
• 専門家はアドバイザー、ファシリテーター
• アーツプレースとしての式場、披露宴会場選びと演出の工夫
• 主役や脇役に個性的表現自由と責任感
• 参列者に、音楽・美術・ダンスなどの参加入口→思い出を共有してもらう演出構成と展示プログラム

★ プロセス化する婚礼マネジメント
• 出会い→デート→恋の展開と相互理解→価値のすり合わせ→違いの許容→婚約→家族への紹介(→結納→仲人)→参列者・披露宴出席者決め
• 限界芸術的に見ると・・・エチュードとワークショップによる試行錯誤、役柄、シナリオづくり、まさしく配役と脚本づくり、そして、観客創造の過程となる・・・・・主役のキャラクターづくり、他の脇役との台詞づくり、ターゲットとなる観客選び

★ プロセス化する婚礼マネジメント-2
• 式場・会場・二次会パーティ選び→日時セット→衣装、演出プラン、引き出物→コーディネータとの打ち合わせ→通知→当日掲示・・・→新居、ハネムーンの決定→将来プラン(家庭のスタイル・カラーづくり、マネー計画、人生設計)
• ・・・限界芸術マネジメントそのもの。客入れ、席順、プログラムづくり、サプライズ、音楽選び、小物、舞台美術などのほか、アーツマネジメントにおける宣伝美術や資金調達などが応用できる

★ アーツマネジメントは(限界)アーツを社会へ提示する術
• 冠婚葬祭は、通過儀礼(通過する区切り)であるとともに、
• 本人(死者を含む)がずっと関係することになる(地域)社会に出会い認められる舞台でもある。
• 婚礼も葬送も行列によって人びとが立ち会った。いまは、教会や寺院、専門式場であったり、特別の演出を施した自宅、町家、レストラン、リゾートであったりする。
• 鑑賞者、脇役のフロー(うっとり)づくり

★ 葬送のアーツマネジメント
• 本人は亡くなった。でも、周りはまだそれを信じられない。
• どうしたらいいか。どうしたらお別れをいえるのか。
• 主役は死者、遺体へと進み、埋葬。墓が造られる。
• おっと、その前にいまでは火葬という儀式もいる。
• 聖者の行進=旅立ち、そして、残された生者にとっては、別れという儀式であり、
• 記憶する、忘れないための舞台でもある葬式。


★ 葬送のアーツマネジメント2
• 演劇空間である葬儀場。通夜の場。
• 遺体と親族との対面、訪問者の花入れ。
• 遺影の設置、花輪は美術インスタレーション。白い菊などのフラワーアレンジメント。
• 焼香の振る舞いダンスと嗅覚への感応
• 霊柩車への棺桶の移動。
• 香典とお礼・お返し。入場料との連関。いり込み数の予測の難しさ。高齢化→会葬者減少

★ 葬送のアーツマネジメント3
• 葬送は、仏教のかかわり大(神道は、神社は生誕・結婚に向かい:苦悩に対応しない方かも)
• 死後の世界。西方浄土。成仏。 ほとけさま 。
• 浄土へ行くための戒名(法名):死後の名前(生前に修行をすればもらえるのだが)
• 苦しい現世に未練をなくすこと。葬送には、幽霊でうらめしや!と死霊となって彷徨 わ ないでいてほしい、という裏の気持ちもある。とりわけ、訳アリの死においては。

★ 碑文谷創『「お葬式」はなぜするの?』講談社α文庫、2009 より
• 最近までの死と葬儀を巡る変化
• 1985年頃から ターミナルケア(終末期医療) 尊厳死 キュアだけからケアも
• 戦後復興期までは死は身近→死を拒否・忌避(高度成長期)→死を認める・受容へ(現在へ)
• 1960年以降の死 自宅から病院へ(そのまま、葬儀会館) 
• 仏式葬儀は、89.5 %

