人気ブログランキング |

キャロル・リード『オリバー』 日曜美術館『パウル・クレー』 会田家(会田誠、岡田裕子、会田寅次郎)《檄》

2015/7/26(日)
日曜美術館を久しぶりに観た。
パウル・クレーを特集していたからだった。ナチズムの退廃芸術のこととか映像が出ていて為になる。NHKもすこし周辺ではいまの動きに歯止めをかけようと企画しているのかな?
それはともかく、いま、宇都宮美術館でしていて、9/19から兵庫県立美術館でやっているということ。行かなくちゃ。

日曜美術館『パウル・クレー 秘密のメッセージ』
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2015/0726/index.html より
<謎のほほえみを浮かべる天使たち、矢印やアルファベットの不思議な記号・・・。抽象絵画の巨匠・パウル・クレー(1879~1940)の絵は、見る人を引き込む"秘密"に満ちている。その"秘密"に分け入っていくと、思いもよらない画家のメッセージが浮かびあがってきた。
優しい色で描かれた少女の夢見るようなまなざしが印象深い「窓辺の少女」(1920)。実はこの絵は、大きな一枚の作品をクレー自身が切断した一部。ばらばらにされた絵をパズルのようにつなぎ合わせると、出現したのは第一次大戦直後の荒涼たる風景。描き上げた一枚の絵をわざわざ切断するという行為に秘められた、鎮魂と再生への祈りとは? 
やがてナチスが台頭、"退廃芸術家"のらく印を押されたクレーは、作品を没収され、スイスへの脱出を余儀なくされる。「来るべき者」(1933)は、この時代の代表作。奇妙なうろこのようなものに覆われた人物が敬礼のようなポーズを取るこの絵に、画家が潜ませた抵抗の意志とは?
そして最晩年、病を得、死と向き合う日々の中、完成させた傑作「グラス・ファサード」(1940)に、画家は、誰もが驚くある壮大な"秘密"を仕掛けていた。時を越え、クレーが伝えようとしたメッセージとは?
"秘密"に満ちたクレーの絵は、見る人自身が、目と心を総動員して向き合うよう語りかけてくる。さあ、あなたは、その"秘密"からどんなメッセージを読み取りますか?>

今日も完全休養。
起きてすぐ、5時過ぎに、石清水八幡宮まで階段で昇る(下りはいつも急な階段を使うのだが台風のために通行止めだった)。なんてことない階段だが久しぶりで息が切れる。左腕の痛みが2月に出て(五十肩)、まったく運動をしなかったからなあ・・・帰ると6時を過ぎていた。こんなに汗をかいたのも久しぶり。気持ちがいい。

1968年のミュージカル映画(コロンビア)、キャロル・リード監督『オリバー』(153分、1968年)を見る。両面のDVD。音楽のところが静止画でこれもまどろっこしいし、歌の場面、特にソロのとき、なんかクドい。まあ、でも、アメリカ映画の一つの伝統がどう変わっていったのかとか、見どころもあるし、なにせ、マーク・レスターがかわいいので、無事、見終わる。

1900年代はじめのロンドン。馬車が自家用車だった時代。ふと、エルメスというブランドを思い出す。COACHもそうだっけ。
キャロル・リード監督『第三の男』をたまたま観たので、購入したのだったな。

東京都現代美術館での会田誠さんの展示で「芸術と政治」事案発生。メモ:

http://m-aida.tumblr.com/post/124971450230/2015%E5%B9%B47%E6%9C%8825%E6%97%A5(会田誠さん自身のメッセージ)

