志賀直哉『豊年虫』に「山科」と「薩摩琵琶」という単語があったのでメモ

志賀直哉『豊年虫』に「山科」と「薩摩琵琶」という単語があったのでメモ

志賀直哉『豊年虫』(『週刊朝日』1929.1.1号に発表)より(志賀直哉全集第三巻、1973,岩波書店 p508)

<真田幸村が築いたといふ城が町端れにあり、それから見物する。大手にあたる所の古い監獄が今は空家になつて、薄よごれた白い土塀に囲まれてゐた。監獄の塀といへば赤煉瓦に決つたやうなものだが、かういふ土塀は京都とここ位なものではあるまいかと思ふ。京都のも山科に移り、今は空家になつたはずである。
・・・・
<暖簾の間から黒光りのした幅広い椅子段が見え、奥からは薩摩琵琶の音が聞こえてゐた。>

大正時代の山科醍醐ということで、志賀直哉さんが住んでいた大正12~14年を中心にあれこれ思っていて、この時代の少し前は、薩摩琵琶などの琵琶もなかなかに盛んだったようで、そのあと、浪曲が全盛へと向かう。
そのために、ここは空想だが、もともと、山科四ノ宮は琵琶法師ゆかりの地なので、琵琶をする人もいただろうとおもい、うまく、志賀直哉と琵琶の話がくっつかないかな?と。この作品を読んで、信州戸倉温泉の近くの上田駅から町見物をする直哉。監獄の塀から山科のこの当時移ってきた刑務所に言及し、曲輪(くるわ)見物では、音色で、その琵琶が薩摩琵琶だと判別していることがわかった。まあ、そんなぐらいのことですw




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by kogure613 | 2015-04-12 10:52 | 研究テーマ・調査資料 | Trackback | Comments(0)

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