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香山リカ『〈私〉の愛国心』をホテルで読む

断酒暦22日。
ホテルでは、いつも缶ビールを自動販売機で買って飲んだ後寝るというのが、定例になっていたので、飲まないで寝るのはちょっと新鮮。でも、寝たと思ったら、夜中1時ごろ、廊下で話し声が続いて目が覚める。神経質ではないつもりだが、トランクを3つ置いて寝ているので、話し声が収まるまで起きておく。

昨夜は修士論文をじっくり読む。よく読むと味がある。その味をうまくもっと引き出すようにしてあげたらよかったなあと反省。でも、これできちんと評価していけると思う。新年度に入学してくる学生の卒業研究を実質的に3回生末に仕上げてしまい、4回生はキャリア準備に専念できるようなカリキュラム進行について、深夜眼が覚めたこともあり、思案。一緒に来ている教員に話す。

入試は1日目無事終了(帰ってみると、京都新聞には、共学になる京都橘大学の入試記事が出ていた)。ホテルに明日の問題などが届く。今度は、別の人にお守りをしてもらって、のびのび就寝。
香山リカ『〈私〉の愛国心』(ちくま新書、2004.8)を読む。「社会病理学」について、もう少し勉強しなくちゃと読みながら思う。特に、「国家」や「社会」を個人の病理の症例にあてはめることで分かってくることや理解されやすさの利点などと、その限界について。

P180より
解離的と名づけた日本社会のこの病理が、アメリカが陥っている驚くべき単純化と行動化に象徴される境界例的病理に比べて軽いのか、重いのか。それについての答えをすぐに出すことはできないが、いずれにしてもどちらの国の病理も、問題に直面したときに、それを心の奥深くに取り込み、さまざまな複雑な心的メカニズムを動員して解決しようとしたり、解決に失敗してうつ状態や恐怖症などの神経症的症状を招いてしまったりしていたこれまでの人間のあり方からは、遠く離れていることはたしかだ。
つまりやや大げさに言えば、人間社会はその病理的傾向において、神経症から人格障害へ、という新たなステージへ移ろうとしている。そのふたつのモデルケースが、日本とアメリカというわけだ。

by kogure613 | 2005-01-25 07:18 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

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