清流劇場『イフィゲーニエ』インディペンデントシアター2nd、ムジカジャポニカ<からっぽ、かりきりん、小暮はなwith永田雅代
2014年 10月 18日
2014/10/18(土)
18時まですこし扇町公園で待って、昔OMSがあったところのすぐ近くのムジカジャポニカへ。
『ムジカで花々のウタ』
からっぽ(水晶+ハタサトミ)
かりきりん(下村よう子+宮田あずみ)
小暮はなwith永田雅代:p/
今日は、お客なので実に楽w。昨日もとてもよかったが、ここで聞くと音響の石崎さんのおかげでもあって、何とも安定したライブ環境を堪能した。
水晶ちゃんがはじめで、一緒に、ハタサトミさんという高槻で納谷衣美さんとかと知り合いだという人もウクレレ二本。チューニングが微笑ましく、最後の曲はCDでもよく聴いたしなつかしすぎ。
二番手が小暮はなwith永田雅代で、昨日はアンコールでチョウチョをしていて、アンコールとしてはどうだったんだろうとかいっていたが、今度は間に入って、全体的に大人の構成になっていて、13歳の少女の話、おかっぱ頭(愛情42)もおっさん視線だし、Mojitoと続いて、昨日より安心して聞いていた。場所が端で、永田さんをよく見ることができなかったのは、すこし残念だったけど・・
次のかりきりんが、下村よう子さんの昔のイメージとはずいぶん違う子供の詩(いま70歳を過ぎている人たちね)に作曲していて、ふちがみとふなと的な血脈も感じつつ、楽しすぎた。
で、すぐに、2005年にCDを出した「ウタタネ」の再現。坂巻さよさんのかわりにハタサトミ(ソラネコ)さん。3曲。なつかしい・・・
(歌った曲目)
1.あたしはビンビンビン
2.Carioca de limão
3.朱いさかな
4.チョウチョ
5.おかっぱ頭(愛情42)
6.Hard times come again no more
7.Mojito
[1〜7 with 永田雅代(p)]
[5.詞 金子光晴/曲 ひがしのひとし] [6.詞・曲/Stephen Foster 訳詞/紅龍][ 他.詞曲 小暮はな]
(ウタタネ)
1.アサヲマッテル
2.皇帝
3.遠い夜の国
[1〜3 下村ようこ、宮田あずみ、水晶、はたさとみ、永田雅代、小暮はな][1.詞曲 水晶、2.3.詞曲 鈴木 翁二]
イベントがこの週末、なんだろう満載で困ってしまう。
滋賀会館のお別れの会。それに、緑橋での第七回みどりばしぶんかさい「あかりでハプン!」、どちらも興味深い芸術と地域の関係や限界芸術展開には行きたいものである。
山科では、清水焼団地のイベント<清水焼の郷のまつり。明日は、これが一回生の地域課題研究の学外授業にもなっているし、遊劇体は月曜日の卒研中間発表のあと、くたびれているだろうが行くことにして、お昼は、清流劇場を鑑賞することにした。
大正解。この前shelfさんの公演、volume18[deprived]で、日本国憲法前文を印象的に使っていて心震えたが、もう一度、この前文を祈りとして提示。そして、今度は最後、歌にしてあって、ギリシャ悲劇とゲーテを巻き込み、何とも深い感慨に落とし込まされた。イフィゲーニエを演じる林英世さんの声の安心感がまた2時間を悠々とたゆたっていて・・・(イフィゲーニエの分身でもある3人の巫女の分有するセリフや心模様が、ときおり、少しチグハグ感があったけれど)。
清流劇場2014年10月公演『IPHIGENIE イフィゲーニエ』大阪ドイツ文化センター設立50周年記念、
インディペンデントシアター2ndは久しぶり。
2時間。
でも、かなり長い戯曲をぐっと縮めて(字幕が舞台上の展開と少しダブルが、ギリシャ悲劇にずいぶん遠ざかっていたので分かりやすくてよかった)やっているようにも思う。でも、古典的な感じが衣装とメイク(これがとくに印象的)にあり、竹の舞台美術の使い方も、シンプルで強く怖く鋭角的に世界の残酷さを表していた。
特別協力:大阪ドイツ文化センター
アンディ岸本 / 林英世 / イシダトウショウ / 西田政彦(遊気舎) /
岬千鶴(ピンクのレオタード) / 上田泰三(MousePiece-ree) /
服部桃子 / 大森千裕
音楽・演奏:仙波宏文
http://seiryu-theater.jp/archives/1461 より引用
<田中孝弥よりご挨拶
あの震災で、一体どれほどの命が犠牲となっただろうか。
あの原発事故で、一体どれほどの方が避難所暮らしを強いられているだろうか。
まだこんな身近にある「痛み」を、私たちはもう感じなくなっているのか。
……そんなはずはない。
しかし、日本は「戦争」へ前のめりになった。
戦争がふり撒く「痛み」は甚大であるにもかかわらず。
その「痛み」は人為的に産み出されるものであるにもかかわらず。
─────────── 非戦へ。
戦争や武力を否認し、それと異なる手段で問題を解決する。
道は閉ざされていないはずだ。
ゲーテの作品「タウリス島のイフィゲーニエ」には、自分を見つめ、他者の存在を認め、異文化への理解に努める「人間の美しさ」が描かれている。
イフィゲーニエという女性の放つ「非戦」という美しさは、現代社会で繰り返される「暴力の連鎖」を断ち切るための手掛かりになるはずだ。>
<大阪ドイツ文化センターよりご挨拶
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが「世界市民」と呼ばれる由縁は、彼が旅を愛し、異国の未知の文化や言葉、植物などへのあくなき好奇心と探究心をもって自身の世界をひろげたことにあります。ゲーテが生きた18世紀後半のドイツは、領邦として細分されていたため、各国間の往来には君主の許可を得なければならず、決して容易ではありませんでした。そのような状況下でゲーテは旅を続け、イタリアに2年も逗留して、現地の人や文化に親しみます。そうして異文化理解の重要性を強く意識するようになったゲーテは、帰国後、外国語や外国文学の導入に注力し、自ら翻訳を手がけるなど、閉鎖されていた当時のドイツに異文化交流の礎を築きました。
ゲーテの名前を冠するドイツ文化センター(ゲーテ・インスティトゥート)は、彼のそのコスモポリタン精神を受け継ぎ、異文化交流を通じて生まれる世界との対話を活動の原点としています。
今年開設50周年を迎えた大阪ドイツ文化センターは、この節目の年に名祖であるゲーテに焦点を当て、様々な企画を通して彼の偉業を再発見し、紹介していきたいと考えています。
その第一弾企画として、今春、清流劇場とともに7週間にわたって「ゲーテをめぐるレクチャー&ブレーンストーミング」を開催し、ゲーテ、並びに「タウリス島のイフィゲーニエ」についての理解を深めました。そこで培われた知識やアイデアが本公演にも反映され、ひいては公演をご覧になられた方々にも多くの示唆を与えてくれることを期待しています。>

















by kogure613
| 2014-10-18 22:33
| こぐれ日録
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