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佐々部清『半落ち』、岸井明「涙はどんな色でしょか」(サトウハチロウ作詞、三木鶏郎作曲)

2014/8/14(木)
三重大学でレクチャーがあって「舞台芸術振興のためのアートマネージメント人材育成講座」、9/9に僕もすこししゃべる。http://www.human.mie-u.ac.jp/event-p/20149811926.html
「アートと社会」が9日全体のテーマで、一限目が「アートと社会」というのだから、総論かな。「社会」という明治翻訳語事情とか「世間」(空気)との関連、ハンナ・アーレントなど想起すること多し。二限目がすこし悩むお題「アートと教育」。

演劇でコミュニケーションやダンスで理科のような話を期待されているようにも思いつつ、これも、中学生のダンス教科とか、美術音楽の創作重視のことなど、話題はいろいろある。一番したいのは、子供の芸術鑑賞習慣づくりへのアプローチだろうな。山本能楽堂さんなどを想起。

高校野球にハマッてしまう。
昨日は、鹿屋中央にしびれ、今日は山形中央(こちらは県立)。
一度限りだからできるイベントである。
高校生の部活動を大人の娯楽に使うというスポーツイベントだから、抑制が必要だと思いつつ、心身を壊さないような配慮でこの大正時代にはじまったスポーツ行事は味わい深いなあと思う。

「銀座カンカン娘」の続きで、岸井明さんというジャズシンガーを検索していて、とても気持ちのいい唄「涙はどんな色でしょか」に出会って、その情報を調べた。以下、その一部。歌詞がミクシーにあるがすこし不安なり。

「涙はどんな色でしょか」1946年、サトウハチロウ作詞、三木鶏郎作曲、歌手:岸井明/灰田勝彦 (後に古賀とし子も歌っている)
http://www.mikitoriro.jp/html/music_frame/pop_frame/uta_sinnbunn/uta_shinnbunn.html

三木鶏郎さんというCMソング(コマソン)作曲家の始祖のようなすごい音楽家のNHKラジオ「音楽の新聞」で流れていたようだ。童謡歌手の古賀とし子さんは、すこし後の録音のようで、岸井明のCDと三木鶏郎のCDを発注しておく。唄の世の中~岸井明ジャズ・ソングス、三木鶏郎リリカル・ソング。ス

はなが帰る。
バルテュスとかもそうだが、10月17日、18日、19日の関西ライブツアーの準備もうまくできて、いい京都帰郷だったようだ。さて、戦後直後歌謡を彼女はどう料理するか、楽しみが増える。


夜、録画していた映画『半落ち』(2004.1公開、121分、東映)。群馬県警と群馬検察庁という北関東ローカルな舞台。
監督:佐々部清、原作:横山秀夫。キャスト:柴田恭兵(いま黒田官兵衛でよく観ていた)、寺尾聰、鶴田真由、伊原剛志などなど。

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輪島裕介<戦後放送音楽の「ホームソング」志向と三木鶏郎>

待兼山論叢. 美学篇. 45 P.1-P.27
Issue Date 2011-12-26

URL http://hdl.handle.net/11094/25121

http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/25121/1/mra_045_001A.pdf

<2-2 文化貴族・三木鶏郎
三木鶏郎は、1914 年に飯田橋で開業する弁護士の長男として生まれ、暁星中学校から旧制浦和高校を経て東京帝国大学法学部卒業後日産化学に入社、その後応召し陸軍主計中尉として敗戦を迎えている)。

幼少時からオルガン、ハーモニカ、三味線で遊んでいた繁田が、ヴァイオリン、ピアノ、声楽を本格的に学びはじめるのは大学浪人時である。中学・高校の級友との関係で浪人時から帝大音楽部オーケストラと親交を持ち、二浪ののち入学と同時に音楽部委員長となり、2 年留年してまで委員長を継続するなど、部内の中心人物であったようだ。当時の帝大オーケストラの同輩に戸田邦雄、柴田南雄がいる。

学内オーケストラのかたわら、ジャズ・バンドを組織し、浅草のカジノ・フォーリーに通いあきれたぼういずのジャズ浪曲に傾倒するなど、当時の先端的な音楽文化を幅広く吸収している。就職後も工場でブラスバンドを組織している。陸軍入隊後に、同じ帝大卒の諸井三郎に師事して作曲を学び、部隊歌を作曲し、人形劇団を主宰するなど、戦時中も(というよりむしろ、将校の立場を存分に利用できた戦時中においてこそ)比較的自由な音楽活動を行っていた。

敗戦後は日産化学へは復職せずに音楽の道を志している。自身が「フラ
ンクキャプラ的転向」と幾分ドラマティックに述べるところでは、復職願
提出に赴く道すがら耳に飛び込んできた軍楽隊のブラスバンドが演奏する
スーザのマーチに刺激されて復職を取りやめ、音楽の道を志したという)。

