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こども文化フォーラム実行委員会

5/29(火)
こども文化フォーラム実行委員会_a0034066_8354824.jpg午前中、2つ授業して、東部文化会館へ。すこし落雷が怖かったけれどw
第8回こども文化フォーラム(6/17)実行委員会のさいご。
当日パンフの原稿もずいぶんできていて、あとは、こちらのゼミ生たちの分担をきちんとしなくちゃと思う。
ということで・・

3回生ゼミ生へ:
6/17、9時集合。9:30に当日の人たちの顔合わせがある。
全員で公園探検の準備と第1回目開催をすることにする。
少し多すぎたら、別のいろいろな仕事があるので、大丈夫。
2回目になると、もしかしたら、別の会場の仕事が待っていると思うが、当日、様子をみて対応してもらうのでそのつもりに。

6/16は、公園探検チームは、事前の準備をするので、時刻などは話し合って決めてください。
ぼくは、大学の研究室にいて、18時に2回生たちとおもちゃなどの荷物を東部文化会館に持っていく予定。

2回生ゼミ生へ:
6/17、全員9時集合。前回かえっこを担当した人たちは、おもちゃお掃除ワークショップを中心に動いてもらう。9:30に当日の人たちの顔合わせがある。
もちろん、今回かえっこ担当のサポートもする。

6/16は、今回担当者が集合。
17時に、清風館のおもちゃはこびをする人たちと、17時に東部文化会館にいき、チラシの挟み込みをする人たちを選び、それ以外の人は、18時から、おもちゃなどの会場設営をする。

帰って、校務、校務。
そのあと、第一章第四節の最後の部分を書き終わる。
最後に、イベントプロデュース(イベントデザイン)とアーツマネジメントや文化政策、まちづくりとの関係を述べておこう。池上氏の引用にも「一過性のイベント」は否定されているように、「イベント」という言葉は、それが、一回限りになりがちであるという欠点を一方で持ちつつ、それをさまざまな手法によって継続化させ、しかも、前後のブロセスを市民や鑑賞者と主催者側とが共有することで、その欠点を克服し、さらに、イベントならではの非日常の演出という華やかな訴求力を活かすことができるとも考えられている。
 
 さて、イベントプロデュース論では、まず、イベントを「何らかの目的を達成する手段として行われる行事または催事である」と位置づける。行事は慣習的もの、催事は意図的なイベントを意味する。慣習的なイベントを含むという面が常識的なイベント観よりも広いかも知れない。それでも、英語のイベント(event、でき事、事件、種目、番組)よりも限定された意味であることをまず辞書的に説明したあと 、茶谷孝治『イベント化社会-実践的イベント論序説』(関西学院大学出版会、2003年)などを参照しつつ、次の要件を持つものと説明する。

まず、要件1:仕掛け性。イベント主催者には、何らかの意図(目的)がある。つまり、人為性・である。ただし、仕掛けが見える(明白な)場合と、参加者・大衆・群集には見えない場合がある。後者は危険性がある。消費・政治・入信などの誘導の可能性があるからである。また、自然そのものはイベントではないが、得意な自然現象を活用したイベントも存在する。
要件2:ライブ性。何らかの「生」=ライブ性を持つものである。テレビ・映画などはライブではないので、イベントといわない(イベントの本音特徴と共通するが)。しかし、映像をわいわいみんなで見るなど、映像を伴うライブ、というものもありうる。時間と空間の同時共有、一緒にみんなといる「一体感」、直接性、身体性「びんびん響く」などが特徴となる。
要件3:演出性。イベントは演出されるものであり、イベントを構成する人びとは、その挙動も振付される。イベントには台本・シナリオがあることが多い。即興の部分もあるが、安全性や時間制限、予算遵守などは管理されている。さらに、イベントには、他者操作性(“参加者は夢中で操られる”)や、強く言えば、支配性(“参加者自身の判断は放棄される”)が含まれるとも言える。参加者の心理は、イベントのし掛け人(プロデューサー)にとっては、操作する対象であり、操作を効果的になるために、さまざまな技術を用いる。たとえば、照明、音響、舞台装置、スモーク、振動などである。
要件4:メッセージ性。イベントプロデュースに必要なのは、分りやすいキャッチフレーズである。一見、明白な意味の言葉、多くの人が共感できるテーマが望ましい。反対懐疑が出るものは避ける(ex.同性愛、死刑反対など)。
具体的には、たとえば、和の優しさ、ピース=平和、環境保護、健康、スポーツ大好き、ラーメン天国。差別反対、格差是正、スロースタイル、愛、障害者を地域に、まちぐるみでまちづくり・・・・ただし、そういうテーマを多角的に検討すると、軽やかに(表面的に)扱うことが肝要である。
要件5:興奮性。参加者(仕掛けられる方の心理状態)においては、興奮の体感が目的となる(イベントの仕掛け者側、主催者側の目的は別)。参加者は、陶酔、忘我、匿名、恥ずかしいことを忘れていく。メッセージはライブの場に来れば、どうでもよくなることもしばしば見受けられ、そかも、仕掛ける方はそれでよいと思っている(忘我状態演出が成功すれば)。逆に参加者に冷静さが残ると、メッセージの矛盾、裏の目的を勘ぐられてしまう危険があるから。