★ 「お葬式」はなぜ-2
• マイ墓ブーム・・・各家族単位
• もともと庶民には、石塔はなかった(卒塔婆のみ)→家墓制度の定着(近代化)
• →永代供養墓(合葬式墓地)、散骨、樹木葬
• 葬式の個人化:平均会葬者132人(05年)←280人(1991年):家族に迷惑をかけたくない(生前)
• 家族葬(1995年以降):死者をよく知っている人たちだけで・・ゆっくりと時間をかけてお別れ、深い哀しみ(グリーフ)に浸りたい

★ 「お葬式」はなぜ-3
• 従来は、通夜が前日にあって、葬儀・告別式が続けて行われ、そこに会葬者
• 最近(21 世紀)の傾向(個人化多様化):
• (1 )通夜に会葬者多くなる傾向(告別式化)、葬儀本番には、近親者のみのことも
• (2 )遺体を自宅に安置するケースが減少
• (3 )直葬(ちょくそう):葬式自体をせず、遺体処理としての火葬のみ:僧侶読経あることも
•(4)ホテルなどでの「お別れの会」無宗教:献花のみ

★ 「お葬式」はなぜー4 葬儀事業者
•葬儀市場 年間1.4兆円
•事業者数6000(実質は4500程度)
事業者平均:年間150件、一件当り150万円
•80年代以降、葬祭会館(斎場)の増加 5000
2007年調査(病院死亡82%)では、
斎場葬儀は、64.9% 
自宅葬は、12.7%(1992年では52.8%) 
あとは寺院・教会、集会場など

★ 「お葬式」はなぜー5 葬儀の変化の社会的背景
① バルブ景気の崩壊
② 超高齢化
③ 地域・家→核家族→家族分散
地域コミュニティの弱体化、親戚関係の希薄化
④ 死のポルノグラフィー化
リアルな死を隠す、見ないようにする社会意識
⑤ 宗教意識の拡散
⑥ 葬式を知らない時代・・・葬儀社任せ

★ 「お葬式」はなぜー6  葬儀の原点
① いのちの尊厳
遺体となった死者を大切にし、生死を含めて弔う
② 遺族の心の痛み
③ 死の事実の確認 
死の看取→枕経→納棺・・・拾骨:ステップごとに
④ 悲嘆(グリーフ)の表出
死別した近親者が深い哀しみを表に出せること
⑤ 心の中へ  忘れるのではなく刻む記憶
⑥ 共感     周囲の人びとが遺族に共感

★ 「お葬式」はなぜー8 死を共同的な営みへ
二人称の死の不在
(孤独な一人称の死と三人称の死の報道だけ)
◎「人の死に出会うということは、自分の小さな死を体験することだ」
◎人生の中で人間関係が大きな比重を占める
→自分と関係した人の死は、他人事ではない
◎自分とは、その亡くなった人との関係によっても構成されていた
→その関係が消滅したということは自分の部分的な死
◎死は共同的な営みであるべきだ

★ 「お葬式」はなぜー9  映画『おくりびと』から
◎映画『おくりびと』は、死から目を逸らすのではなく、向かい合うべきものということを、納棺師を通じて伝えた (問題点としては宗教者の不在)
◎さらにすすんで、エンバーミング(遺体衛生保全)が重要なものに:遺体に対する消毒殺菌・防腐・修復・化粧・・・慌てずに葬儀が挙行でき、ビューイング葬、遺族が触れ合うことが可能に
◎03~IFSA(社団法人日本遺体衛生保全協会)のエンバーマー試験(2年の履修)

★ 「お葬式」はなぜー10  お墓の革命
◎家墓(いえはか)明治の後期以降 それまでは個人ごと(石塔がない場合も多かった)
 納骨堂(北海道や九州では昔から)
◎人口移動、一人っ子同士の結婚、無縁墓
◎跡継ぎを必要としない永代供養墓 500、
 散骨(スキャタリング:2ミリ以下)、
 樹木葬(桜葬)
◎手元供養:遺骨を仏壇に、イアリングなどに
by kogure613 | 2009-12-31 23:08 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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