稲田和浩『にっぽん芸能史』、ザ・ノンフィクション [ 泣き虫舞妓ものがたり4 ]
2014年 09月 23日
2014/9/23(火)
いま読んでいる本がとても分かりやすく、
知らないこと、知っていてもつながっていなかったことが、
稲田和浩『にっぽん芸能史』(映人社、2014年)
特に、講談と落語の江戸時代のことが勉強になった。
言文一致運動に影響を与えた三遊亭円朝の速記本ができたのは、明治政府が国会を開く準備として速記者養成が必要になり、その速記見習いたちが寄席に行って聞き取りをしたからだというところとかなかなかに面白い。
明治8(1875)年の芸人賦金制度などもチェック。俳優(上等5円、中等2円50銭、下等1円、音曲50銭)、その他(上等50銭、中等25銭、下等12銭5厘)、芸妓・酌女・幇間3円。p92は、そう書いてあるが、すこし分類については詳しくは分からない・・・
p89-90には、薩摩琵琶が明治維新からとても流行したことが記述されている。
あと琵琶については、p26-27「琵琶を手にする下級貴族たち」「平家物語の登場」。
1限目、行政学のはじまり。
登録数は70名。実際の出席は54名。
来週には変動が確定するだろう。教科書は必携。
現代マネジメント学科が一番多いので、企業の経営との比較論をわりと多めにする。
あと、これは授業ではなかったかも知れないが、行政をキャッチャー、ピッチャーを住人や企業に例えた大森先生か西尾先生の話をちょっとしたら、反応がよかった。
サインが法令なのね。
3回生トシカンで教職課程を取っていた学生が相談に来る。
教職課程をとることで、専門科目が4回生になって40単位も取らなくてはいけないけど・・という話。聞くと公務員関係が第一志望で教職課程はバッファーというので、公務員試験一本でいくべきと言っておく。さてどうするかな。
和太鼓部の10月の公演などの決済に来た学生に聞くと1回生が4名しかいなくて、しかも・・ということ。2回生も5名だし看護学科が4名とかで、かなり危機的状況だと思う。
反比例して、山科地域などからの要望は多い。地域ボランティア活動を太鼓部を通じてするのは、キャリアにも役立つというようなPRをまた僕もしてみようかと思う。
夜、録画していた舞妓さんのドキュメントを楽しむ。以下、引用:
ザ・ノンフィクション [ 泣き虫舞妓ものがたり4 ] http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann-tanosiiburogu/archives/51941795.html より
<■ザ・ノンフィクション [ 泣き虫舞妓ものがたり4 ] 2014年09月14日
2014年7月、パリでJAPAN EXPO 2014が行われ、アニメやゲームが紹介される中、舞妓の勝奈さん、勝音さんの2人が登場するブースが一際人気を集めていた。映画「舞妓はレディ」の主演を務めた上白石萌音も登場し、舞妓姿を披露した。舞妓・勝奈こと三島果帆さんは現在17歳で、2012年にお茶屋「大文字」の門を叩いた。高校進学を勧める両親から反対されたが、「生まれ変わってでも舞妓になりたい」と両親を説得。舞妓は修行の日々であり、番組で10年間取材してきた中で、勝瑠こと小川千鶴さん、勝音こと志村理音さんも当初は涙に明け暮れる日々だった。しかし果帆さんだけは入門以来涙を流すことがなく、弱音さえ吐かなかった。そんな中、果帆さんが初めて見せた涙の訳とは…。
2012年7月。船橋市立行田中学校の3年生だった三島果帆さんは、管弦楽部で第二バイオリンのパートリーダーを務めていた。そして時は流れて3月14日、果帆さんは卒業式を迎え、友人達が舞妓になる果帆さんに応援メッセージを送っていた。
京都・北野天満宮の東門前に建てられた7軒のお茶屋は京都で最古の歴史を誇る花街。お茶屋「大文字」で修行を初めた果帆さんは、修行中の「仕込みさん」と呼ばれ、先輩の芸姑達と暮らしていた。「北野をどり」の際には楽屋で果帆さんが芸妓さんや舞妓さん達の着付けの手伝いをしていたが、全てが初めての事で戸惑いの連続だった。
果帆さんが「大文字」のお座敷で初めてのお手伝いをした。緊張しっぱなしの果帆さんは頼まれた熱燗と間違えてビールを運んでしまった。