作曲の師であり、戦後は文部省視学官として音楽教育に圧倒的な影響を
持った諸井三郎の手伝いをするかたわら、諸井の関係の音楽雑誌の編集に
関わっていた際に取材と称してNHK を訪れ、自作曲《南の風が消えちゃっ
た》を売り込む。音楽部長・吉田信がそれを認め10 分の番組を制作し、
彼は友人二人とともに出演したところ、翌日の新聞で「彗星の如き天才現
わる」と絶賛される好評を得る。そこで音楽部副部長・丸山は、ほぼ独断
でこれを毎週日曜昼の15 分番組とする決定を下し、ここに新進音楽家・
三木鶏郎の誕生となる。

ちなみに三木鶏郎というペンネームは、「歌の新聞」出演時に彼と友人のグループ名として、ミッキー・マウスをもじった「ミッキー・トリオ」を名乗ったところ、それが「ミキトリロー」と読み間違えられて放送され、以来それが個人名となったということである。

彼の経歴は、それ以前の職業的な大衆音楽家の出自と比してきわめて異
色である。音楽学校くずれでも、叩き上げの軍楽隊出身者でも、ダンスホールのジャズ楽士でも、もちろん街の「流し」出身でもない。彼の音楽への興味は、大正教養主義の流れを汲むエリート学生文化のなかで育まれたものである。そして、三木鶏郎が帝大法学部出のエリートであることは、「日曜娯楽版」と「冗談音楽」を評する際に必ず肯定的に強調される要素であった)。幼少期から西洋音楽を受容できる恵まれた立場にありながら)、幼少期から専門的な音楽教育を受けていたわけではなく、青年時代に本格的に音楽を学びはじめた彼にとって、音楽への興味は旧制高校~帝大的な教養志向に基づくものであった。

彼の作曲の師・諸井三郎も、秩父セメント創業者の家系に育ち、浦高・帝大でトリローの先輩にあたる生粋のエリートで、人文的な教養として芸術音楽に接近していった人物であった。トリローの回想録には、友人の湖畔の別荘でのボート遊びや、夫のあるファム・ファタールとの道ならぬ恋など、戦前のエリート帝大生の貴族的な生活を偲ばせるエピソードが多く語られている。そして西洋芸術音楽への強い傾倒の一方で、映画やジャズやレビューといった「モダン文化」にもどっぷり浸かった様子が気負いなく語られている。藤山一郎や淡谷のり子ら、経済的理由でレコード歌手への転向(挫折)を余儀なくされた音楽学校出身者に見られる、「正統派」としての過剰なプライドとそれと裏返しの西洋芸術音楽への強いコンプレックスは、金と暇と教養のある趣味人として西洋芸術音楽を身に付けたトリローには無縁だったように見える。

社会学者の加藤善子は、日本における西洋芸術音楽の主たる愛好者層は、
旧制高校生及び大学生であり、彼ら(もちろん男性のみ)は学生時代に、「世俗」とは異なる西洋志向の教養として芸術音楽にどっぷりとはまるものの、学生のエートスを保持し続けることが比較的容易な医者や大学教師のような自由業的な専門職を除き、一旦社会に出るとそこから離れてゆく傾向があったと指摘している(渡辺裕・増田聡ほか『クラシック音楽の政治学』(青弓社2005)第5 章「クラシック音楽愛好家とは誰か」)。

翻って、三木鶏郎が音楽家として台頭する経緯が示しているのは、平時ならば社会において支配的な地位につくことによって後退(少なくとも個人のうちに潜在)してゆく文学青年的な芸術趣味に基づく音楽活動が、敗戦にともなう価値転倒のなかで特異な形でオーヴァーグラウンドに浮上し、一躍メディアの寵児になってしまった、という事態ではないだろうか。彼の元で放送作家としてキャリアを開始した永六輔は「トリロー自身が音楽好きの法律家で、「日曜娯楽版」で人気スターになってしまったことに自分であきれているような冷静なところがあった」と評している(『さよなら芸能界』(朝日文庫2001、p.132))。

既存の大衆職業音楽家とは異なる出自をもつ素人が敗戦直後に一躍スターになり、その後の大衆音楽文化に決定的な影響を与えていったという点では、三木鶏郎は前述の美空ひばりや、シベリア抑留中に作曲した《異国の丘》が「のど自慢」で歌われたことから帰国後作曲家に転じた吉田正と共通している。

ただし、ひばりの音楽性は、俗曲や浪曲、あるいはレコード流行歌などによって育まれた近代日本の都市庶民の音楽趣味を代表するものといえ、吉田もその音楽語法は基本的に中山晋平以来の大衆的・通俗的な歌謡の系譜に属するのに対し、三木鶏郎の場合は西洋志向の高級文化の恩恵を存分に浴びながら、寄席や映画やレビューといった戦前の都市モダン文化を自由に享受した特権的なエリート学生の音楽趣味が、放送メディアを介して一般に浸透していったという点で対照的である。>
by kogure613 | 2014-08-14 22:43 | こぐれ日録 | Trackback | Comments(0)

こぐれのぶお・小暮宣雄 写真は春江おばあちゃんと・サボテンの花嬉しく 


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