芸術とは何か?という問いには、規範的な答え方や、主観的感情的な反応がつねにまとうことへの警戒
2010年 11月 13日
すこし早く行って、研究室で、買っておいた影絵劇『銀河鉄道の夜』DVD(影絵・演出:藤城清治、台本構成:香山多佳子、2005年に和光市市民文化センターで上演:2007年製作)を見る。48分。
絵本で藤城清治さんのものは持っていて、学生にも見せたのだが、この公演の映像は、かなり、説明的なナレーションと会話なので、原作とはかなりテイスト的な違いが大きくて(賢治アーツの魅力の大半が失われていて)びっくり。
もう一つのもの(イラストレーション&ムービー:KAGAYA、本編48分、2007)も似たようなものだった(ただし、付録が豊富で三角標のこととか軽便鉄道のことなどはとても参考になった:解説23分)。
大学院の授業。韓国からの留学生の根本的な疑問(彼自身は「哲学的悩み」っていっていたな)に一緒になって考えようというものになった。ちゃんとレジュメを作ってくれるし、その生真面目さは貴重。無理のないようにやってくれれば、と思っている。
◎ 「文化自給率」「アーツ域内ジャンル分担網」「芸術地産地消」「地域芸術批評循環」・・・院生との対話のなかで生まれつつある言葉の欠片。
◎ 芸術とは何か?という問いには、規範的な答え方や、主観的感情的な反応がつねにまとうことへの警戒をまずとくこと。つまり「価値自由」スタンスを持つ余裕づくり・・・
◎ そのために、果物とは何か?というところからやってみる。Rちゃんが「甘いもの」という。これは、必要条件だろうが十分条件ではないよね、ということで、必要十分条件になる定義というのはなかなか難しいっていると、「甘いもので八百屋で売っているもの」と彼女。かなり近づいたな(笑)
夜、プラハの二女から電話。
フッサールの本中心に、アマゾン注文なり。それにしても、フッサール(現象学)と仏教・・・このテーマからどうしぼるのか、一生涯のテーマになってしまうかも??と思いつつ、入門的なものなどを適当に買っておく。
◎ フッサールと仏教との接点ってなんだろうなあ・・・ツイッターで、さっそく「諦念」という言葉がリスポンスされてきた。なかなか面白い。