ペドロ・コスタ監督『ヴァンダの部屋』&エイジアスDVD
2011年 02月 23日
2/23(水)
ペドロ・コスタ監督(撮影も!)『ヴァンダの部屋』(2000年、178分、カラー)。
役者は前面には出ていないようだ。ほとんどがアフリカなどの移民らしい。
ドラッグをほんとにやっているように見えてしまう。注射器だって、なんか、自然に刺さっているように感じて仕方がない。普段着的いきざまが、もう、かなり怪しい。
ハエが光っている。こんなにハエが飛ぶ映画も珍しいかもしれない。
瞬間瞬間が、絵のようだ。動いていても緩慢だったりする。
この監督の映画は2作目だが、言葉を話している人の口が動いていないようで、何か、違うところから言葉があるように思えて仕方がない。
音楽は、八百屋にいつもつきっぱなしのテレビからか。ラジオもあるのか。
ネコの顔が影っている。小鳥は盗まれてまた売られているのだろうか。
バナナがかかっている。キャベツとレタスの違いが分からない。
生まれることと死ぬことのあいだに大きな境がないような。
墓には造花はだめなんじゃない?刑務所や病院にドラッグを持って行くことが一番の課題。
でも、なんか、路地は楽しそうだ。火が焚かれている。不法占拠なのかも知れないが、なんとか、部屋をレイアウトする男がいる。
足が悪い男がお恵みを貰う話。そう、話がどんどん語られる、本当か嘘かは問わない、ただ、語られたということは、とりあえず事実だ。
ドキュメンタリー映画とかフィクション映画とか、そういう区別の外側にあるという指摘はそのとおりで、しかし、作者の視線は実に明確なので、1時間ぐらいして、この壊れて行くまちとひとをずっと辿っていくだけだと悟ってから、無駄にストーリーや人間心理観察などを詮索しなくてすみだして、じつに、自然に楽しく見られるようになった。楽しいといっても、薬物摂取が日常生活のこの移民貧困街には、希望とかそういうあまったるい言葉のひとかけらもないのだが。
この映画は、まず、映画館とかすくなくとも、でなく、暗がりで強制的に見続けるということが大事かも知れなかった(でも、寝てしまうかも知れないが:寝ていてもひりひりするはず;家でもかなり棘がささったままだけれど)。
それと、やっぱり『血』を見て、まず『溶岩の家』→『骨』と見てから、この『ヴァンダの部屋』を見たほうが、よかったなと反省。美術館で、個人展を見るのと同じように。
しっかりとしたレビューは→ヴァンダの部屋 http://www16.ocn.ne.jp/~oblique/texts/JinshiFUJII/vanda.htm
テアトル・オブリーク ( 藤井仁子) ヴァンダの部屋
無関係かも知れないが、すこし前に観たジャ・ジャンクー監督の『長江哀歌』と壊れて行く町、しずんだ故郷というテーマが共通していて、そこのギャングといい、ちょっと比較したくなった。東洋的な叙情と、逆光の切り取りの映像の違い(正直、ペドロ・コスタは凄すぎて比較にならないのかも知れないのだが)。そして、やはり、他者の存在のあるなし、出口のあるなしとかも同じようでずいぶん違っていく、そのつきつめ圧力が・・
ほんとは、天満橋でサッカリンのお芝居をみよう、それも、女篇と男篇の2本!と思っていたのだが・・・
休暇期は、つい出不精になる。となりで、買い物だけ・・
DVD「パフォーマンスキッズ・トーキョー~子供とアーティストが出会うとき~」が送られてきていたので、それを観る。
新井英生さん(彼はダンスと音楽、そして光の魔術!を越境しているひとだから一人でいいのね、すごく楽しい動きの軌跡と明かり写真)。
そして、港大尋さんと山田せつ子さん。ぜいたくな布陣である。さすがエイジアス!東京都(笑:このような事業だけしていたらいいのにね)。
とくに、『じょうもんミュージカル―八王子の昔のくらし―』は、こどものひろばさんあたりに、とても参考になるんじゃないかな。
沖縄(アイヌ)と縄文文化との接続はちょっと短絡的かな?とは思ったが、まあ、小学生だしいいかも(笑)。
ペドロ・コスタ監督(撮影も!)『ヴァンダの部屋』(2000年、178分、カラー)。
