行定勲『北の零年』 「沖縄県知事 島田叡からの伝言」「“書きかえられた”沖縄戦」 尾原和啓『ザ・プラットフォーム』
2015年 08月 16日
小松原志乃/吉永小百合
小松原英明/渡辺謙
アシリカ・高津政之/豊川悦司
馬宮伝蔵/柳葉敏郎
小松原多恵/石原さとみ
馬宮加代/石田ゆり子
持田倉蔵/香川照之
堀部賀兵衛/石橋蓮司
<現在、糸満市にある「轟(とどろき)の壕(ごう)」。沖縄本島最南端まで、わずか4kmの距離にある巨大な地下壕である。沖縄戦の最中の昭和20年6月、ここに最後の沖縄県庁が置かれた。当時の沖縄知事島田叡(あきら)は、県民の命をいかに守るかに一貫して取り組んだ。しかし、昭和20年6月23日沖縄戦終結以降、島田の遺体も遺品も見つからず、不明のままである。過酷な状況の中で、彼が貫こうとした信念とは何かを探る。>
<一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみなりという。沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。>
<アジア・太平洋で膨大な戦死者を出したあの戦争から70年。日本人だけで310万人を超す犠牲に、国はどう向き合ってきたのか?
そのことを考える上で、重要な場所がある。太平洋戦争末期、日米が激しい地上戦を繰り広げた沖縄だ。戦死者は軍民合わせておよそ20万人。沖縄県民だけで12万人に上る。日本軍は、アメリカ軍の本土侵攻を食い止めるため、沖縄で"時間稼ぎ"のための持久戦を展開。深刻な兵力不足を補うため、学生や女性、老人までもさまざまな形で戦場に"根こそぎ動員"した。日本軍が潜む地下壕(ごう)やガマと呼ばれる洞窟に、軍民が混在する状況が生まれ、アメリカ軍の無差別の攻撃の中で、住民の犠牲も拡大していった。戦後、国は、沖縄県民の4人に1人という甚大な犠牲に報いるために、ある支援制度を拡大していく。軍人・軍属の遺族を支援するための「戦傷病者戦没者遺族等援護法」だ。今回、NHKはその援護法関連の国の膨大な内部資料を入手した。本来、一般住民には適用されないこの制度を、国は民間人にまで拡大していた。日本軍に協力して亡くなった人を「戦闘参加者」と位置づけ、およそ5万6千人を、軍人・軍属に準ずる存在として援護の対象としたのである。
ところが5万を超す「戦闘参加者」の名簿をつぶさに見て行くと、不自然な部分があることが分かってきた。住民が日本軍に協力して亡くなったという「死の理由」の多くが実態とは異なるものに"書きかえ"られていたのだ。日本軍に強制的に壕を追い出されて亡くなったケースは、軍に「壕を提供」して亡くなった、と書きかえられていた。なぜ、そのような事態が起きたのか。そしてその事は今に何を突きつけているのか。膨大な資料と関係者の証言から、戦後70年たってようやく浮かび上がった、知られざる戦後補償の歴史をひもとく。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/archive/150815.html>
< 本書で取り上げられているのは、
1:誰も書けなかった王将社長射殺事件の真相
2:山口組・高山若頭恐喝事件と京都ヤクザの利権
3:新興宗教に浸食された世界遺産「醍醐寺」
4:エムケイタクシー「青木一族」と民族系信組の深い闇
5:京都駅前再開発に蠢いた「朝鮮総連フロント企業」
6:「マルハン」に連なる京都大学カジノ人脈
7:東本願寺の裏面史
8:突破者「宮崎学」の裏面史
9:墓地を競売にかけた京都信用金庫と事件屋
いずれも興味深い事件ばかりですが、少し紹介しますと
1:2013年12/1 に発生した王将社長 大東隆行さんの射殺事件は、まだ記憶に新しいところです。
この事件は、創業者の息子、加藤潔氏の不明朗な融資、乱脈経理、そして、その回収に原因がありそうですが、真相は闇の中です!!
2:京都の名刹「醍醐寺」を侵食する新興宗教問題が取り上げられています。「ゆず」という名前が出てきて、ビックリします。
4:エムケイタクシーは、大阪では、森英恵のデザインした制服を身にまとった運転手が、ドアを開け閉めしてくれるサービスで有名です。
しかし、社内は、青木一族が私物化するブラック企業のようです。そして、青木と近産の両者に横たわる深い闇!!
5:京都駅北側の一等地、しかし、この地は、現在、未開発のまま放置されています。
元々「武富士」が地上げした土地ですが、その後転々と所有者が移り変わり・・・・・・、
同和団体、会津小鉄会、朝鮮総連、等の利権が複雑に絡み合っているようです。
6:パチンコが盛んな大阪、果たしてこの上まだカジノが必要なのかな、とも思いますが、
カジノ誘致の裏には、マルハン、ゼネコンの影が蠢き、その理論的支柱になっているのは、京都大学人脈だそうです!!>