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カテゴリ:こぐれ日録

  • 小川美緒『化粧は誰の為にするの?』Port Gallery T & プラスアーツ総会
    [ 2012-05-24 21:59 ]
  • 校務な一日
    [ 2012-05-23 23:04 ]
  • 一時的イベント発想からいかに離脱できるか・・
    [ 2012-05-22 23:15 ]
  • あさ、かえっこバザールについて少しメモった
    [ 2012-05-21 21:56 ]
  • 京都国立近代美術館&かえっこ準備&『狂い咲きサンダーロード』
    [ 2012-05-19 22:53 ]
  • 『ゴスポディンとよばれて』フィルップ・レーレ作、田中孝弥演出
    [ 2012-05-18 23:26 ]
  • エコロジカル・ケイパビリティ・アプローチ
    [ 2012-05-17 23:45 ]
  • 黒沢清『贖罪』第一話「フランス人形」 WOWWOW
    [ 2012-05-16 22:52 ]
  • <アーツマネージャー十訓>&こんなことが起きるなんて!
    [ 2012-05-15 23:29 ]
  • ゼミ&[奄美しまうたの心―竹下和平の芸術]
    [ 2012-05-14 21:05 ]

小川美緒『化粧は誰の為にするの?』Port Gallery T & プラスアーツ総会

5/24(木)
近大。この数年、定義から分類など講義を固めてから、視聴覚教材へというやり方をしていたけれど、分類論とか、昨今の課題(指定管理者問題とかあれこれ)の前に、3回ほど、映像を使うことにした。
メックにしようかと思っていたら、第10回の糸賀一雄記念音楽祭の映像(代島治彦さんのもの)が届いたので、それで、定義などを実際の形で見せる(アウトサイダーライブ論とかは、置いておき)。

そのあと、いつもの『歓喜の歌』活用。見ていて、ラーメンが食べたくなり、お昼は抜く予定だったのに、終わってから食べて、さあ、大阪歴史博物館『中村順平 建築芸術の探究』展に行こうとしたら、間に合わなくなる(どうも、今日は、注意散漫・・)。

で、来週が宇山さんの写真展示なのだが、場所を探すことや時間を使うために、Port Gallery T(安田ビル:戦前の建物だろう:良い感じ・・)で、小川美緒『化粧は誰の為にするの?』を拝見する。特殊メイク的な連続する顔写真の変容。

靭公園は、小さい時、遠足だったか、あるいは、親とだったか、馴染み深いところだったので、バラ園に座って読書というか、ぼんやり。橋本敏子さんのオフィスがあって、お花見をしたことをお思い出す。

18時半から、NPO法人プラスアーツ総会。藤浩志さんに2年ぶりにお会いする。いつも会っているようですから・・とは言われるが、やはり、実際に会うっていいなと思う。彼を扱った東京芸大の修士論文を手に入れなくちゃ。

話を聞きながら、生協活動との比較ができそうだなと思ったし、防災や緊急災害時活動のあとの避難所でのQOL問題が一番残されているのだなあ、と田村太郎さんたちのお話でよくわかった。











by kogure613 | 2012-05-24 21:59 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

校務な一日

5/23(水)
10時から、来客。11時の打ち合わせと関連性あり。
11時から、打ち合わせ。なるほど、こういう場で決まるのか・・・
でも、まだ、慎重だなあ・・

12時15分から学科会議。
14時半から学部教授会。
大学院の研究科会議。なかなか文書の用語統一ってできないものだなあ。
やはり、お役人さんたちのそういう形式合理的処理能力っていまは知らないが昔はすごかったなあと思ったりする。ぼくなど、いつもそういう面では見落としミスが多かったなあ(ハンコをいただきにいき、どんどん赤鉛筆でいっぱいになり、途中で書きなおしたりした・・・

そのあと、個別調整。
吹奏楽部の部長がへんなことをいっていて、びっくり。
ブライトンホテルで互助会。やっぱり、・・・。
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by kogure613 | 2012-05-23 23:04 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