<東京都現代美術館(MOT)で現在行われている「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展に、僕と妻・岡田裕子と息子・会田寅次郎の三人からなる「会田家」というユニットは参加しています。僕ら3人は当展の担当学芸員である藪前知子氏とチェ・キョンファ氏と去年から小まめに連絡を取り合い、準備を進めてきました。
展覧会が始まって約1週間がたった7月23日と24日、美術館を代表する形で、チーフキュレーターの長谷川祐子氏と企画係長の加藤弘子氏から、出品作のうち2作品に対する撤去要請がありました。理由は、観客からのクレームが入り、それを受けて東京都庁のしかるべき部署からの要請もあり、最終的に美術館として協議して決定した、と説明を受けました。
2作品のうち1つは、僕たち3人が共同制作した「檄」という、墨文字がしたためられた6メートルの布の作品。もう1つは僕が去年作った「国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ」というビデオ作品です。後者についてはまたの機会に譲り、今回は「檄」についてのみ、その制作意図を書いて、今回の撤去要請が不当であることを訴えたいと思います。「檄」は三人の作ではありますが、発案者は僕であるので、とりあえず僕が一人で書きます。

まずこの作品は、見た目の印象に反して、いわゆる「政治的な作品」ではありません。現在の政権や特定の政党を、利する/害するような文言は一言も書いてありません。文部科学省という役所全体に対して、不平不満を述べているだけです。公立ではなく民間の場であっても、芸術を使って政治的アピールはすべきでない、というのは僕のいつもの基本方針です。芸術の自律性を大切にしたいがための、自分用の戒めみたいなもので、他者にも求めるものはありませんが。
また、この作品には全体的にユーモアが施されています。「檄」と大書された墨汁がほとばしるタイトルに反して、文章の内容は全体的には穏健なものです。特に自衛隊によるクーデターを呼びかけた三島由紀夫の「檄」に比べれば、脱力感漂うヘナチョコなものになっています。そういう「竜頭蛇尾」的なユーモア構造が全体に仕掛けられています。

文章の内容はある意味「大したことないもの」です。特に穿った意見がそこに書かれているわけではありません。我が家の食卓で話されてきた日常(すなわち自分たちが美術家夫妻であるという自意識も薄れているような日常)会話のうち、「日本の教育への不満」を抜き出したものがベースになっています。息子は一生徒としての、妻は一保護者としての体験的な実感を述べていて、僕はオヤジ臭く「国家百年の計」のようなことを主に述べています。
もちろん誠実に、本心のみを書いたことは言うまでもありません。家族3人の意見の比重が同じになるように、分量を調整しました。また3人の意見がバラバラである状態もそのまま示しました(それを無理矢理ミックスしたので、日本語としておかしい部分がたくさんあります)。

現代の日本の家庭なら、ごく普通にありうべき不平不満だと思います。しかし完璧に国民的中庸な意見とは言いません。「当然偏りはある」という前提で読んでもらうべき、「一家庭における一サンプル」にすぎません。

「個々人が持っている不平不満は、専門家でない一般庶民でも、子供であっても、誰憚ることなく表明できるべきである」というのは、民主主義の「原理原則」「理想」です。簡単に言えば「我慢しなくたっていい」「声を押し殺さなくていい」——その基本的な人生態度を、僕は子供たちにまずは伝えたいと思いました。その態度を少し大袈裟に、少しユーモラスに、そしてシンボリックなビジュアルとして示そうとしたのが、この「檄」と名付けられた物体です。

またこの「檄」は、そのような「理想」が内包する矛盾も意図的に示しています。誰もがこの現代美術館のような、天井高6メートルの空間に垂れ幕を掲げられる機会が与えられるわけではありませんから。みんながそれをしたらこの世は垂れ幕だらけになってしまいますが、その笑ってしまうような光景を幻視したうえで、社会とは何かを考えるのも良いことだと思います。
けして美術家ではない一般中学生である息子の参加を要請した上で、「ここ(=美術館)は誰のもの?」という難しい問いを投げかけた、担当キュレーター藪前氏&キョンファ氏に対する、僕なりの反応の一つが「檄」でした。民主主義や公共性というものは、突き詰めて考えたらとても難しいものです。不公平にもアピール度が突出した「一家庭の意見」のアイロニカルな姿を見て、たとえ子供であっても直感的に何かを考え始めてくれないだろうか……と、僕はアーチストとしてその跳躍性に賭けたいと思いました。

