「まわしよみ新聞」傍房&ブルックナー7番ピアノ独奏by大井浩明@カフェモンタージュ
2012年 12月 23日
天皇誕生日、79歳。たまたま、原弘装幀の太宰治『堕落論』(銀河出版社、1947年)が届いている。
10時前に玉造駅の北西すぐの2階建ての長屋に到着。100年の経過というが、野田の実家の長屋よりも立派。石の路地。でも、随分なくなりつつあるが、野田と同じ風景だ。
傍房さんとその長屋の入口のお家は名付けられた。写真家と割烹着などを作る方が同じ長屋に住んでいられて、そのお二人の作業場兼「暮らしを持ち寄る集会所」とかいう場所だという。
広い意味の住み開きの流れであり、マイクロアーツプレイス(極小芸術場)としても自分の研究ヒールドである。
そこで、陸奥賢(むつさとし)オーナーのオープンソースである「まわしよみ新聞-新聞メディアの新しい可能性を探る-」ワークショップに参加した。10時から自己紹介などをして、13時半すぎまであっという間。実に夢中になるメディアとして新聞を面白がって読み紹介し、再編集するというものであった。実によかったな。陸奥さん以外はほとんど初対面だったが、それがまた面白かった。
そのあと、国立国際美術館で、エル・グレコ展を混雑のうちに観た。ゴヤやベラスムスに比べていまいちその顔の描き方あたりも含めピンと来なかった作家だったが、縦長の垂直の絵の下のほうにいる蛇とか町とかお墓?とか実に面白い構成で見入ってしまう。天使とかなんだろうが(それとも地上に来る前の天国で待機する胎児?)、赤ちゃんの首だけのグロテスクな集合物とかもなかなかに異様なもの。
一つ上の階は、フロアーに、李 禹煥などのもの派があり、展示室は、宮永愛子「なかそら-空中空-」(あとの「空」は裏向け)があって、写真を撮っていいという展示だったのが面白かった。作品的には、椅子の幽閉が味わい。
そのあと、京都橘大学生も参加した「京都考古学探検隊」に行くつもりだったが、間に合わず。
京阪電車の各停でゆるゆる丸太町まで。
カフェモンタージュの前に男性たちだけの一群。おお、ブルックナーファンだからか、大井浩明さんのファンの男性比率が高いからか、珍しい。
異様なクラシックライブ待ちである。実際開場後も50名ほどぎっしりだったが、女性が2~3割であった。トイレの列。寒いからなあ。
凄まじい演奏会であった。
いやあ、ブルックナーの交響曲第7番をピアノ編曲で一気に4楽章を休みなく67分ぐらいで弾き倒し、アンコールにワーグナーの神々の黄昏からのやはりピアノ編曲ともう一つ、シャーベットの口直しのように、ブラームスの20歳のときのピアノ曲。これも、最後のところがワーグナーのフレーズにつながるということ。
第2楽章のアダージョ(ワーグナーを痛む葬送)だけ、ブルックナー自身のピアノ編曲で、あとの3つの楽章はお弟子さんのシイル・ヒュナイスによるものだそうだ。
聴きながら、ブルックナーがワーグナーに会いに行く話とかいろいろ思い出しつつ、なんか、すごかったなあ、演奏って格闘だなあとか、そういうことを一番前で聴いてしまって(ここでピアノを聴く場合は、すこし後ろがいいな、それも指の見える方)、なんだか、ぼーっと途中で意識があっちの方に行きそうになって聞き覚えのフレーズで戻るということを繰り返す。
音がぐさぐさ肉体的に来た余韻を何とか、三条京阪の駅までに冷やし続けた。