石原慎太郎の監督時代のことをちょっと検索

石原慎太郎の監督時代のことをちょっと検索するため、
「石原慎太郎の監督起用反対運動」でググル。

《渡辺毅(わたなべ たけし)は東宝の制作プロデューサー。プロデュース作品 映画 TOMOKO もっとも危険な女(2000年) テレビドラマ 高校教師(1974年、東京12チャンネル) 華麗なる刑事(1977年、フジテレビ) 土曜ワイド劇場(テレビ朝日)》 以下は、渡辺毅さんという映画プロデューサのエッセイのようです。

http://home.k00.itscom.net/kowdow/koudous_essay/essay_koudou070511.htmより一部引用(面白い!)
・・・当然助監督会は総反対でストライキも辞さないと言う者までいた。その中で石原に一本撮らせてもいいという助監督が二人いた。一橋大の映画研究会で石原と一緒だった西村潔と私である。

・・・・・・フランスではトリュフォーやシャブロールやアラン・レネなどヌーベル・バーグの連中がドンドン新しい映画を撮っていた時代である。もしかしたら石原慎太郎は日本一のいい監督になるかも知れないし、駄目だったら1本こっきりでお終いになるだろう。一本くらい撮らせてやったらどうか、と私と西村潔は賛成した。当然これは助監督会の総反撃を受けた。・・・

 藤本真澄製作本部長は石原慎太郎を東宝撮影所で監督に起用することを諦め、東宝の子会社の東京映画に連れて行って、「若い獣」を撮らせた。しかし、散々な出来だったことは先に述べた通りである。

 石原慎太郎と湘南中学で同級生であった文芸評論家の江藤淳に言わせると、石原は映画監督や小説家や政治家など色々なものになりたがったが、石原に一番合っていたのは、矢張り肉体を使って自己表現する政治家だったという。キャメラを使って自己表現する映画監督も、文字を使って自己表現する小説家にも石原は向いていなかった。だから石原には初期の短編には見るべきものは少しあるが、力を入れた長編は駄作ばかりであると江藤淳は酷評している。・・・・

 結局、石原慎太郎が若いときやったことは、女房を大学に入れることと、日生劇場を建てたことだけだった。・・・・・・

 それに比べると日生劇場の方は、ひょうたんから出た駒とはいえ大成功だった。石原慎太郎は一緒に仕事をしていた浅利慶太や武満徹と共に、東京にもオペラを上演できる劇場を一つ欲しいと思っていた。三人は劇場を作るために二億円ばかりの金を集めようと東奔西走していた。たまたま東京進出を狙っていた大阪の日本生命に行ったとき、いきなり二十億円出すから都心にドーンと建てなはれ、といわれて三人は吃驚した。それが今の日比谷の日生劇場である。劇団四季の浅利慶太はその日生劇場を拠点に「四季」を大きく育て、今では浜松町に自分たちの四季劇場を持つようになり、「キャット」や「ライオン・キング」など数多くのミュージカルをロングランさせている。
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by kogure613 | 2010-03-20 21:13 | 情報収集 | Trackback | Comments(0)

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