一時的イベント発想からいかに離脱できるか・・

5/22(火)
午前中にふたつ授業をして、その来週の資料などを早速準備したり、出席確認や質問などをチェック。

で、15時から学部長になったために校務校務・・・
もどると、久しぶりにぼくにあえたと、学生学会の中心人物などが来て、ほよほよってしている。
慰め役ね。

6/17の公園こども探検の相談。
学生学会では、有名人の講演会をしたいそうだが、それでは、一時的イベントツアーと同じレベルになるので、ぼくとしては、学生たちの課外活動としての社会的な資格獲得や能力アップ研修の一部助成をすべきだと思っている。

あさ、少しだけ原稿を書き足す。
第四節 文化政策、都市公共政策(まちづくり)、イベントプロデュースとの関係
 本章=「アーツマネジメント研究および伝習における到達点」では、1990年代に導入されたアーツマネジメントの考え方やノウハウを次世代へいかに伝えるのか、その工夫や教育現場での実際を通じて、アーツマネジメント学の現在地を明らかにすることを目的として記述してきた。本節においては、第二節で扱った文化の分類のうち、術文化以外の文化、とりわけ、政治行政や経済経営など制度文化とアーツマネジメントとの関係を、政策論、プロデュース論の視点で明らかにしてきた過程を説明する。
 
 まず、政策の簡単な定義化が必要となる。政策とは、さまざまな分野、組織形態に渡るものだが、あえて、一言でいれば「人びとの幸せづくりを応援すること」が政策である。通常の「政策」という用語から連想されるイメージ(政治や行政が中心のイメージ)よりも、ここでは幅広く考えて、何らかの幸せ(幸福、良きこと=ウェルネス、福祉=ウェルフェア)を人びとが獲得するためのサポート(応援、支援、補助、助成)が政策ということができる。

なお、一般の国語辞典などでは、政策といえば、「政府・政党の政治上の方針とそれを推進するための手段」とあって、それから、応用的にもっと広く「その組織体の運営上必要とされる実際上のプラン」にも使われるとあって、具体的に「営業政策」が例示されている 。

 もちろん、本格的な「政策」の定義にも触れることも必要であり、たとえば、松下圭一『政策型思考と政治』(東京大学出版会、1991)には、「政策とは、市民が、市民活動から出発し、また団体・企業あるいは政党を介して、構想・選択するとともに、一定の『手続』で自治体、国、国際機構各レベルの政府政策にくみたてる」(p7)ものであり、定義として、「個人、あるいはこの個人からなる運動・組織・機構による、問題解決のための作業仮説の設計」(p10)として、とても参考になる。松下氏によると「政策」のうち、個々人の手に余るものが「公共政策」であり、それにも政府組織だけではなく、市民レベルの運動や組織が基本にあって、労働団体や経済団体などのレベル、そして、政党レベル、政府レベル(これも自治体、国、国際機構の三段階に分かれる)に渡っているとあり、これが、現在の政策論の基礎である。

 さて、政策とは人びとの幸せを応援(サポート)するものであり、しかも単に計画や方針(「ポリシー」)があるだけでは足らず、それを実現する手段や評価のセットが必要となる。また、政策主体が政府(ガバメント:政治と行政セット)だけではなく、市民活動・NPO領域や産業界を含むために、<ガバメント(政府)からガバナンス(統治)へ>というようなキャッチフレーズなども観られたが、それは、統治主体の多元化という流れに沿うものであった。

 他方、「まちづくり」を固く言えば、都市(公共)政策と一応は言い直すことができる。したがって、「(公共の場である)都市≒まちに住む人びとの幸せを応援(サポート)すること」と定義されることが可能となる。
もちろん「まち」が持つ含意は幅広く、町でも街でもあって、さらに、より広く、あるいは、より柔らかく、そこ=「まち」に住む人びとに担われることを意図させて使われてきた。ここでは、まちづくり論固有の領域に踏み込むことはせず、アーツマネジメントとの隣接関係を明らかにすること、文化政策とまちづくりとアーツマネジメント、そして、その3つとは、目的と手段の関係に近いとは思われるが、独立して意識されることも多い「イベントプロデュース」の4つの大体の布置関係を解説することで、アーツマネジメントの固有域と関係領域を示すことにしたい。


