A級MissingLink第17回公演『蒼天、神を殺すのはいい日だ』AI・HALL
2010年 11月 06日
2010/11/6(土)
昨日、大学の演劇部のお芝居を見ていて、一度、部員といっしょに、小劇場演劇を見に行かねば、そして、一緒に語り合うような機会をつくるべきだなあと思った。
一番、刺激になるお芝居はどのへんにあるのだろう?と思って、ふと、ベトナムからの笑い声の短さがちょうどいいかも知れないなと考える(もちろん、すぐに真似をしてうまくいくものではないのは十分に承知)。
でも、もちろん、今日授業で見せてぼくもアフタートークする、A級MissingLinkのストーリーテリングだって、全部を参考にはできないとしても、いかせる部分はあるのかも知れない。日常(退屈)と空想(妄想)、ゲームなどのサブカル的な世界と、思想や歴史、哲学的な世界観とを、自分なりに出会わせること、それは衝突になるのか、中途半端になるのか、その恐れとともに、しかし、物語ること=演劇の時間を作ることへと向かう勇気をもらいに。
でかけるまえに、やくぺん先生(音楽ジャーナリスト・渡辺和さん「やくぺん先生うわの空」)が、国家の文化予算を増やしてくれと陳情・署名活動なんかしないで、自分の税金についての文化の使い道は自分で決めるから、寄付税制を抜本的に改めよ!という主張に共鳴してブログをアップしておく。http://kogure.exblog.jp/11527683/

さて、パスポートがずっと前に切れているので、パスポート写真を近くのスーパーの前のところでとる。700円。手ぬぐいを取る。ネクタイをしていたのは、怪しい人に見られないためだったが(はたして・・)。
AI・HALLに13時半過ぎに到着。14時に打ち合わせということだったが、ちょっとぶらぶらしたあと楽屋へ。
A級MissingLink第17回公演『蒼天、神を殺すのはいい日だ』の2日目、マチネの前(あと、今日のソワレと日曜日のマチネの4公演)。
舞台からは台詞が聞こえている。直前まで練習なのだろう。作・演出の土橋淳志さん(1977年京都府亀岡市生まれ、近畿大学出身だが、実は文芸学部ではなく経済や商学の関係の学部だったそうだ)と、アフタートークの手順を、舞台監督の今井康平さんの導きで行う。
舞台美術(西本卓也:GiantGrammy)を使って、アフタートークをするので、どきどき。屈んで奥のほうから穴へ、そして、ぬっと首を出す。役者さんはすごいなあと思う。傾斜は8度ということだが、前に下がっている分、やっぱり足腰が大変だろうし、まず、階段がいっぱいだ。20分ほどで、17時半には終わらないといけない(次の公演まですぐだから)、というもの。
短いので、何の打ち合わせもなくするので、まず土橋さんが登場してぼくを呼び出す、でも、司会的にはぼくがするということにして、このお芝居のトライアウトのこととか、前作との関係などをちょっと聞いておく。
墓への関心(実家の墓地が墓標がなく、火葬だが家族で埋葬するという民俗学的にとてもそそられる事象が使われていること)、古今東西における葬送文化と演劇との関係についても、話すことができればいいなあ(時間は短いが)と思う。
土橋さんが、文化人類学や構造主義、記号学などが学生時代から興味を持っているということをこの前から聴いていたので、楽しみだ。
学生は、昨日が2名で今日が14名のようだ。
時間はこの前の通し稽古とほぼ同じぐらい(2時間とちょっと)なのだが、やっぱり、上下運動が特徴的な舞台美術の制約とアフォーダンスが生み出す動作・所作、象徴的な喪服などの衣装、照明(砂漠の靄が美しい)、音響(機織、蝉・・)があるということによって、ずいぶんと緊迫したステージに仕上がっていて、驚愕する。まあ、1日に見たとき、これは面白いと思ったことが確信になったということだが。
通し稽古を見させてもらった11月1日のとき、ハムレットの話は不可欠だろうが(墓堀との対話もあるし、内田篤人と小宮山兄との出会いの場でもある)、興味深い葬送の物語ではあるアンティゴネ(オイディプスの娘)の話は、本当にいるのか?というのが唯一の疑問だった(より劇中劇が複雑になりすぎないかなあ?ということで)。
でも、小宮山奈津子(横田江美)がどうしてそこに倒れているのか、という導入に、埋葬してはならない兄を埋葬するという話を時空を超えてつなげるには、やっぱり不可欠だったのかもなあ、と思い直した。
