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今村昌平監督『ええじゃないか』

014/7/31(木)
6/22に今村昌平監督の『うなぎ』を観て、それほど大した映画じゃないと見くびっていた自分が恥ずかしく思い、いくつかDVDを購入した。
151分と長いのでおいておいた『ええじゃないか』(1981年、原作も脚本も今村昌平。脚本は彼以外に宮本研)を見る。最後の群衆シーンは観たことがあったので、昔テレビでやっていたのを観たことがあったのかも知れない。

それにしても冒頭の江戸末期、東両国の見世物小屋が面白すぎる。
桃井かおりの見世物(「それ吹け(好色見世物)」)も途中にあるし、3人娘(桃井かおりと倍賞美津子、女相撲の人=かわいのどか)のかんかん踊りもおかしい。

ええじゃないかの群衆イベント(いまのスマッシュモブズとも比較できそうだな)のし掛け人の話や、一揆百姓と豪商との間にあって、両方からその利得をとる商売とか、いまのネット噂ビジネスとか、グーグルの初めのほうに出るようにするビジネスなどとも通じて面白い。

たまたまだろうが、釣りとか、うなぎなどの供養だとか、今村昌平監督は川や釣り、魚が好きなのかも知れない。『黒い雨』の最後のシーンも魚が飛び跳ねる幻想だったし・・

キャスト
イネ:桃井かおり; 源次:泉谷しげる; 古川条理:緒形拳; 金蔵:露口茂; イトマン:草刈正雄; 三次:樋浦勉; ゴン:丹古母鬼馬二; 孫七:火野正平; 卯之吉:野口雅弘; お甲:倍賞美津子; お松:田中裕子; 綾若:かわいのどか; ヤモメの六:犬塚弘 • 原市之進:河野洋平

個人的にエクアドルに関心が出て(そのあと中学校からの同期の株丹カブタン君がペルー特命全権大使になるという話も出たが)、買っていた新書が実に勉強になる。

伊藤千尋『反米大陸―中南米がアメリカにつきつけるNO!』(集英社新書、2007年)。
p109-110
<…アメリカが覇権の最初にどのような行動をとったかを見れば、現在の世界制覇につながる侵略のパターンが見える。メキシコからテキサスなどをもぎ取った「アラモを忘れるな」と、スペインからキューバやフィリピンの支配権を奪った「メイン号を忘れるな」というリメンバー方式は、最初に相手が手を出したことへの報復だと強調し、国内の世論を結集する方法だ。「リメンバー方式」の三度目は、太平洋戦争での「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」だった。四度目が9・11テロの報復としてのアフガン侵攻とそれに続くイラク戦争だ。

<攻撃されたことを強調し、マスコミが鳴り物入りで宣伝し、国民は「やられたのだから、やり返せ」と戦争に突っ走る。それが昔も今も変わらぬ、アメリカの戦争の初め方だ。さらに侵略した現地では、解放軍だと見せかけて、現地の独立派など「敵の敵」を利用し、最後は成果を独り占めする。こうした方式でアメリカは、世界に覇権を拡大した。>


アンドレ・ルロア=グーラン『身ぶりと言葉』(ちくま学芸文庫、2012、訳=荒木享)、この文庫は、長期的に少しずつ読んでかみしめている。

「第3部 民族の表象―記憶とリズム その二」「第十一章 価値とリズムの身体的な根拠」「筋肉感覚」p449
<身体の重さは、筋肉によって知覚され、空間的な平衡と組み合わされて、人間を具体的な宇宙につなぎとめているが、その結果、反対に、重さも平衡もない空想の宇宙が構成されることになる。軽業や平均運動や、ダンスなどは、だいたいにおいて正常な動作の鎖から脱却するための努力、空間内でのさまざまな姿勢の日常的な周期をうち破る創造の追求を具体化したものである。解放は、睡眠中に内耳と筋肉が休息していて、日常の書割の逆をつくりだすとき、飛翔の夢のなかに自然に生まれてくる。方法は異なるが、目覚めているときに軽業を見るというのも解放であり、動作の鎖への一種の挑戦である。>

p453
<…数千年来の人間の大きな賭は、時間と空間をリズムとか、暦とか、構築物として組織することであった。人間が小宇宙を創造することによって、宇宙の運命を決める宗教の体系が支えられる。…時間と空間は、人間の身ぶりをすべて支配しており、人間が砂漠に逃れて、じっと動かず瞑想にふけるのも、<この世>から、つまり流れる生のリズムのしるされる時間と空間から、同時に身をひき離すためである。時間と空間から脱出する偉大な名匠の運命は、道教徒、仏教徒、キリスト教徒が鑽仰(さんこう)する先例となっている。>

(参考)
<Library for Architectural Theories第11回:欠乏から生まれる新しいリズム(アンドレ・ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』書評)杉村浩一郎+佐藤大介(LATshttp://10plus1.jp/monthly/2012/10/lats21php.php
<人間は進化の過程で、生物的リズムを壊したために起こった「欠乏と制御」を繰り返すことで、いままでになかった価値観、文化、技術といったリズムを創出してきた。原子力発電という、いままで恩恵を受けてきた技術を、あえて意識的に手放しはじめる(欠乏させる)ことは、新たな技術や文化を生むためにも不可欠に思える。いままでの進化を歴史として実証的にとらえ、これからの未来への進化の糧にすることで、目の前に立ちはだかるさまざまな問題は、必ずや乗り越えられるだろう。また、本来人間にはその能力が備わっているように思う。そう考えると、本書が今日において再版された意味は、とても大きく感じられる。>


by kogure613 | 2014-07-31 23:05 | Trackback | Comments(0)

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