愚禿の書初め
2005年 01月 01日
「守愚」とは、「自分の愚かさを自覚し、才能以上のことを求めないこと」という意味らしい。「愚禿(ぐとく)」がまた、ぼくにぴったしで「僧の謙称」だが、けっきょく、禿げ頭の人の謙称となるわけだ(書いたのだが写さなかったな。
「愚衷」は、自分の真心の謙称。「骨法」は、ほねぐみ、骨格でそこから「筆力。また、江の制作・鑑賞の主眼になるものの一つ」となる。礼儀作法という意味も日本で生まれた。
「刻骨」、骨に刻む。深く心に記憶するという意味。
書初めをしたあと、小津安二郎『戸田家の兄妹』(1941年、105分)をDVDで見る。葬祭が時間の軸になっている:突然の父の死、通夜、葬儀(かなり大勢の僧侶の読経がちょっとこっけいに聞こえてくる)、そして、母が転々と子どもの家をたらい回しにされて、一周忌法要が行われるまで。音声が特に悪いので、字幕があって助かる。
二男の昌二郎(佐分利信)と三女の節子(高峰三枝子)が父亡き後、天津で母と3人、一緒に住む(二男と三女がそれぞれ結婚するまでの間)までの家族離散の話。資本家(人を使う側)たちの息苦しさ。もうすぐ戦争に入るがブルジョアはかなり贅沢のままだったことが分かる。天津に行った後、お母さんは大丈夫だったのだろうか。三女節子の友人で、節子が好きな昌二郎に彼女との結婚をすすめる時子(桑野通子)のモダンガールぶり(でも、節子が母と自立するため、雇われる身であるオフィスガールへと時子のようになることは、ブルジョアジーの兄弟たちには世間体=対面上許せないことだったのである)。
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小暮さんのブログ、なんか良くなってきた感じがしますよ。
書初めとはいいですね。私は、風邪こじらせて寝正月でした。トホホ。
さぁーと過ぎた正月休みでした。でわでわ、今年も拝見しますね。