AサーカスのA アーツにあおもりにAUTO
2005年 05月 17日
踊りまわり(27)-Aサーカス-終わりに、「A」の意味が明かされる。アーツにあおもりにAUTO。
サーカスは、ぼくにとって文学の世界の出来事だった。夢の中のデラシネ。根無し草の異人さん。お化け屋敷以外の見世物小屋も、正月の住吉大社とかで小学生ぐらいまでは幾度か見たが、その呼び声とかが怖くて苦手だった。
ピノキオ、中原中也、別役実、小さいときに読んだ悲しい童話のかずかず。デラシネの孤独と葛藤。ぼくの中でサーカスはいつも、親方にいじめられた少年が紫の涙を流し、象やシマウマなど動物たちがアフリカを想って彷徨する。まちからまちへ旅団は流浪を繰り返しハラッパの景色を反転して、あくどいヂンタを演奏し続けるのである。つまり、恥ずかしながら、どうしようもなく暗い小川未明的サーカスイメージしか、結局ぼくはもっていない。・・・・・・・・・・・
さて、大学では、英コミの学生と四方山話をしたり、3時限目の授業では、天皇制の歴史まで行ってから、アクティングアウトとカミングアウトの関係をはさみつつ、「スポーツとナショナリズム」という新しいセクションへ移る。中間テストの問題の発表。彼らにとって、はじめて大学の試験らしい試験の初体験になると思うが、これほど、至れり尽くせりの教員はぼくしかないといささか豪語したりする。だって、問題は事前に教える(それも、冒頭に予告もしていた)し、持込も何でもありだし。それでもきちんと評価できる自信がぼくにはまああるのでできることだが。
18時からは、インターンシップの事前研修。3名しかいないが、同じように(いやより濃縮に)授業をする。前半は「指定管理者制度」についてのぼくとしては一番わかりやすい説明、後半は、アーツセンターに行って新聞の切抜きを任されたとしたらどういう記事を選ぶのかを話し合うワークショップをした。