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海老澤敏『瀧廉太郎―夭折の響き―』

海老澤敏『瀧廉太郎―夭折の響き―』(岩波新書921、2004年)を読む。

「終章『荒城の月』その後―変貌の受容史」にところが特に自分的に興味深い。
すなわち、『荒城の月』(「荒城月」がもともとの題)のいまの楽譜は、山田耕筰(瀧の7歳下、学年では10年下)が、自分の感性(当時の時代の風潮)とか、自分の変奏曲づくりのために大幅に改竄したものだという話を初めて知って、「君が代」が3つ以上あった話ぐらいに驚き、その耕筰が「瀧君」と呼んでいるのにも、かなりの違和感(当時は、先輩を「君」づけしても、問題なかったのかも知れないが)あり。

いまでも山田耕筰編曲となっているようだが、以下のような変更をしている。
1) 原曲のロ短調を二短調に
2) 音符の基本を八分音符から四分音符へ
3) テンポ表示を「アンダンテ」(歩くくらいの速さで)から「レント・ドロローゾ・エ・カンタービレ」(痛ましくも悲しみ歌うようにゆっくりと)
4) 「一部のリズムに手を加え」る。具体的には、山田譜での9小節目「ち-よ-の-ま」(1番の歌詞、千代の松枝・・)の附点の移動
5) 瀧にはピアノ伴奏をつけた稿もあったとも伝えられているが、山田は自分で独立したピアノ伴奏を付け加えていること
6) 以上の変更ののち、1920年代のはじめには、瀧廉太郎の原旋律に手を加える。山田譜での3小節目「は-な-の-え」の「え」(瀧原曲ではE#)のシャープをとってしまう(山田譜ではG)。

最後のところになると、もう山田編曲ではなく、瀧-山田合作ということになるのでは?というのが、海老澤さんの解釈。

「瀧君」問題(笑)。p213より、孫引きで、山田耕筰の文章(1950年)を引用
 瀧君といへば人は『荒城の月』を思ふ。芸術的優秀性から見れば『荒城の月』も最上のものとはいへない。然しあの時代に於て新しい時代の日本的歌曲の範を示した点に『荒城の月』の価値もあり歴史的意義もある。世上、やゝもすると私を日本の最初の作曲家と見立てるが、それは当たらない。(略)


http://plaza.rakuten.co.jp/kirkhanawa/diary/200412190000/

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by kogure613 | 2010-07-17 16:56 | 研究テーマ・調査資料 | Trackback | Comments(0)

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