175分のジュゼッペ・トルナトーレ監督『ニュー・シネマ・パラダイス』、外山恒一さん
2014年 01月 23日
2014/1/23(水)
175分という長さなので、今日がいいかと、昔映画館では観たが、それよりも50分以上長い『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989年、175分、ジュゼッペ・トルナトーレ監督・脚本)を楽しむ。
どこが以前はカットされていたのかとかそういうことは忘れているが、イタリアの日本未公開の消防士の喜劇とかの反応が新鮮だった。
ミケランジェロ・アントニオーニの映画を大学時代、特集で数本観たことを「ためらい」上映のところで思い出す。いい映画なのだが難しくてお客が少ないというところ、それがまた映画の主人公トトや恋人ヘレナ(アニェーゼ・ナーノ、30年後のヘレナは、ブリジット・フォッセー)とダブルところにこの映画の妙味がある。
シチリア島の昔ながらのお葬式。そのあとの車のお葬式でもやはり葬列ではある。
映画館そのものの歴史をテーマにした映画ってこの映画以外にはどれほどあるのだろう。
それも、映画館の観客が実に面白く丁寧に描かれている。もちろん、映写技師の師弟関係がメインではあるが、映画館長や検閲するおとなりの神父さんとかがいて、映画を使った共同体が舞台だともいえる。
映像が美しく、燃えるフィルムということをそういえばこの映画を見て実感したことを思い出す。芸術場を経営することと消防との昔からの関係が映画館になっても続いている、と。
相川へ行くのも最後になるのかもなあと思いつつ、大阪成蹊大学の授業終了。
ぼんやりSNS。facebookが退潮気味だという。
商品でもサービスでも企業でもどんどん寿命が短くなってきているようだなあ。大学の学部学科だってそうだしね。
東京都知事選挙で、立候補していない外山恒一さんの原発推進候補褒め殺しが今回もあるようで、なんだか、限界芸術論と限界政治論がオーバーラップするので、興味深い。もちろん、マック赤坂さんもカムバックだし。小泉純一郎さんが大衆政治の典型で、もちろん橋下徹さんや石原慎太郎さんなどいっぱい候補がいるが、純粋芸術に対応する純粋政治論ってありうるかどうか。まあ、大平正芳さんあたり?