役者は前面には出ていないようだ。ほとんどがアフリカなどの移民らしい。
ドラッグをほんとにやっているように見えてしまう。注射器だって、なんか、自然に刺さっているように感じて仕方がない。普段着的いきざまが、もう、かなり怪しい。
ハエが光っている。こんなにハエが飛ぶ映画も珍しいかもしれない。
瞬間瞬間が、絵のようだ。動いていても緩慢だったりする。
この監督の映画は2作目だが、言葉を話している人の口が動いていないようで、何か、違うところから言葉があるように思えて仕方がない。
音楽は、八百屋にいつもつきっぱなしのテレビからか。ラジオもあるのか。
ネコの顔が影っている。小鳥は盗まれてまた売られているのだろうか。
バナナがかかっている。キャベツとレタスの違いが分からない。
生まれることと死ぬことのあいだに大きな境がないような。
墓には造花はだめなんじゃない?刑務所や病院にドラッグを持って行くことが一番の課題。
でも、なんか、路地は楽しそうだ。火が焚かれている。不法占拠なのかも知れないが、なんとか、部屋をレイアウトする男がいる。
足が悪い男がお恵みを貰う話。そう、話がどんどん語られる、本当か嘘かは問わない、ただ、語られたということは、とりあえず事実だ。
ドキュメンタリー映画とかフィクション映画とか、そういう区別の外側にあるという指摘はそのとおりで、しかし、作者の視線は実に明確なので、1時間ぐらいして、この壊れて行くまちとひとをずっと辿っていくだけだと悟ってから、無駄にストーリーや人間心理観察などを詮索しなくてすみだして、じつに、自然に楽しく見られるようになった。楽しいといっても、薬物摂取が日常生活のこの移民貧困街には、希望とかそういうあまったるい言葉のひとかけらもないのだが。
この映画は、まず、映画館とかすくなくとも、でなく、暗がりで強制的に見続けるということが大事かも知れなかった(でも、寝てしまうかも知れないが:寝ていてもひりひりするはず;家でもかなり棘がささったままだけれど)。
それと、やっぱり『血』を見て、まず『溶岩の家』→『骨』と見てから、この『ヴァンダの部屋』を見たほうが、よかったなと反省。美術館で、個人展を見るのと同じように。
しっかりとしたレビューは→ヴァンダの部屋 http://www16.ocn.ne.jp/~oblique/texts/JinshiFUJII/vanda.htm
テアトル・オブリーク ( 藤井仁子) ヴァンダの部屋
無関係かも知れないが、すこし前に観たジャ・ジャンクー監督の『長江哀歌』と壊れて行く町、しずんだ故郷というテーマが共通していて、そこのギャングといい、ちょっと比較したくなった。東洋的な叙情と、逆光の切り取りの映像の違い(正直、ペドロ・コスタは凄すぎて比較にならないのかも知れないのだが)。そして、やはり、他者の存在のあるなし、出口のあるなしとかも同じようでずいぶん違っていく、そのつきつめ圧力が・・
ほんとは、天満橋でサッカリンのお芝居をみよう、それも、女篇と男篇の2本!と思っていたのだが・・・
休暇期は、つい出不精になる。となりで、買い物だけ・・
DVD「パフォーマンスキッズ・トーキョー~子供とアーティストが出会うとき~」が送られてきていたので、それを観る。
新井英生さん(彼はダンスと音楽、そして光の魔術!を越境しているひとだから一人でいいのね、すごく楽しい動きの軌跡と明かり写真)。
そして、港大尋さんと山田せつ子さん。ぜいたくな布陣である。さすがエイジアス!東京都(笑:このような事業だけしていたらいいのにね)。
とくに、『じょうもんミュージカル―八王子の昔のくらし―』は、こどものひろばさんあたりに、とても参考になるんじゃないかな。
沖縄(アイヌ)と縄文文化との接続はちょっと短絡的かな?とは思ったが、まあ、小学生だしいいかも(笑)。
by kogure613
| 2011-02-23 23:14
| こぐれ日録
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