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『紀元二千六百年』からの引用文

ケネス・ルオフ(木村剛久訳)『紀元二千六百年―消費と観光のナショナリズム』朝日新聞出版、2010年。
より引用用抜き書き
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p42
<戦時日本にファシズムという規定をあてはめるのを拒否するピーター・ドウスやダニエル・オキモトが強調するように、日本にはイタリアやドイツで権力を掌握したファシスト式の大衆政党が存在したためしがないのは事実である。生身の体をもつカリスマ的指導者もいなかった。とはいえ、以下に私が示唆するように、神武天皇がこの点ではその代わりとなる役割を果たしたとも考えられる。>

p43-44
<すぐれた政治学者として知られる丸山眞男(1918-96)は、敗戦直後に書いた評論で、ファシズムの大衆的基盤はなかったとしている。しかし、丸山とその後の多くの学者たちは、戦時日本の大衆的行動主義の広がりを無視していた。>

p50-51
<私は帝国日本による欧米の人種差別主義、自民族中心主義への挑戦を強調することは大事だと思う一方で、日本の戦時体制を記述するには軍国主義その他の概念を適用するよりファシズムのほうが適切だと考えている。しかし、紀元二千六百年記念行事に関しては、もっとも当てはまる概念は近代性(モダニティ)である。……本書に関するかぎり、近代性というときは、国民国家、産業化、グローバルな統合の進展、中産階級と大衆社会の登場、政治参加形態の拡大、そして二十世紀半ばの文脈でいえば帝国主義を指すことにしている。>

p101-102
<歴史学者の原武史は、1940年に全帝国臣民が定時に宮城を遥拝したり、黙祷したり、一斉に「万歳」を叫んだりするよう求められていたことを示す、12の実例を挙げている。……
<原武史は「時間支配」と名づけているが、この時間支配にもとづく儀礼は三つの異なる種類に分けられているという。……儀礼の第一は、天皇が宮中で儀礼をおこなう特別の日に、こぞって宮城を遥拝するというものだ。その一例が明治天皇の誕生日を祝う明治節である。…
<定時の大衆儀礼の第二は、軍や戦争の関連する日に定められた黙禱である。……
<定時の大衆儀礼の第三は、天皇による靖国神社や伊勢神宮の三パオ、その他特別の国家行事に関連して、国民に求められたものである…その日、天皇と臣民は、一斉に英霊に対し黙禱をささげたのである。>

p169
<日本の旅行者が利用した言説、象徴性、記念建造物は、当時の軍国主義的・拡張主義的な政策をさらに支持するように仕組まれていた。国は余暇旅行を史跡に向けるよう仕向け、いまと同様に「人と同じものがほしくなる」消費者の自発的な意志にちがいなかった。本章で強調したのは、紀元二千六百年当時、何百万もの日本人が加わった聖蹟観光が、国の強制によってではなく、自主的になされたということである。>

p202
<本国から日本の主要かつ正式な植民地である朝鮮への観光は、訪問者に現地での帝国の事業がいかに適切かをあらためて認識させるように仕向けられていた。鉄道網の広がりと京城の近代建築は、日本人が分明の水準を引き上げたあかしにほかならなかった。…京城を訪れた人が、要は帰るときに、みずからの力では後進性を抜けだせないとされたこの国に、日本が近代性をもたらすべく努力したことをしっかり理解してくれればよかった。…
<朝鮮に行く日本人観光客は、現地に足を踏み入れる前に、公式メッセージを頭に刷りこまれていた。それは、日本が近代性を導入するまで歴史の進歩に取り残されていた隣国を自分たちの国がいかに寛大に取り扱ったかという物語である。>

p292
<…紀元二千六百年に際してつくられ、「神武天皇聖蹟」と記された石碑は、但し書きを添えられることもなく、いまもそのまま残されている。これはほんのわずかな例にすぎない。記念の標識や遺物は、日本社会において否定が欠落している唯一の領域である。たぶん絶頂期の万世一系思想の遺物は残したほうがよいだろう。しかし、それははっきりとまちがった史跡として、つまり、かつては近代の国民国家が歴史を発明・操作し、その虚構を国民が喜んで受け入れていたというように、人々を教育するために活用されるべきである。>
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by kogure613 | 2013-03-30 16:23 | 研究テーマ・調査資料 | Trackback | Comments(0)

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