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『絶滅危惧・風景』大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室など

2/26(土)
16時にちょうどブレイカープロジェクトのトークショーがはじまろうとしていて、うまく、13階まで到着する(1階のエレベーターで長野の霜田さんに声をかけられてびっくり;facebookでお久しぶりとかいった直後だったんで)。大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室。「(仮称)」というのが、これほど宙吊りのまま、長く残されている施設名というのも珍しいものかも知れない。

ともかく、『絶滅危惧・風景』の初日である(3/21まで)。ツイッターで、絶滅危惧団体としての大阪市(笑)って呟いてしまったが、あるいみ、いまの大阪市長さんは、大阪都構想なるものなどで緊張を強いられているだけに、大都市におけるコミュニティ形成とかにずいぶん心砕くようになっているようで、これが、文化自治、アーツ政策へと展開すると面白いのになあとは思っているところ。薄明かりとかまちなかキャンヴァスとか表面的なイベント・タテカンとは違うものに出来るチャンスなのになあ、と、新世界の中華料理屋さん(三好ふかひれ店)の2階に初日打ち上げにつきあっていてぼんやり思う。

打ち上げのとき、ぼくは葬式研究家と若いボランティアの人たちに自己紹介していたな。あと、藤さんたちに、この前みた、ヴァンダの部屋は必見!ってずいぶん言っていた記憶あり。→http://www.cinematrix.jp/vanda/

そうそう、展示のことも書いておかなくちゃ。
一番、地味だったのが、藤浩志さん(「まちかざりの実権:デコポリ」)。でも、謙遜してブレブレの写真にお子さんが使い古した鉛筆で加筆した小ぶりの平面など、なんか、ちょっと購入したくなるようなものだ(うちの大学に無意味においてある絵画などがあるが、そういうものではなく、こうした、都市環境デザイン!的な美術をおいたらいいのかなあと思うが、こういうことは、事務局は絶対に相談してくれたりはしないなあ;ブツブツ)。

彼自身のトークは3組が終わってずいぶんたった18時半で、それは、神戸のKIITOのワークショップとダブったからだが、それでも雨森信さんが代わりに無難につとめていて、彼女たちが新世界(西成・釜ヶ崎)を拠点エリアとして、10年近くずっと意識的に同じ場所の記憶と住人の生活、商売と関わり続けてきた成果なのである。

藤さんの前が、パラモデル(「極楽百景_第八景」)の一人によるトークで、モデルのなってくれる人たちが初めより増えてくるので、モデルコマとして同じ人を入れ込むような合成騙し絵的なことをしないようになったという説明が面白い。なお、パラレルだけではなく、「パラ」には、パラドックスなど(たぶん、パラシュート、パササイト、パラフレーズ、パラメーター)様々な英語単語の接頭語の意味があるという話も面白く、とくに、パレード(行列という意味意外に、閲兵、盛観、誇示という意味も辞書を引くとあるし)もあるのはびっくりした。

パラモデルさんの前は、初めて知ったトーチカ(「ピカピカ in ナニワ」)のお二人。2名ユニットって流行なのだろうか。空中に光を描くものは、木下先生のゼミ生が確か去年あたりにやっていて、ぼくもやったことがあって、このPiKA PiKAは、遊び参加の気楽さがいい。ただし、ディープなエリアなので、すごい人たちが登場するのは、ある意味場所の力である。

同じく、下道基行さん(「Sunday Creators」)も始めて会う。
帽子をかぶると森本アリさんにずいぶん似ている(小型化)。梅香堂での展覧会とかの記録を見たりする。彼の展示は、日曜作家を調べて展示するというもので、キュレーター的作業がその活動となる。実際、チラシで五重塔を作っている人が来ていた。あと、八文字熟語習字の人もパチンコ中心のチラシで、裏側がまた楽しく、手書き八文字ツイッターである。

そして、最初のトークの西尾美也さん(「家族の制服[新世界篇]」「新世界・節分仮装行列」)。2/3に仮装行列したこともあって、自分的にはすでによく知っている部分もあったが、動画で自分もちょいと映っていることを確かめたり、そのときは、本人でない人が着ていたことを知ったりする。つき山いくよさんがお客さんでいて、彼女の雰囲気とこのようなレトロな衣装の復元とがあまりにマッチするのがまた面白いことでもあった。つきちゃんと山下残さんのワークショップの話をしたりもする。

お昼は京都芸術センター前田喫茶店にて・・・ツイッターで知り合い、リアルに会う。
共通の知り合いを確かめ合う。もしも、フェイスブックやツイッターをすべての人がやっていたとすると、もうそこに出てしまっていることになるのだなあ、とか思いつつ、逆に、実際にお会いすることが大切だなあとも思うお昼だった。

劇団態変が韓国公演をするということで、旅券を取り直し、来月外国に行く。それまで、外国など興味がまったくなかったのに、二女が、ドイツフランスのほか。チェコやベルギーで勉強するようになって、ヨーロッパが気になり、はなもまたポルトガルにいるので、ポルトガルの歌や映画が気になる。

そのはなが戻ったとき、できれば、東京でライブできれば、ということで、東京の「はこ」の企画に関わっている人に出会う。きっかけは、態変についての問い合わせだった。
そうすると、俄然、東京にも今年は久しぶりに行きたいなという気になってくる。家族など親密圏の動きが関心や実際の旅行を規定するのだな。

京都芸術センターは1931年の明倫小学校。精華小劇場は、1929年の大阪市の精華小学校の体育館。同じ小学校でも一方は残され一方は壊されようとしている。神戸はCAP HOUSEに続いて、KIITOとして、元の生糸検査場を生き返らせようとしているのに、大阪はなかなかそういう「まちつかい」が出来てもいない。不思議だ。府知事は、カジノとかリニアモーターカーとかそういうことばかりだし・・
by kogure613 | 2011-02-26 23:08 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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