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1/13の劇団態変『ファン・ウンド潜伏記』初日レビューを読む

2011/1/15

1/13の劇団態変公演『ファン・ウンド潜伏記』(精華小劇場)初日レビューを二つ読む。
どちらの方も、態変公演自体は初めて。ただし、お一人の方は、金満里さんのこと、その社会活動などをよく知ってられる方、もうお一人の建築探偵つきのたぬきさんこと円満字洋介さんは、アーツレビューもされる方(またサイトアップされるでしょうが、それまでは、流れていく日記サイトにあるので、しばらくここに全文アップさせていただきます)

piccolo BLOG : 身体障害者のありのままを見るということ。(劇団・態変の鑑賞) http://bypiccolo.exblog.jp/15334838/より、後半部分引用
・・・・ 観客席は、最初から最後まで、しっかり姿勢を正して舞台に見入っている人が多かった。幕が閉じたとき、私の前の男性は立ち上がって拍手をしようとした。また、海外からわざわざ来られたのだろうか白人の男性は、舞台にかけあがって花束を満里さんに渡した。会場には一体感が生まれていた。

 ともかく、観に行って良かった。素晴らしかった。身体障害者のありのままをじっと注視するということは、ふだんなかなか無い。何か「奇異」な人を街で見かけたとき、じろじろ見ることはできないから、避けてしまう。そうではなくて、劇団・態変は、身体障害者のありのままを見よ、ひたすら見よ、と訴えているような気がします。それは健常者にとって、これまで信じてきた価値観を壊される辛い作業でもあるけれど、この訴えを、常に心にとめておかなければと思う。

 最後に「劇団態変の韓国公演を共に実現する会」の方からカンパの呼びかけがありました。3月の韓国公演予定にあたり、大勢の身体障害者の国外移動、舞台装置の運搬などに相当な費用がかかるそうです。興味をもたれた方は、観劇(~16日まで精華小劇場でやっています)とあわせてカンパのご協力を!!

☆態変公式サイト http://www.asahi-net.or.jp/~tj2m-snjy/jtop.htm
☆金満里さんブログ http://kimmanri.exblog.jp/
☆劇団態変の韓国公演を共に実現する会 http://tomojitsu.blogspot.com/


西日本建築探偵団
http://tanuki.la.coocan.jp/index.htmlよりアーツレビュ部分全文引用
● アーツレヴュ 劇団態変「ファン・ウンド潜伏記」

 身体障害者の劇団・態変の公演を初めて観ました。障害者の公演ということで身構えて行ったのですが、そんなことは全く気にする必要が無かった。とてもおもしろかったです。今回は取材カメラマンがいたせいで、なかなか舞台に集中できなくて考えがまとまっていませんが、忘れないうちにメモだけしておきます。

 まず分かりにくさのおもしろさについて。無言劇ですから、筋は分かりにくい。それでも、いろいろヒントをちりばめてくれているので、想像する楽しさがある。わたしは事前に字幕入りのダイジェスト版を見ていたのが失敗でした。ネタばれもいいところです。この演劇は筋だけ追ってもつまりません。それよりもダンスを楽しむのがいい。

 全員レオタードなので、手や足が未発達の身体が丸見えです。よく鍛えられた身体が音楽とともに自由に踊る。見とれてしまった。これが本当に障害なのだろうかと思いました。障害者だからという評が多いように思いますが、そんな前提なしに純粋にダンスとしておもしろいと思う。この自由なダンスを見せてもらったのが今回の最大の収穫でした。

 踊ると言っても、総じて動かない。手の先だけとか顔面だけとか、非常に細かくて静かなダンスです。これはよく見ないと分からない。わたしは筋に気を取られて、この細かいダンスが見過ごされることを危ぶみます。みんなよく見てね。

 ふたつめは日本の伝統芸能との類似。座長金満里さんのダンスはうずくまって主に手先が動く。これって人形浄瑠璃ですよね。金満里さんは始終無表情ですが、手が笑うと笑って見える。手が泣くと泣いて見えます。浄瑠璃の人形と同じです。

 小泉ゆうすけさんが旅芸人の舞台を演じたときは、能に見えた。手の未発達なレオタード姿なのですが、豪華な能衣装が見える気がした。小泉さんのダンスっておもしろ過ぎます。このひとは、ひとりだけすばやく着替えて、出口で退場する観客に頭を下げていました。プロだね。

 三つめは音楽のこと。アジェンという琴がメイン。ヴァイオリンのような音色で啼くように高く低くうなる。御霊を降ろすときに使うような呪具です。劇中ずっと鳴り響いていた音楽が最後にとぎれる。その静寂(しじま)にずっと聴いてきたアジェンが聞こえたように思った。人間の耳では聴くことのできない高周波の音のように劇場にそれが響く。役者は立ちすくみ、笑うような泣くような顔面のダンスが繰り広げられる。良いラストでした。

 四つめはパブリック空間のこと。社会にはいろんな差別がある。差別とは空間的なものです。人間の生存空間は意外と狭い。だから、対等で自由な空間を闘いとる必要がある。そうやってパブリック空間はできあがっていくのだと思います。この公演中の精華劇場にはそれがあった。劇場だから必ずパブリック空間だとは限らない。これは希有(けう、得難い)なことです。

 もう少し言えば、演劇にはパブリック空間を広げるたくましい力がある。演劇だけではなく、舞台アーツ全般に備わっている機能なのだと思う。だから、舞台を文学として理解すると、いろんなものが抜け落ちる。舞台系アーツは言葉なしで分かることこそおもしろい。良いものを見せていただきました。ありがとう。


そのあと、この方のブログも読みました。

<現代詩人が日々の詩への思いをつづる。詩空間>
金満里作・演出、劇団態変『ファン・ウンド潜伏記』 http://reliance.blog.eonet.jp/default/2011/01/post-5d4a.htmlより一部引用
・・・・・
時代や日常の意識や価値観のうすっぺらな光が逃げ去るような
小劇場のアンダーグラウンドの真闇の中
かれらの肉体はおおきな災厄を生き抜いた最もつよくしなやかなイキモノとして
這い、転げ回り、揺らめき、踊り続けていました。
ときには観客のただなかに入り
未知の彫像のように自身の美しさを誇示し。

こちらの無意識を触発する土俗的で効果的な音楽と美術(韓国の布が空中を行き交う場面など素晴らしい)のはざまで
抗日戦士の生きざまを追ったストーリー(「ファン・ウンド」とは金満里の実母の前夫「黄熊度」のことであり、実話です)が見え隠れしますが
歴史の闇に抗った主人公の意志は
出演者の全身にみなぎる力となっていました。
・・・・

by kogure613 | 2011-01-15 10:30 | 情報収集 | Trackback | Comments(0)

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