―――――――

次に「内容が子供展に相応しくない」という意見に反論します。
ここに書かれているのは日本国の教育制度に関する話——いわば「大人の事情」ですが、そのようなものを子供たちの目から意図的に遠ざけ隠す行為は、基本的に良くないことだと僕は考えます。
たとえば、僕は小学校時代「道徳」の授業に漠然とした違和感を感じていました。その理由の主なもの——戦前の「修身」がGHQにより禁止され、再び姿を変えて復活した——といった歴史的経緯は、ずっと後になって自発的な勉強によって分かりましたが 「小学生の時から誰か大人に教えてもらいたかったよ!」と強く思ったものです。僕はまったく聡明な子供ではありませんでしたが、そう思ったので、聡明さの問題ではないと思います。
「大人たちの作った世の中の仕組みは、ただ従順に信じるのではなくて、つねに疑いの気持ちを胸に秘め、警戒して生きてゆく——そういう“背伸び”はした方がいいんだよ」という、これは僕から子供たちへ伝えたい大切なメッセージです。
「ものごとを疑う精神」というのは、人間の知性にとって最も大切なものと僕は考えます。それは20歳で成人してから、突然行使する権利が認められるような類いのものではなく、それこそ「物ごころついた時から」着々と育んでいくべきものと考えます。いわゆる「思春期の自我の目覚め」で突然それに目覚める、その「遅さ」ゆえの「爆発」こそが、できれば避けるべき事態だ——というのが僕の考えです。
その考えに基づいて僕は「檄」を始め、この展示全体を構成しました。この展示は「子供展」という枠組みに対する無視などのはずはなく、むしろ熟考の結果です。

———————

最後に「クレーム」について。
7月24日の話し合いの時に長谷川、加藤両氏から「観客からのクレームがあり、東京都庁のしかるべき部署からも要請がきたので、美術館としても協議し、撤去の要請を決定しました」と、僕は言い渡されました。
 僕は会場で公開制作を続けていて、観客の暖かい反応に接してきたので、そのクレームの話と自分の実感のギャップが気になり、ふと「何件のクレームが来てるんですか?」と聞きました。返答は「友の会会員が一名」というものでした。僕は一瞬耳を疑いました。てっきりたくさんのクレームが来ていて、その対応に追われているイメージだったので。僕が具体的な人数を質問しなければ、そのまま人数は教えてくれなかったでしょう。また「その東京都庁の部署はどこでしょうか」と尋ねたところ、「それは言えない」という回答でした。
このように、クレームの相手(の種類や量)を僕にまったく見せないままに、この撤去要請は行われました。これでどうして僕が「納得」できるというのでしょうか。>
a0034066_09145137.jpg

a0034066_09145269.jpg

a0034066_09145280.jpg

a0034066_09145261.jpg

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1094287733932571&set=a.248131891881497.75879.100000540633476&type=1&permPage=1 より引用