また、プロローグの神と勇者の話―魔界塔士SaGaもちょっと判らないこともあるが、これは世代差もあるし、俗と聖の関係が混沌と混ざっていくものの織り成すテキストとして重要だという作者の考えはアフタートークでよく理解できた。
俗と聖同様に、ここでテキスト(織物としてのテキスタイル)の糸として提起されたものとぼくが思った「対の概念」としては、以下のものがありそうだ。
砂と水。物とモノ。リアルとドリーム。日常と冒険。平安と危険。ノンフィクションとフィクション。大きな物語と家族の物語。思想とゲーム。日本とパキスタン。大阪と園部。天上(天界)と地上。地上と地下。埋葬と発掘。隠すと暴く。古典とサブカル。・・・
判りやすいエンターテインメント的なお芝居と、哲学的で難解な演劇。その両方に惹かれながらも、そのどちらでもないような、あるいは、そのどちらの部分もありながら、第3の道を行こうとするA級MissingLink。これは聴けなかったが、失われたリンク(つながり、関係)をずっと(永久に)探すサガのようなものを、この劇団名自身暗示しているのかも知れなかった。
朝、自分のブログを探って、そうそう、去年の今頃(11/21)、A級MissingLinkってこんなに面白かったのだなあと再確認したということをようやく思い出す(『無神論者は幽霊を見ない』)。そして、それが、ずっとバットの素振りという水平運動を繰り返していたこと、それが、今度は土を掘り変えずという上下運動に転回したこともとても面白い作品創作展開だなあと思った(のに、トークしなかったな)。
中心や主題を複数にする、ということは劇団運営にも反映していて、劇団代表は、いまは、小宮山兄を演じていた松原一純さんで、作・演出の土橋淳志さんではなく、また、制作(尾崎雅久さん)との窓口として、(内田篤人役の)幸野影狼さんがいるなど、集団で運営していることともつながるのかも知れなかった。グル役の細見聡秀さんは色悪的役割のポジション。でも、どこか地上的で滑稽な役割。
客演の役者さんもうまいひと、新鮮な人たちが多かった。とりわけ、神(と称する男)・ハムレット役の緒方晋さんって、なんかとても愛嬌があってしかも強かな役者さんなのだろうなあと思いつつ、帰り、色々話しているのを見ていた。
昨日、大学の演劇部のお芝居を見ていて、一度、部員といっしょに、小劇場演劇を見に行かねば、そして、一緒に語り合うような機会をつくるべきだなあと思った。
一番、刺激になるお芝居はどのへんにあるのだろう?と思って、ふと、ベトナムからの笑い声の短さがちょうどいいかも知れないなと考える(もちろん、すぐに真似をしてうまくいくものではないのは十分に承知)。
でも、もちろん、今日授業で見せてぼくもアフタートークする、A級MissingLinkのストーリーテリングだって、全部を参考にはできないとしても、いかせる部分はあるのかも知れない。日常(退屈)と空想(妄想)、ゲームなどのサブカル的な世界と、思想や歴史、哲学的な世界観とを、自分なりに出会わせること、それは衝突になるのか、中途半端になるのか、その恐れとともに、しかし、物語ること=演劇の時間を作ることへと向かう勇気をもらいに。
でかけるまえに、やくぺん先生(音楽ジャーナリスト・渡辺和さん「やくぺん先生うわの空」)が、国家の文化予算を増やしてくれと陳情・署名活動なんかしないで、自分の税金についての文化の使い道は自分で決めるから、寄付税制を抜本的に改めよ!という主張に共鳴してブログをアップしておく。http://kogure.exblog.jp/11527683/

さて、パスポートがずっと前に切れているので、パスポート写真を近くのスーパーの前のところでとる。700円。手ぬぐいを取る。ネクタイをしていたのは、怪しい人に見られないためだったが(はたして・・)。
AI・HALLに13時半過ぎに到着。14時に打ち合わせということだったが、ちょっとぶらぶらしたあと楽屋へ。
A級MissingLink第17回公演『蒼天、神を殺すのはいい日だ』の2日目、マチネの前(あと、今日のソワレと日曜日のマチネの4公演)。
舞台からは台詞が聞こえている。直前まで練習なのだろう。作・演出の土橋淳志さん(1977年京都府亀岡市生まれ、近畿大学出身だが、実は文芸学部ではなく経済や商学の関係の学部だったそうだ)と、アフタートークの手順を、舞台監督の今井康平さんの導きで行う。