 
(つづく・・w)
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by kogure613 | 2012-05-22 23:15 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

あさ、かえっこバザールについて少しメモった

5/21(月)
金環日食ということで、木漏れ日とともに少し太陽をチラリ見。
太陽の形を意識することはこういうイベントがないとなかなか意識できないものだが、卒原発時代には格別の意識になりうるのかも知れない。
雑談しているうち、自然の交配の神秘ってすごいし、遺伝子によらない文化というものも、遺伝子がその空白を創ったというふうにいえるのかも知れず、文化の消去法的定義ってまだまだやなあとも思ったりする。

朝の電車の中で、珍しくメモ:かえっこバザール原論。以下、そのメモをベースに書いておく(ゼミは2つ、どちらも比較的順調)。

かえっこバザールは、作者(考案者)として芸術家・藤浩志さんがいるからということとは別にして考えると、それ自身がクリエイティブな活動であることは違いないとしても・・・

基本的問い
かえっこバザールという仕組みそのものが芸術(アーツ)そのものなのか?
それとも、各種アーツ(主に限界芸術)を参加者に各様に誘発する「芸術場」形成シーズなのか?

推論1
現代美術における芸術概念拡張性や前衛性、既存概念の反転性・否定的脱構築性などからすると、新しいアーツとして新たに形作られたと見ることができる。藤さんはかつてアートOSという言い方をしていたが、OSアーツという拡張概念(コンセプトアートやパフォーマンスアート、インスタレーションによる現前)や、「コミュニティアーツ」(地域地区共同体まちかどがアーツと響鳴共生的にある一週の社会彫刻的芸術の一つ。

推論2
芸術営的に見ると、子供たち、スタッフなど関係者それぞれの限界芸術心が刺激誘発され、自由な表現へと開放され進化していく芸術場づくりの環境ツール(環境デザインの種=シーズ)とみることもできる。

(一応の結論)
作曲者が五線譜のような指示がかなり具体的で確定的な楽譜ではなく、もっと抽象的な枠組みを創っただけの作曲譜のようなものであるが、かえっこバザール自体も「芸術物」とみなされる。ただし、生産財(B to B)のようなものなので、実際の展開はアーツマネージャーやコミュニティリーダーたちに委ねられている(自由でルーズさがあるプラットフォーム的なもの)。

抽象的な説明とすると、
様々な目的で様々な主体がそれを“つかう”ことを想定している、まちつかい・環境デザインなどに寄与する交通の場・拠り所としてのアーツ。
ただし、そのかえっこ環境にいることで、各人のアーツ創作意欲や参加意思が蠢くものであり、それによって、かえっこアーツ自体も変化成長していくOS的芸術環境場としての役割を副次的に持つもの。

次に遡って「芸術」とは
 個人の自由な感性的表現の術(文化)。

(なお、術とは、生活文化、制度文化を刷新していくことができる専門性を持った「術師」が担うもので、学術、技術、学術に大別される。)

「芸術場(アーツプレース)」とは、
 個人の感性的表現により広範な自由さを加味することができる芸術表現と芸術交通、芸術享受の環境。

「芸術物」とは、
 創作者(+制作者など)が、芸術の享受者に届けることができる形態になったもの。

芸術を社会、鑑賞者(予備)へと届けるときには、何らかの移動可能であることが必要(反復可能なこともかなりの程度に必要)である。そのためには、何らかのユニット化、パッケージ化が必要になり、それを「芸術物」と呼んでみると、芸術物は形状から、有体(有形)芸術物と無体(無形)芸術物に分けられるとともに、別の尺度として、その市場性・商業性の濃淡によって、芸術商品と芸術作品という風に分けることができる。



by kogure613 | 2012-05-21 21:56 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