会田家(会田誠、岡田裕子、会田寅次郎)《檄》2015年 書き起こし
「檄  文部科学省に物申す  会田家
もっと教師を増やせ。40人学級に戻すとかふざけんな。先進国は25人教室がスタンダードだろ。少子化なのに。未来の資源に予算を回せ。教師を働かせすぎ。みんな死人の目をしているぞ。教師も生徒も放課後部活に拘束しすぎ。部活やってないヤツはダメという風潮。とにかく時間がない。もっとゆっくり弁当食わせろ。十分で食えって軍隊かよ。運動会が変。組体操やめろ。教科書に答が書いてない。回りくどい。読んでわからない本つくってどーすんじゃい。教科書が独習者の邪魔をしている。教科書検定意味あんのかよ。カラーとかカサ増しいらん。かばんが重い。早くタブレット一つにしろ。特別支援教育がただの隔離政策にみたいになってる。あの教室はまるでアルカトラズ。みんな同じように行動させられる。できない人間は目の前から消される。従順人間を作る内申書というクソ制度。いつまで富国強兵殖産興業のノリなんだ。素直な組織人間作って国が勝てる時代はとっくに終わってる。多様性の時代に決まっているだろ。個人の幸福を減らし、全体の国力も減らしてやがる。一致団結とかもう無理だから。オマエらのコントロールは吉と出ないで凶と出るんだよ。オマエらの設定している学校なんてどうせ不完全。万人向けとは思わずもっと謙虚になれ。道徳の時間まったくいらない。役人風情が無限の可能性を持った人の心に介入すんな。大学から哲学追い出すどころか中学から道徳追いだし哲学教えろ。美術が平均週一以下だと?バカにすんな。テメエら自身がバカになってるだろ。受験テクだけでT大行って、人生安全運転で官僚コースか。そんな奴らに舵とられるから日本は小手先の愚策連発でジリ貧コースなんだよ。オマエらこそイケてる外国に行って小学校から勉強し直したらどうだ。技術の先生は菊の育て方しか教えてくれません。PTAの役員に任命されるのが怖くて保護者が授業参観に来れません。新国立競技場の問題は全部俺に決めさせろ!!アーチストだから社会常識がない。真面目に子育てやってないと言われた。」
— (場所: 東京都現代美術館)
参考
2014年2月19日07時50分 靖国参拝批判の作品、撤去要求 東京都美術館:朝日新聞デジタル http://linkis.com/www.asahi.com/articl/lqRmG
< 東京都美術館(台東区)で開催中の現代日本彫刻作家展で、安倍政権の靖国参拝などを批判した作品の撤去を同館が求めていた。主催者は「表現の自由を侵害する」と反発したが、同館は「政治的な宣伝という苦情が出かねない」とし、協議の末に作品の一部が削除された。
 作家展は15~21日、約60点を展示。同館が指摘したのは、主催した現代日本彫刻作家連盟の中垣克久代表の「時代(とき)の肖像―絶滅危惧種 idiot JAPONICA円墳―」。高さ1・5メートルのドーム状の形で、作品として「憲法九条を守り、靖国神社参拝の愚を認め、現政権の右傾化を阻止して、もっと知的な思慮深い政治を求めよう」と手書きの紙を貼っていた。
 館の運営要綱では、「政治活動をするためのものと認められるとき」は、施設使用を認めないと定めている。同館は16日、中垣さんに撤去を求め、「折り合いがつかなければ、展示会の中止や来年度以降の施設使用の見直しも検討せざるをえなくなる」と伝えた。
 協議の末、手書きの紙を削除した中垣さんは「作家として思いを表現した。言論規制につながる怖さを感じる」と話す。同館は都が都歴史文化財団に運営を委託しており、財団の担当学芸員は「『靖国神社参拝の愚』と『現政権の右傾化を阻止』が政治活動にあたる恐れがあると判断した」と説明する。
 都文化施設担当課の高橋伸子課長は「都主催の事業でないので関知しない」とした。(中村真理)>


トラックバックURL : https://kogure.exblog.jp/tb/21488066
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Tracked from dezire_photo.. at 2015-12-15 14:13
タイトル : パステルカラーの女流画家・マリー・ローランサンの魅力
マリー・ローランサンMarieLaurencin マリー・ローランサン(1883-1956)は、20世紀のパリで活躍した画家で、パステルカラーで少女たちを描いたメルヘンチックで夢のような世界が魅力的です。淡い色の愛らしい造形により描かれたマリー・ローランサン独特の世界は安らぎを感じさせます。淡い中間色の優しい女性の情緒的な描写・表現像は日本人好みで人気があるようです。... more
by kogure613 | 2015-07-26 22:26 | こぐれ日録 | Trackback(1) | Comments(0)

こぐれのぶお・小暮宣雄 写真は春江おばあちゃんと・サボテンの花嬉しく 


by kogurenob