くじら企画・大竹野正典追悼三夜連続公演『サラサーテの盤』
2010年 08月 27日
久しぶりに大学。
2年間休学していたゼミ生とあう。パリにいると日本文化の外国人受容のことが気になって仕方がないという。非おたく文化としての日本文化とりわけ芸術を、パリ在住の人(多くはアジア人)はどう思っているかを調べて考察するような卒論がいいかなあと彼女は話していた(まあ、そういう風なことに話を聴いてこちらもサジェスチョンした)。
そのあと、5月の読書カフェについて、2000字で書いてくれという。順番など忘れたが(実は録音したつもりがしてなかったそうで)、まあ、こんなことだろうと2時間かけて書く。
そのあと、所見書き、個人研究費の請求など。9月のかえっこバザールについて区役所から相談問い合わせあり。
織田先生が掃除をしておられる。ぼくもしたいのだがどうも気力がでない。ちんどん太鼓の枠組み(結局使わなかったもの)を織田先生がもってうろうろしていはるので、いただき、結局捨てる。
精華小劇場へ。ロシア人の年配女性とちょっと話す、英語!彼女がfrom tomorrowっていうので、向かいに座っているロシア人の息子が笑っている。明日から来たロシア人、なかなかいかした会話。
難波には、東南アジア風の衣装を着たおじいさんもまじる団体がいて、安い衣料品を買おうとして、たかいたかいといっている。何人か判らない。
昨年、海水浴でなくなった大竹野正典(くじら企画)の作・演出・・・
くじら企画・大竹野正典追悼三夜連続公演第一夜、『サラサーテの盤』2時間弱。
内田百閒の原作をもとにしつつ、いろんな百閒の作品(エッセイ風)が交じり合うもので、内田百閒ファンにはとくにたまらないものだと想像する。さらに、もう大竹野自身の演出は見られないという事実によってまた、ステージ上の悲しみが劇場内全体を覆ってしまうようにも思う。満席!
自分的には、鈴木清順映画はいささか苦手だけれど、映画「ツィゴイネルワイゼン」をどうしても思い出すのは仕方がなく、思い出すことで、ちょっと新鮮さがなくなってしまったのは、もちろん、ぼくの個人的な事情である。
それにしても、内田百閒的な、平凡さと淡々とした日常性、飄々とした滑稽な世界と、大竹野正典演出イメージにあった事件性や切迫感、闇部分の脅迫的展開との並列がじつに興味深い。ただ、初日ということもあったのか、流れる劇中時間のテンポがいささか待ちをつくってしまい、じれったいような想いがした。
それは、平凡さと事件性とを併置する試みは刺激的で興味深いものだけれど、下手をすると両者を中和化してしまう恐れが常にあることと関連しているのかも知れない。