京都国立近代美術館&かえっこ準備&『狂い咲きサンダーロード』

5/19(土)
少し、花粉症も終わりに近づき、いい気持ちで東山へ。
京都国立近代美術館では、22日からの井田照一の版画展の学生前売りを購入。ちょうど、これが準備中だということもあるのだろう、4階コレクションギャラリー(館所蔵による美術・工芸・写真展示)、いわゆる常設展が無料で、7/1までのものなので、学生に事前に知らせようと見ておく。

吉原英雄の版画が企画展と呼応しているし(長谷川潔作品は版画と油彩画)、すべてが日本の作家のもの。同時代の現代美術作品があったり、戦前の二科展の有名な人たちの作品もあって多様な美術の世界を知ることになるだろう。現代版画に対応する現代陶芸と染色、あと河井寛次郎・・

1階のリチャード・ロングの両側の壁面の作品や屋外彫刻も見るように話しておこう。

大学でかえっこ準備として荷物出し。
明日の天気を祈るのみ。NPO法人山科醍醐こどものひろば・こども生活支援センターに荷物を置く。

帰って石井聰互監督『狂い咲きサンダーロード』(1980年、98分)。應典院の秋田光彦さんの紹介にいつも彼がこの映画を若くしてプロデュースし、成功を収めるがそのあと人間不信になることが起きるという経歴を聞くのだが、肝心の映画の記憶がなかったので、購入していたものをようやく見る。

暴走族の終わりの季節。ヤンキー文化もこのあたりから、おいしい生活とかバブルとかで衰退するのかな。あるいは、ファッション化するということか。泉谷しげるの歌などがいっぱい。
『サイタマノラッパー』シリーズの第2作目を今度見ようと思っていて、少しそういう関連性も意識して見た。

by kogure613 | 2012-05-19 22:53 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

『ゴスポディンとよばれて』フィルップ・レーレ作、田中孝弥演出

5/18(金)
アーツマネジメント論の定義編の後半。
そのまえに、めくるめく紙芝居の映像を見せたら、予想以上のいい反応があった。
また、ファンドレイズして学生を巻き込みたい。

2回生ゼミ。
明日の準備が18時以降と間違っていたらしい。
路上だからなあ・・まあ、荷物だけ運び込もう。

韓国からの留学生が卒業して、韓国水原(スウォン)市の文化財団に就職したのだが、初の日本出張ということで顔を出してくれた。夜は、行けないので、嬉しかった。

天満のスタジオSTRで、清流劇場の田中孝弥演出のドイツの新進気鋭〈1978年生)のフィルップ・レーレという劇作家のリーディングドラマを鑑賞した。
『ゴスポディンとよばれて』。85分程度。
いやあ、カフカの変身ぽくって・・エリック・ロメール監督初期作品の『獅子座』も彷彿とさせるような世界だった。

ドイツ文化センターと清流劇場の共同プロデュース。寓話劇ではあるが、グリーンピースにラマを連れ去られるところから始まるシュールさというか不条理さが滑稽なところもあって笑える。それにしても、自称アーティストや俗物たちがカリカチュア的に登場する。http://3383838.blog.fc2.com/blog-entry-62.html

台本を持っての動きなので、これをどう舞台化するのか、ぜひ、それを実現してほしいなあと思いつつ、これ見てメセナとか助成とかしようとする企業や団体っていま大阪にあるんかなあ・・とかふと寂しくなる。
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by kogure613 | 2012-05-18 23:26 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

エコロジカル・ケイパビリティ・アプローチ

5/17(木)
近大では、アーツマネジメントの7つの定義の後半部分。
アーツのプロフェッショナルとアマチュアとの関係論が今年はすっきり伝わったのかも知れない。逆に、M・チクセントミハイのフロー理論はさらりと通過。時間が数分余ったので、「文身」についての小ネタ。ちょっと、いま、維新の刺青チェックがあったので、奇妙な感じになってしまったようだ・・