舞台美術(西本卓也:GiantGrammy)を使って、アフタートークをするので、どきどき。屈んで奥のほうから穴へ、そして、ぬっと首を出す。役者さんはすごいなあと思う。傾斜は8度ということだが、前に下がっている分、やっぱり足腰が大変だろうし、まず、階段がいっぱいだ。20分ほどで、17時半には終わらないといけない(次の公演まですぐだから)、というもの。
短いので、何の打ち合わせもなくするので、まず土橋さんが登場してぼくを呼び出す、でも、司会的にはぼくがするということにして、このお芝居のトライアウトのこととか、前作との関係などをちょっと聞いておく。
墓への関心(実家の墓地が墓標がなく、火葬だが家族で埋葬するという民俗学的にとてもそそられる事象が使われていること)、古今東西における葬送文化と演劇との関係についても、話すことができればいいなあ(時間は短いが)と思う。
土橋さんが、文化人類学や構造主義、記号学などが学生時代から興味を持っているということをこの前から聴いていたので、楽しみだ。
学生は、昨日が2名で今日が14名のようだ。
時間はこの前の通し稽古とほぼ同じぐらい(2時間とちょっと)なのだが、やっぱり、上下運動が特徴的な舞台美術の制約とアフォーダンスが生み出す動作・所作、象徴的な喪服などの衣装、照明(砂漠の靄が美しい)、音響(機織、蝉・・)があるということによって、ずいぶんと緊迫したステージに仕上がっていて、驚愕する。まあ、1日に見たとき、これは面白いと思ったことが確信になったということだが。
通し稽古を見させてもらった11月1日のとき、ハムレットの話は不可欠だろうが(墓堀との対話もあるし、内田篤人と小宮山兄との出会いの場でもある)、興味深い葬送の物語ではあるアンティゴネ(オイディプスの娘)の話は、本当にいるのか?というのが唯一の疑問だった(より劇中劇が複雑になりすぎないかなあ?ということで)。
でも、小宮山奈津子(横田江美)がどうしてそこに倒れているのか、という導入に、埋葬してはならない兄を埋葬するという話を時空を超えてつなげるには、やっぱり不可欠だったのかもなあ、と思い直した。
また、プロローグの神と勇者の話―魔界塔士SaGaもちょっと判らないこともあるが、これは世代差もあるし、俗と聖の関係が混沌と混ざっていくものの織り成すテキストとして重要だという作者の考えはアフタートークでよく理解できた。
俗と聖同様に、ここでテキスト(織物としてのテキスタイル)の糸として提起されたものとぼくが思った「対の概念」としては、以下のものがありそうだ。
砂と水。物とモノ。リアルとドリーム。日常と冒険。平安と危険。ノンフィクションとフィクション。大きな物語と家族の物語。思想とゲーム。日本とパキスタン。大阪と園部。天上(天界)と地上。地上と地下。埋葬と発掘。隠すと暴く。古典とサブカル。・・・
判りやすいエンターテインメント的なお芝居と、哲学的で難解な演劇。その両方に惹かれながらも、そのどちらでもないような、あるいは、そのどちらの部分もありながら、第3の道を行こうとするA級MissingLink。これは聴けなかったが、失われたリンク(つながり、関係)をずっと(永久に)探すサガのようなものを、この劇団名自身暗示しているのかも知れなかった。
朝、自分のブログを探って、そうそう、去年の今頃(11/21)、A級MissingLinkってこんなに面白かったのだなあと再確認したということをようやく思い出す(『無神論者は幽霊を見ない』)。そして、それが、ずっとバットの素振りという水平運動を繰り返していたこと、それが、今度は土を掘り変えずという上下運動に転回したこともとても面白い作品創作展開だなあと思った(のに、トークしなかったな)。
中心や主題を複数にする、ということは劇団運営にも反映していて、劇団代表は、いまは、小宮山兄を演じていた松原一純さんで、作・演出の土橋淳志さんではなく、また、制作(尾崎雅久さん)との窓口として、(内田篤人役の)幸野影狼さんがいるなど、集団で運営していることともつながるのかも知れなかった。グル役の細見聡秀さんは色悪的役割のポジション。でも、どこか地上的で滑稽な役割。
客演の役者さんもうまいひと、新鮮な人たちが多かった。とりわけ、神(と称する男)・ハムレット役の緒方晋さんって、なんかとても愛嬌があってしかも強かな役者さんなのだろうなあと思いつつ、帰り、色々話しているのを見ていた。
by kogure613
| 2010-11-06 23:45
| こぐれ日録
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