家城巳代治監督『姉妹』1955 & 副島隆彦×佐藤優『小沢革命政権で日本を救え』
2010年 08月 31日
夜は、家城巳代治監督の『姉妹』(1955年、95分)を見る。原作、畔柳二美、脚本は新藤兼人・家城巳代治。
どうして、松竹の組合運動をして追放され独立プロによる映画ということなのに、左翼左翼していないのだろうなあと思いつつ、涙する。
主人公が姉妹ということなので(妹目線ではあるが)、どうしても自分の娘たちと比べてみたりして、家族のこと、家族と社会のことをこの時代(ぼくが生まれた年だ)は、こういうふうに感じ行動したりそれができずに歯軋りしていたのだなあと思う。
なにせ、妹役の中原ひとみは新人で初々しく、身長もなかり小さく、近藤のチビで「コンチ」というあだ名にぴったり。そのおてんばぶりとうそをつくことができないまっすぐな性格で(でもお金の使い方などできていないところも多い)、首切り反対運動の中途半端さや障害者を抱える家族(一方は裕福ながら冷たく、他方はいたわっているけれどあまりにも貧乏)について、歯軋りする。
他方、お姉さん役の野添ひとみは、キリスト教を信仰して何とか心の平安を保っている。長女の常識、弟たちにはお土産をかかさない。危ないところ(浮気したり、町のダンスクラブに行きたい下層の女の家)には近づかない。好きあっている岡青年(内藤武敏)とは結婚しないで、お見合いで銀行づとめのエリート、町の男に嫁に行く。
新潟だろうか、水力発電のダムのある集落が実家で、それを降りて女学校に二人は通う。大学にはいかない。修学旅行は東京。この3つのポイントが明確にあって、人々はそれぞれに位置している。高度成長の直前、馬による運搬が当たり前だった時代・・・見るべきところがけっこうあって、明るくそんなに重くもないのに、見終わってからずしりとした感慨を持たせる映画だった。
あさ、7時50分自宅を出て、9時過ぎに大学研究室へ。児童館のみなさんにハンコとかかえっこカード、テープなどを渡したりみせたりしたいと、山科区役所のDさんからメールがきたので、それをみつくろってから、また、山を降りて区役所へ。10時を5分ほどできる。3名のゼミ生はちゃんと座っていた。
9/11(土)の東部文化会館(創造活動室)におけるかえっこバザールは、エコアクションNO.1の一環。
http://www.city.kyoto.lg.jp/yamasina/page/0000086795.html
ただし、この中の映画は300名に達したので応募終了とのこと。
どうも、4つの児童館さんが30名ずつほど、団体さんで来ることになっていて、従来、おもちゃのかえっこのバンクマンも、それをもってくる子供も個人同士の関係(親が小さいと媒介者とはなるが)だったので、いささかとまどう。ただ、お手伝い志願者が2名いるという朝の話があり、そのあとメールであと4名増えたということで、これで人手(休み期間中なので、2回生ゼミ生は7名の参加)は大丈夫だろう。
つまり、団体同士となると、その間の公平性とか、団体内の子供間の平等とかいう話で、個性とか自由なアイディアとかはどうしても封印されてしまいがちになる。
うーん、これが、アーツのプログラム(コミュニティアート)であるということがどこかにいってしまうので、いささか困惑する。で、正直に話すと、趣旨は十分わかってもらえるので、いい機会ではある。
東部文化会館の総活室を実際に見て、どのような動線を考えて配置するか、学生が考えている。帰り、東山の喫茶六花でランチ。ちょうど4席だけあいていてラッキーだった。たまたまフランスから一時帰国していて、二女と会ったことがあるという研究者さんに遭ったりする(彼は、ぼくがfacebookと同じアイコン顔だとびっくりしていて、それがおかしい)。
帰ってからは、副島隆彦×佐藤優『小沢革命政権で日本を救え―国家の主人は官僚ではない』(日本文芸社、2010.6.20)を読む。
6.20時点での「緊急出版」なので、対談が中心。でも、その後参院選、そして、民主党代表戦と、状況は刻々と情勢が変わるなかの、この3ヶ月近く前の時点の出版物としても面白く、でも、二人の立場が違う個別論点で、考えさせられるものもけっこうあった。
たとえば、永住外国人の地方参政権付与や女性天皇制、靖国神社合祀問題など。宮内庁長官の天皇会見問題における官僚論などは、佐藤優さんもぼくも同じ役人同士なのでよくわかる話・・・
小沢一郎さんが、織田信長的だという話のなかで、本能寺で信長を焼き討ちしたのは、スペインの謀略ではないか?という副島さんの話はけっこう笑ってしまった。光秀が誰かとか思わせるなあ。
急遽することになっていた、政治学概論Ⅱが、金曜日の3限目に決まり(11/5は、織田先生の必修に出るので、調整がいるが)、そろそろ本格的に準備(ペーパー化)をはじめなくちゃということで、『日本の新たな「第三の道」』の「読書メモ」をつくる。前期の復習をかねたものになるだろう。