それしても、原稿書かねばいけないと思いつつ、つい、facebookしてしまって、時間がすぎる。
橋下徹さんやその地方政治団体の動きは激しいのであれこれ忘れかけていることを思い出させられたりもする。とくに、教育行政について。

教育委員会という行政委員会が、行政行為(処分)を行う行政庁であるという戦後の民主政治改革(部分的アメリカ化)であったことが、たぶん、いまの日本国憲法とともに、国粋主義の勢力からはまどろっこしいのだろうなと思う。教育基本法は一部戦前への回帰(脱民主米国化)したので、つぎは、平成維新を行う国粋主義的急進派の方々は、教育行政組織をも戦前化(明治維新の帰結としての富国強兵挙国一致戦時体制)へと戻すことをめざされるのだろう。

話は違うが、文化政策が文部省にあることが第一の原因なのだが、お飾りでしかも首長の権限配分装置でしかないような教育委員会なんていらない(教育長の専横がけっこうあるので)のではという気持ちになっていたことも結構あったので、いろいろ思い直したりする。

鞄の中は、いつまでも、河野哲也『道徳を問いなおす』(ちくま新書、2011年)。でも、もうすぐ読了。

アマルティア・センとマーサ・ヌスバウムの『クオリティー・オブ・ライフ』は発注しておくべきかも知れない。「第三章 他者を知り、共感するために―エコロジカル・ケイパビリティ・アプローチ」を読み終えた時そう思う。もちろん、マーサ・ヌスバウムの単著『女性と人間開発:潜在能力アプローチ』も、これをまちづくりに応用しようとする研究者にとっては必要だろうし、アーツマネジメントの意義を追求するときに、ケイパビリティ(潜在能力という訳が適切かどうかちょっと思ったりするが)論をアフォーダンスとともに援用することは意味あるようにも思える。

by kogure613 | 2012-05-17 23:45 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

黒沢清『贖罪』第一話「フランス人形」 WOWWOW

5/16(水)
健康診断。
体調不調なので心配。血圧の高い方が90にならず、2度目でようやく94。
あとは血液がどうかなあ(尿酸値は下がったかなあ・・)。

月曜日、松井寛子さん(風まかせ)からのお誘いの電話があっていて手帳に書いていたことをようやく夕方になって思い出す。昨日も大学の劇団の公演を見ようと思っていたのだった(これは、寒気していて、まったく無理だったが)。

地域公共人材のことでメールしたり打ち合わしたり。
大学院の発表がブルーグラスを例に「音楽共同体」の日本の歴史を辿るもので興味深い。テンニースのゲマインシャフトとゲゼルシャフトという言葉を久しぶりに聞く。

原恵一監督研究のあとは黒沢清監督作品に移るということもあり、WOWWOWこれだけ無料だった(お試しというのをしたら観られたのか・・・いつDVD化するのか、待ち遠しい)『贖罪』第一話「フランス人形」(2012.1,85分)を夜観る。蒼井優、森山未來(ダンスを小さい時からしていた神戸市出身の役者だそうだ)。

海岸の根無し草のような湾岸の住まい。『叫び』と繋がっているし、小泉今日子が「律法」として償いを要求するのだが、小泉繋がりとしては『東京ソナタ』ということになる。第一話なので、続きがより深まるのだろうな、というとりあえずの終わり方。初めのあたりだけ、『学校の怪談』シリーズのあとにちょっと見せるっていうのもどうかな、とか教材としてみてしまっている自分ありw

家族の食卓が豊かかどうかで、その家族が崩壊しないかどうかが判る、というふうなことを『東京ソナタ』では誰かが話していたように思うが、この映像では、高そうなレストランで目につくのはワインばっかりだし、コーヒー飲むぐらいで食卓はあるのだが、そこには夫婦の食事風景はない。

by kogure613 | 2012-05-16 22:52 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

<アーツマネージャー十訓>&こんなことが起きるなんて!