 このように、イベントプロデュースは、集客や営業、知名度アップ、あるいは、政治行政宗教の宣伝普及(布教)活動など、さまざまな目的を達成する手段として、明確な要件をクリアして行われるものであり、本稿で考察しようとするアーツマネジメントや文化政策、まちづくりとは、かなり異質な部分があるとともに、まちづくりのためのイベント利用など、手法として、かなりしばしば活用されるものである。以下、イベントの目的、イベントに活用されるアイテムを分類整理しておく。

<イベントを仕掛ける側の目的分類>
(1)企業・産業、マスメディア(放送通信・新聞雑誌)
個々の企業・産業界においては、宣伝、すなわり、イメージアップ・話題づくり・ブランド認知度ということになろう。また、集客により、その場で消費が拡大し、収益(大規模ライブ:有料チケット、飲食グッズ販売)という目的の場合もある。マスコミ業界においては、その媒体の視聴率・購読・購買数アップとともに、番組・ニュースソース自体をつくるため
(2)行政・政治・宗教
行政において、まず、広報・PRとしては、まちのイメージアップ、コミュニティづくりがあり、観光客増加という集客、あるいは、障害者年、水の日、防災の日などの記念日、強化月間、記念年などによる啓発に活用される。政治が目的のイベントとしては、たとえば、選挙演説会があり、反対する側のイベント方法としては、抗議デモ行進などがある。
宗教としては、布教(信者獲得)を目的するものが多く、信者の連帯を高めるための集会祈祷、聖なる場所への巡礼、登山などがある。
(3)市民活動、NPO
これからますます重要になってくるものとして、市民活動、NPOによるイベントが挙げられる。特色としては、自発的で非営利のメッセージであること、行政とも一定の距離を持つこと(広い意味では政治的だが、特定の政党などとは距離)などである。

<イベントに活用されるアイテム>
イベントに活用されるアイテムとしては、興奮させやすいもの、集客に役立つもの、競争で勝ち負けがはっきりするものが望ましい。逆に言えば、アーツそのもののような価値判断が多様な自由を求めるものは向かないことが多い。
(1)スポーツ・見世物、動物・植物
ワールドサッカー、オリンピック、プロ野球。草野球、ママさんバレー。競艇や競輪などのギャンブルなどが例示できる。博覧会、物産展、フェア、お化け屋敷。食べ物系として、産直、実演販売、お茶会など。大道芸、サーカス、花火などが見世物系である。
動物・植物系としは、ペットショー、競馬・闘鶏、盆栽展、菊人形 花見など。
(2)芸能タレント・有名人、音楽・美術・映画
 芸能タレント・有名人系としては、たとえば、話題の人、優勝チーム、ノーベル賞受賞、皇室、有名人、スキャンダルなどが例示できる。音楽・美術・映画系では、結果がわかりやすいコンテストのほか、賑やかなものが好まれる。たとえば、チンドン大会、山車(ねぶた、山鉾)など。

上記「イベントに活用されるアイテム」の分類を見ることでも明らかだが、この二者は、重なる部分と互いに独自の部分があるので、最後に、イベントプロデュースとアーツマネジメントの関係や注意点を挙げておこう。
まず、アーツマネージャーは、営業的なイベント向けのアーツばかりしていると堕落することに留意すること。イベント側は、アーツの扱いについては、専門のアーツマネージャーとよく相談することが必要である。アーツマネージャーは、アーティストを商品化しないようにつとめる。契約を詳しくすることが大事である。

特に、企業では、社長の交代、行政では、政権交代が イベントを危うくさすることがある。たとえば、水都大阪2009は、大阪府知事の交代で1億円減少し、しかもマスコミはその減額に好意的であったことは忘れてはならない。
また、アーツにはイベント向けでないものがけっこうあることに注意すべきである。規模の小さい小劇場演劇・コンテンポラリーダンスであるとか、事前に内容を告知できず、集客のための周知に不向きな即興的アーツに留意する必要がある。さらには、社会批評があるもの、過激なものもイベント側はためらうということをアーツ側も知っておくべきであろう。
繰り返すが、結局、イベントプロデュースとアーツマネジメントとは重なる部分と独自の部分があり、アーツマネジメント側としては、イベント向け(特に営業)のアーツばかりしていると違う方向に自分たちが行ってしまいかねないのであるということを常に意識する必要があると言えよう。

なお、2003年度に神戸市役所が主催した「こうべ 人・まち・アート創造会議」の報告書論稿であり、2005年1月に発行された『京都橘女子大学研究紀要』第31号に、<【創発】都市論――未知を恐れない「まちづかい」へ>というタイトルで掲載した筆者の考え方の基本はいまもかわっていない。ただし、「まちづくり」から「まちづかい」へという言い方などは、若干、刺激的な物言いであったと思い直している。つまり、「まちづくり」概念そのものの深化や変化もあって、「まちづくり」のうちに「まちつかい」(最近は「まちづかい」ではなく、「まちつかい」と表記し、破壊と建設に重心をおかずに、まちの文化資源を使い残し語り継ぐありかたを示している)比重を高める努力をすることで、「まちづくりは、まちこわし」という批判を受け止めることが可能ではないか、と感じている。

by kogure613 | 2012-05-29 21:52 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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