入門して10日が経った頃、果帆さんは師匠から長唄や舞を教えてもらいはじめたが、それぞれのお師匠さんから筋が良いと果帆さんを褒める言葉が出てきていた。
入門して三ヶ月。果帆さんは此処まで涙を見せた事が無かった。芸姑の勝也さんは、果帆さんの此処までの修行ぶりについて「しっかりしすぎというぐらいしっかりしてはる」と語っていた。9月1日、果帆さんは姉となる予定の勝也さんに連れられて始めて髪を結ったが、果帆さんは此処でも「苦しい事は無い」と笑顔を見せていた。
11月15日。入門しておよそ8ヶ月が経過した果帆さんは、勝瑠さんに白塗りをしてもらい、舞妓・勝奈としてデビューする日を迎えた。果帆さんは盃を交わした姉・勝也さんに連れられて挨拶まわりを行った。この日に至る果帆さんの修行の日々について、「大文字」の女将・今井貴美子さんは、本人が楽しいと言いながらやっているのは嬉しい事だが、安心は出来ないと語っていた。
年が明けて2013年。果帆さんは長唄の稽古に遅れ、師匠を待たせてしまった。この頃から遅刻が目立ってきた果帆さん。しかしそれは始まりに過ぎなかった。
2013年7月。果帆さんが「大文字」で舞妓デビューしてから8ヶ月が経ったが、果帆さんに異変が生じていた。果帆さんは稽古の時間に遅れる事が増え、不安を口にしていた。この頃、芸姑の勝也さんがオーストラリアに語学留学していき、頼れる相談相手がいなくなってしまった果帆さんは不安で堪らないはずだった。芸姑・勝瑠こと小川千鶴さんは、自分の修行時代と違ってあまり弱い部分を見せない果帆さんが潰れてしまうのではないかと心配していた。千鶴さんは2010年10月28日に衿替えの日を迎えて舞妓から芸姑になり、2011年2月3日には北野天満宮節分祭に参加した。
2013年7月。6年間の奉公を勤めあげて「大文字」から独立した勝瑠こと小川千鶴さんは、一人暮らしを始めていた。千鶴さんは「これまで人生は芸姑さんみたいな感じだったのが、仕事になった感じ」とこれからの生活への不安を語っていた。
8月4日に上七軒盆踊りが行われた。舞妓二年目の果帆さんは、笑顔の裏で深刻な問題を抱えていた。果帆さんは食事を食べてもすぐに戻してしまうと語り、初めて涙を見せた。
2013年8月のお盆休み。食事を戻す事が治まらない中、果帆さんは兄の三島圭人さんが一人暮らしをする江東区のアパートにやってきた。舞妓なので普段は包丁を握らない果帆さんだが久しぶりに料理を作った。圭人さんは、果帆さんは地元にいた頃は全然キャラが違っており、結構堕落した生活を送っていたが、今の生活ではずっと外面を出し続けている為にストレスを感じているのではないかと語っていた。
果帆さんは、1年四ヶ月ぶりに母校である船橋市立行田中学校を訪ね、担任の高橋優子先生と再会した。果帆さんは職業体験学習の一環で舞妓の生活について後輩の在校生に向けた話を収録したが、果帆さんは此処でも愚痴る事なく外面の良さを出してしまっていた。
2013年11月。「大文字」での舞妓・勝奈の店出しから一年が経ち、果帆さんは上紅を引く事が許された。果帆さんは食事を戻す事だけはなんとか折り合いがつくようになったが、外面の良さを崩さないのは相変わらず。果帆さんの笑顔の向こう側にいまだに解決出来ない苦しみが見え隠れしていた。
2014年1月。オーストラリアに留学していた芸姑の勝也さんが帰ってきて、帰国パーティーが開かれた。そして芸姑の勝瑠こと小川千鶴さんは、この時大きな決断をしていた。
芸姑の勝瑠こと小川千鶴さんは、芸姑を引退して実家のある神奈川に帰る事を決意した。夏休みで帰省した時に知り合った会社員の男性と結婚する事になったという千鶴さんは、「喫茶 梅」など上七軒の人達にお礼のご挨拶まわりをした。4月30日、千鶴さんは勝瑠として生きる最後の日を迎えたが、お座敷は仲良しの芸姑・市照さんと一緒だった。勝瑠さんは北野天満宮へのお参りを終えた後、「大文字」の女将・今井貴美子さんにご挨拶したが、「ここに来られて良かった」と感謝を語り涙を流した。
一方、勝奈こと三島果帆さんは「大文字」での舞妓3年目が近づいていた。果帆さんはまだ遅刻はしてしまうが、以前よりはマシになっていると語っていた。>
by kogure613
| 2014-09-23 07:15
| こぐれ日録
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