5/15(火)
沖縄をNHKが特集している。
沖縄にとって大事な日だ。

今日は、名誉教授称号授与式なので、あいものスーツ(15年ぐらい前のものを久しぶりに出して)を着ていく。
溜まっている出席表を夕方つけていくうちにどうも頭が朦朧として、お腹が痛くなる。

なに?と思って、これは、ズボンのウエストがきつすぎて、腹を圧迫して、そのためにおかしくなったのだと気づく。
家に帰って、すぐにズボンを脱ぐ。脱力。そのままバタンキュー。
一日、最低の体調の日となった。

あさ、原稿書きで、以下の事項を「第一章 アーツマネジメント研究および伝習における到達点 第一節 アーツマネジメント概念の導入、その伝達上の工夫」の最後に追加した。
・・・
第一章 アーツマネジメント研究および伝習における到達点 第一節 アーツマネジメント概念の導入、その伝達上の工夫
・・・
なお、芸術(アーツ)と経営(運営、マネジメント)の関係を説く前に、キャリア教育との関連もあって、どういう資質と役割をアーツマネージャーが持っているのか、持つべきなのか、そのためにどう学ぶとアーツマネージャーになるのかを提示することも時には有効になる。
そのために、参考にさせていただいた本として、佐々木晃彦編著『芸術経営学を学ぶ人のために』(世界思想社、1997年)「第五章芸術産業時代のアートマネージャー」がある。この中で佐々木氏はアーツマネージャーを「あらゆる芸術活動を責任をもって運営管理する人であり、芸術という商品を開発、生産、流通、販売のなかでビジネスとして成立させる役割を担う人」(同書p273)と定義されている。1998年の特定非営利活動促進法制定前であることもあり、NPO的民間の概念がなかったこともあるが、この定義は芸術を「商品」と規定するなど企業活動サイドに比重がかかっていることがうかがえる。しかし、芸術産業分野もアーツマネジメントの対象とする筆者としては、逆に、非営利活動のみを対象とするのは狭すぎるとも思える(佐々木氏は具体的にアーツマネージャーに近い現存の職業として「美術の領域では学芸員、音楽ではコンサート・マネージャー、ミュージック・アドミニストレーター、演劇では制作者、映画ではプロデューサーなど」を挙げている)。
佐々木氏は、この定義のあと、具体的にアーツマネージャーの資質と役割10か条を次のように述べている(同書p274-280)。
①「生活のなかの芸術」を自分の言葉で考える
②芸術に恋をして、芸術家には誠実に対応する
③アートマネージャーは献身する
④専門知識を吸収し続ける気力
⑤先取り精神と行動力
⑥企画力
⑦金銭感覚:予算を把握、実行できる行動力
⑧アドミニストレーションへの対応
⑨需要を喚起させるマーケティング力
⑩共感能力と統率力

 これに刺激される形で、筆者も以下のような10か条(10訓:多様、体験、事務、記録、表現、交通、環境、継続、柔軟)を考えてこれからのアーツマネージャーの卵たちに送ることにしている(これは、アーツマネジメント以外の数多くの職業、とりわけ、NPOや知価産業などにも適用されるものであると、これについて受講生である学生がコメントを残したりもしている)。

<アーツマネージャー十訓>
第 1条【多様】 アーツを深く愛し、ジャンルの多様性に対応するため、あらゆる機会を活かしさまざまなアーツに触れる。
マネージャーは、マネジメントするアーティストよりも広く様々なジャンルのアーツに通じていることが、制作したりワークショップを企画したりするときに有効になるのである。

第 2条【体験】 アーツ以外の文化活動、ボランティア、研究調査など実践的体験、フィールドワークを行う。
芸術ジャンルを超えて、広く文化領域、たとえば、スポーツや娯楽、福祉などの知見、体験などがアーツの中だけで完結しがちな現場へ新しい風を入れることができるのである。

第 3条【事務】 経理や法規、顧客管理はじめ、アーツを支えるルーティン事務の大切さを知る。
マネージャーは一言でいって地味なもの。他者の歓びを自分の喜びにできる人でありたい。自己満足でいつも目立っていたい学生には不向きであることを悟らせるのも重要なポイントである。

