『山本泰太郎(大蔵流狂言方)』「月見座頭」&『ラブ・ファクトリー』
2013年 05月 20日
5/20(月)
昨日(5/19)の夜に観たDVDは、どちらも授業資料として買ったものだが、なかなかに面白かった。
枝雀落語大全第十二集「崇徳院」「道具屋」(とくに崇徳院は国立劇場なのに爆笑)、『第十五回日本伝統文化振興財団賞―山本泰太郎(大蔵流狂言方)』で、なかなかにシリアスな終わり方の「月見座頭」。
今夜は、英国コメディ映画『ラブ・ファクトリー』(2002年、91分)。監督:サイモン・セラン・ジョーンズ)。どうしてこれを購入したのかなかなか分からず。
調べて、おお、と。
スザンネ・ビア監督がこれは脚本(と製作総指揮)を担当していたからだった。
土日に授業をして、月曜日。
振替休講にしたいところだが、日曜日にかえっこバザール本番なので、その準備。
土曜日15時に4名が準備にきてくれて、9時に現地山科商店会会場に集合の手はず。
ノーリアクションズ無言実行ゼミの初かえっこである。
3回生ゼミは、やましなちず。9枚の模造紙貼り。
名神高速道路の位置が北すぎて4回生ゼミで修正した。



橘玲『貧乏はお金持ち―「雇われない生き方」で格差社会を逆転する』(講談社、2009年)のマイクロ法人を芸術営に活かせないかなと思いつつ読む。大企業や保守主義的経済団体、自治団体などが独占する国家権益をサラリーマンという会社の軛のもとにいる不自由な束縛された身分をいかに捨てるようにできるのか、アーツの力とともに、個人の会計ファイナンス基礎知識と少しの勇気が必要なのかもなあ、といつもとは違うハイエク的主張の本にもかかわらず、けっこう、勉強になった気もする。
こういうのを、大企業をバックにする保守政党(自民)の第一極、いまは弱いが労働組合などをバックにする福祉社会諸政党などのオールドリベラル第二極、そして、第三極としての「みんなの党」あたり(もう終わりだろうが大阪維新なども含めて)が、内政的には、単なる公務員バッシングだけではなく、「国家をたくましく使える国民形成」というふうに主張しているのだとしたら、面白いのかも知れないのだけれど・・・
p301
<国家もまた、法人の一種だ。ひとであってひとでないものに過度な愛情や幻想を抱いても、それに応える人間的な感情など持ち合わせていないのだから、いずれは裏切られて落胆するだけだ。
<私たちは国家のない世界を生きることはできない。……生き延びるためにすべきなのは、国家に依存するのでも権力を拒絶するのではもなく、国家の仕組みを観察し、理解し、道具として利用することだ。>
p310
<日本の社会制度は、自営業者や農業従事者、中小企業経営者などの「弱者」に有利なようにつくられている。彼ら「社会的弱者」たちは、制度がもたらす恩恵をずっと享受してきた。本書の提案はそれをサラリーマンにも開放しようということなのだが、それを「不道徳」として抑圧してしまえば、既得権はずっと温存されることになるだけだ。
<特定のひとにだけ分配された利権は政治的に強く守られているため、容易なことではなくならない。こうした不平等を是正するもっとも効果的な方法は、政治や社会を声高に非難することではなく、より多くのひとが利権にアクセスできるようにすることだ。そうなれば制度のそのものが維持できなくなるから、否応なく社会は変わらざるをえない。この国を覆う閉塞状況を変えるものがあるとすれば、それは理想主義者の空虚な掛け声ではなく、少しでも得をしたいというふつうのひとびとの欲望である。>
昨日(5/19)の夜に観たDVDは、どちらも授業資料として買ったものだが、なかなかに面白かった。
枝雀落語大全第十二集「崇徳院」「道具屋」(とくに崇徳院は国立劇場なのに爆笑)、『第十五回日本伝統文化振興財団賞―山本泰太郎(大蔵流狂言方)』で、なかなかにシリアスな終わり方の「月見座頭」。
今夜は、英国コメディ映画『ラブ・ファクトリー』(2002年、91分)。監督:サイモン・セラン・ジョーンズ)。どうしてこれを購入したのかなかなか分からず。
調べて、おお、と。
スザンネ・ビア監督がこれは脚本(と製作総指揮)を担当していたからだった。
土日に授業をして、月曜日。
振替休講にしたいところだが、日曜日にかえっこバザール本番なので、その準備。
土曜日15時に4名が準備にきてくれて、9時に現地山科商店会会場に集合の手はず。
ノーリアクションズ無言実行ゼミの初かえっこである。
3回生ゼミは、やましなちず。9枚の模造紙貼り。
名神高速道路の位置が北すぎて4回生ゼミで修正した。



橘玲『貧乏はお金持ち―「雇われない生き方」で格差社会を逆転する』(講談社、2009年)のマイクロ法人を芸術営に活かせないかなと思いつつ読む。大企業や保守主義的経済団体、自治団体などが独占する国家権益をサラリーマンという会社の軛のもとにいる不自由な束縛された身分をいかに捨てるようにできるのか、アーツの力とともに、個人の会計ファイナンス基礎知識と少しの勇気が必要なのかもなあ、といつもとは違うハイエク的主張の本にもかかわらず、けっこう、勉強になった気もする。
こういうのを、大企業をバックにする保守政党(自民)の第一極、いまは弱いが労働組合などをバックにする福祉社会諸政党などのオールドリベラル第二極、そして、第三極としての「みんなの党」あたり(もう終わりだろうが大阪維新なども含めて)が、内政的には、単なる公務員バッシングだけではなく、「国家をたくましく使える国民形成」というふうに主張しているのだとしたら、面白いのかも知れないのだけれど・・・
p301
<国家もまた、法人の一種だ。ひとであってひとでないものに過度な愛情や幻想を抱いても、それに応える人間的な感情など持ち合わせていないのだから、いずれは裏切られて落胆するだけだ。
<私たちは国家のない世界を生きることはできない。……生き延びるためにすべきなのは、国家に依存するのでも権力を拒絶するのではもなく、国家の仕組みを観察し、理解し、道具として利用することだ。>
p310
<日本の社会制度は、自営業者や農業従事者、中小企業経営者などの「弱者」に有利なようにつくられている。彼ら「社会的弱者」たちは、制度がもたらす恩恵をずっと享受してきた。本書の提案はそれをサラリーマンにも開放しようということなのだが、それを「不道徳」として抑圧してしまえば、既得権はずっと温存されることになるだけだ。
<特定のひとにだけ分配された利権は政治的に強く守られているため、容易なことではなくならない。こうした不平等を是正するもっとも効果的な方法は、政治や社会を声高に非難することではなく、より多くのひとが利権にアクセスできるようにすることだ。そうなれば制度のそのものが維持できなくなるから、否応なく社会は変わらざるをえない。この国を覆う閉塞状況を変えるものがあるとすれば、それは理想主義者の空虚な掛け声ではなく、少しでも得をしたいというふつうのひとびとの欲望である。>
by kogure613
| 2013-05-20 23:30
| こぐれ日録
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