第 4条【記録】 自分たちのアーツ活動をよく観察し、日記やサイトの形で記録する。
デジカメやビデオなど便利なものがいっぱいあるので、それらを活用することはもちろん必要だし、器械音痴ですなんてカマトトぶっても仕方がない。でも、基本は言葉での記録である。日々のアーツ日記が訓練には一番のものだと思う。

第 5条【表現】 相手に伝えるための平易な表現力(文章術、話術、外国語力)を身につける。
言葉は、それを使い記録すればするほど、短い時間で使いこなせるようになる。アーティストではないので、様々な表現を参考にして文章にし、話術に生かす。さらに外国語ができるなら、それを使う機会を持つ。

第 6条【交通】 交通する(=対話型コミュニケーションを行う)気持ちとメソッドを持つ。
自分たちとは違う年齢層、地域、民族など、多文化との交通が、アーツ環境をずいぶんと豊かにしてくれる。そのためには、語学もそうだが、ワークショップなどアウトリーチの手法を体験して自分のものすることが大切。

第 7条【環境】 アーツを取り巻く環境を意識して文化現場を観察し、企画に活かす。
どうしても劇場なら劇場、美術館なら美術館のなかだけで精一杯になりがちだが、その周囲の環境をよく調べて、企画に活かすことができると、広がりが出てくるし、公演時刻(展示時間)、開催期間や鑑賞者づくりのヒントになることが多い。

第 8条【継続】 変革と継続の大切さを知っている(過去にこだわらず、失敗を未来に役立てる)。
マネジメント力とは、いかに失敗に強いかということでもある。続けるためには変わり続けなければならない。変わるためには、続けなければ変わることも向上することもできない。

第 9条【柔軟】 多文化への適応力と、非常事態に対する柔軟性(余裕、頭の切り替え)を持つ。
予想がつく仕事はそれほど実り多いものではない。突発の事故にも対応していくことで、予想以上の成果が生まれる。

第10条【聴取】 アーティストの力を引き出し、鑑賞者の声をつかむために、臨床的聴取を常に心がける。
臨床とは、死のベッドに寄り添うことであった。積極的に相手の声を聴く。相手の話に割り込んでいかない。心を澄ませて、アーツに、社会に耳を向けよう。それは、自分の思いがけない声を聴くことにもなる。臨床的聴取=傍らで聴く態度(bed-side listening)。
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by kogure613 | 2012-05-15 23:29 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

ゼミ&[奄美しまうたの心―竹下和平の芸術]

5/14(月)
3回生ゼミは、やまやまWe are 就活というイベントチラシをまいたので、すこし、数的処理の問題や対偶や三段論法などを使う問題をやってみる。
できると嬉しいという感じでSPI的な学習の誘因になればいいのだが。

こどもの文化フォーラムの公園遊びの検討。当日パンフが小学生仕様にしてもらった。去年の6月のチラシをやった二人はどっちも、シンプルなのに的確な画面構成で実力がある(数的処理はぼちぼちねw)。

4回生ゼミは、山科カルタ遊びを体験してもらう。
就活期間が続いているのと、これからあとの卒研発表の前のリラックスだが、これもこどもの文化フォーラムの準備体操的にぼくとしてはなっている感じだ。
白地のカルタに文字と絵を描くのもやらせる。これはまさに限界芸樹的な参加である。

帰って、買っておいた奄美しまうたのDVDを鑑賞する。
『第22回<東京の夏>音楽祭2006 奄美しまうたの心―竹下和平の芸術<上><下>。
沖縄の三線とは音色が違うなあと前から思っていたが、蛇皮ではなく、和紙かプラスティッk、それに撥は沖縄のつめではなく、「よくしなる竹や鼈甲の長いヒゴ状のもの」だからだ。










朝、すこし原稿を書き進めた。

by kogure613 | 2012-05-14 21:05 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)